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認知症につける薬は家族の言葉

「なんか食べさせてくれ」「おやつくれ」
早朝5時、姑がまた大きな声を出していた。
夫がいつものアンパンを手渡すと、たちまち笑顔になってかぶりついた。

「糖尿やし、ほんまはあかんのやけどな」

夫は優しく声をかけていたが、私は内心、取り敢えず黙ってもらうためにいたしかないと考えていた。

今年93歳になる姑は認知症を患っている。しかもこの所かなり急激に進行していて、朝と昼の区別がついていない。そして、早朝であっても夜中であっても、ずっと食事の催促をする。

食べたことを忘れるのだ。


私は、自宅で介護をしながら介護に関わる仕事をしている。そのため、さまざまな認知症の高齢者と関わってきた。

姑のように食べ物に執着する人。物に執着する人。いい年をして異性に執着する人さえいる。

物へ執着する人は、時に周りの介護者を泥棒呼ばわりすることがある。
自分で物を失くしておいて人のせいにする、いわゆる「物盗られ妄想」という認知症の症状の一つだ。これは非常に厄介で、その人のためにと思ってしたことが理解できずに周りの人を困らせる。

90過ぎたおじいちゃんが、女性の介護ヘルパーのお尻を触るなんてことも時々ある。

若い頃は社会的地位もあり、もともとそんなことをする人ではなかった。
しかし、奥さんが亡くなり、認知症を発症。一人暮らしの支援に入ったヘルパーに対しての行為だ。何度注意してもやめない、注意したことも忘れてしまう有様。仕方なく、男性ヘルパーとと交代してもらうことになった。
こうした症状のある認知症の人を、毎日そばで支える家族の苦労は並大抵のものではない。

「認知症に効く特効薬が早く開発されればいいのに」

私も何度も考えたことがあった。しかし、今の医療では、認知症は完全に完治させられない。
しかも原因さえはっきりとわかっていないのだ。

できることは認知症の症状を少しでも和らげ、その人の生活が支障なく穏やかに過ごせるように周りの人がカバーすること。

「おやつが欲しい」と何度も訴えた時、「この人はおやつを食べている時が一番幸せなんだろうな」と考える。昔は、簡単に食べ物も手に入らす苦労したのだろう。

いやいや、何度もせがまれると、こっちもイライラしてつい声を荒げてしまう。

「もうさっき食べたばっかりやで!」

すると、一瞬その人は悲しそうな表情を見せるが、5分もたてばまた同じことを言う。

「ここにあったはずの財布がない」 「さっき来たヘルパーが盗ったに違いない」

財布は自分でしまったのがわからなくなったのだと、何度説明しても忘れてしまい、説明をくり返す。物への執着は、きっと物を大切にしてきた証拠なのだろう。

しかし、そうした人達の支援は難しい。無限ループがはじまり、決着という線を引くのは難しいので、説明と妥協を繰り返し、塩梅を見てその人の思いが治まるを待つしかない。

そして、「大丈夫やで。何も心配ないで」と声をかけた。


いつも穏やかで、夫が仕事から帰宅すると三つ指をついて出迎えていた女性は、夫が亡くなった後認知症を発症。それまでとは打って変わり、息子たちに暴言を吐くようになった。

優しかった母がどうしてこんな風になってしまったのだろうと、周囲の家族は戸惑い、対応に苦しんだ。

高齢になると、その人の人間性が強調されてしまうと聞いたことがある。
長所も短所もわかりやく表に出てくるのだ。
明るい人は、さらに明るく歳を取り、どちらかと陰気な人は陰気な年寄りになる。陰気というと聞こえが悪いが、要はある一定の年齢を過ぎれば、その人らしさが全面に浮き出てくるということ。
もう性格は変えようはないし、その人の周囲の環境も出来上がっている。

そこに加えての、認知症だ。認知症というのはさらにその人の内側を曝け出す。

病気に加えて、その人が積み上げてきた価値観や周囲の環境が少なからず影響を与え、独特の症状が出てくると考えられる。

しかし、三つ指をついて夫を出迎えていた女性の変貌はどこから来たものなのか。

息子さんに聞いたところ、認知症になった女性の話し方は、亡くなった夫にそっくりだとか。その女性はいつも夫から厳しい言葉を受けていた。その言葉を全て何も言わず受け止め、飲み込んでいたのだろうか。

息子たち周りの家族や介護者達が、今度は何も言わず女性の暴言を受け止め飲み込んだ。

そして「大丈夫」と声をかけ、安心させることを心がけた。


認知症は脳の病気であるが、その症状の出方はその人の人間性プラス環境である。なので、その人の人間性をとらえ、その人に応じた支援が必要であり、環境の改善も必要である。

そして一番効く薬は、家族の優しい言葉かけ。安心してもらうことが、最大の治療なのだ。

なぜなら、家族はその人の価値観、環境、人生そのもの反映していると考えられるからだ。
その家族、もしくは家族に代わる誰かが、やさしくそばに寄り添って声を掛けることで、認知症の高齢者は笑顔になった。

「大丈夫やで」「ここにいるで」

ヘルパーのお尻を触ったおじいちゃんは、きっと奥さんを亡くして寂しかったのだろう。

ある意味認知症の人は、一番人間らしいのかもしれない。
なぜなら、本来人間は一人で生きていけない。誰かと支え合いながら生きていくのである。
誰かの支援を必要としてる、家族の言葉を必要としていることを、真っ直ぐに素直に表現する。

人間そのもの姿なのかもしれない。


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