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勇気を持って変化を受け入れる

大晦日には、毎年家族揃って伏見稲荷大社に初詣に出かける。

紅白が終わるのを待って、先ずは、近所のお寺の除夜の鐘を撞きに行く。
お寺に着くともう行列が出来ていて、順番を待っている間に年が明ける。
「あけましておめでとう。今年もよろしく」

稲荷大社までは、自宅から歩いて20分くらい。
いつもは、車通りが多く、毎日自転車で通り慣れた道。真冬の静まり返った真夜中、しかも新年の夜道はいつもと趣が違う。
稲荷大社に近づくと、段々と人通りが多くなり、社内は初詣者でごったがえしている。人混みに揉まれながら裏手の山に登り、一の峰をお詣りするのがいつものコースだ。


しかし、今年は違った。正確にいうと昨年から違う。
まず、近所の寺は一般の参拝者は鐘を撞かせてもらえなかった。(ただ、近所のよしみで特別に私達は撞かせてもらったが)
そして、伏見稲荷大社に向かう途中、夜道が静まりかえっているのは変わらないが、いつまでたっても静かなままだった。

人が少ないのだ。

昨今の状況下、感染予防のため初詣を控える人が多い。神社側もできるだけ人混みを避けるようにと、お詣りの分散を呼びかけていた。
全国的に見ても参拝者数が多いとされている、伏見稲荷大社である。
しかし、大晦日から新年にかけての参拝者は明らかに少なかった。
お酒を飲んだ一部の若者が騒いでいたが、それ以外は静かに参拝していた。

一の峰の参拝をした後、境内のいつもの店で、温かいうどんと玉子丼、それから瓶ビールで乾杯するのが、毎年のお決まりだった。
それも、今年はなし。店が開いていなかったのだ。
なんだか、新年から出鼻を挫かれたような気持ちになった。


夫は、10代の頃から、このコースで、毎年初詣していたと聞く。私も夫と結婚する前から一緒に行っていたので、出産の年を除いて30年以上になる。
お寺で鐘を撞けなかったり、参拝者が少なかったり、いつもの店が閉まっていたりするのは初めてのことだ。

この情勢下、様々なものが変わってしまった。

コロナ禍のせいだけでなく、30年も同じことを続けているといつか変化はやてくるのかもしれない。
人は、同じことを繰り返すことで安心を得ていると思う。
うちの家族も、毎年同じコースで初詣に出かけることで、新年を無事迎えられるような気分になっていた。
なので、昨年からの変化に少し違和感を持ち、残念な気持ちになったりもした。
しかし、だからと言って、自分達の生活が大きく変わることはない。
その時の状況に応じて、当たり前としてきた習慣も見直さないと行けないのだろう。

いつもの店が閉まっていたのは、もしかしたら、コロナのせいでなく店主が年を取ってしまったから。大晦日に夜通し店を開けられなくなったのかもしれない。

この年になると、毎年、毎月、毎日、習慣としていることがいくつかある。いつもこの時期に決まった所で買い物をするだとか、毎日この時間に家事をするだとか。生活の中のちょっとした事だが、なんとなくルーティン化されていたり、やらないと気持ち悪いとさえ感じることもある。

しかし、何かのきっかけで変化させるべき時が来る。
その変化から、また新しい習慣が生まれて、生活がどんどん変化していく。年を重ね、子ども達が成長し、時代も変わる。
その時期に応じて、自分の立ち位置を見つめ直し、時には自ら大きく変化させるべきこともあるのだろう。

同じことの繰り返しは安心と安定を生むが、変化することで、更なる成長と新しい楽しみを生み出すかもしれない。


伏見稲荷大社への初詣は多分来年もするだろう。
ただ、もしかしたら、来年は家族揃ってではなく夫婦だけかもしれない。
それとも、新しい家族が増えているかもしれない。
2022年は、様々な変化を、楽しみながら受け入れ、自分のものにしていこうと思う。
勇気を持って変化を受け入れよう。



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