暖かく綺麗にサヨナラする流儀
一つ目のサヨナラ
小さく三回息をして舌を少し出したまま唇を少し動かした。目はずっと前からほとんど閉じれなくなり、眼球は濁っている。
歩けなくなってからもうすぐ一年。寝たきりになってからも「ワンワン」とご飯やおしっこの意思表示をしていた。
しかし、最近はその声が小さくか細くなり、ほとんど吠えなくなっていた。
「近いかもしれないな」
朝起きてからすぐと仕事から帰ってからすぐに、ちゃんと息をしている確認した。小さな命がもうすぐ閉じようとしているのを、家族みんなが認識していた。
私がちゃんと明日仕事が休みの日の晩を選んでくれたね。下の娘もそばにいてくれるよ。お気に入りの白いベットは、食べこぼしや便で汚れていたのを昨日洗濯したばかりだった。
いつもの日常の中に、まるで普通のことのように一つの命の終わりの場面があった。
寝たきりで、食事や排泄の世話が大変だったので、正直ホッとしていた。そして何より、マメタ自身がやっと楽になれたのではないかと、安堵する気持ちが湧き上がった。
それでも、やはり別れは辛いもの。
ペット専用の火葬業者に迎えに来てもらってサヨナラすることにした。亡骸を運んでくれる車を、他県に住む上の娘とはビデオ電話で繋ぎ、家族みんなで見送った。
それは暖かく綺麗なサヨナラだった。
きっとマメタが最後まで生き抜く姿勢を見せてくれて、命の灯火を少しづつ小さくしてくれたから。サヨナラする準備を家族にさせてくれたから。
二つ目のサヨナラ
定年を迎えられ、しばらく非常勤として勤められていたが、とうとう会社を去られることになったケアマネの先輩。
上司として、私に仕事の基本から教えてくださった大ベテランのケアマネージャーだ。
寄せ書きや事務所のみんなからのプレゼントと花束。全て私が担当して用意することとなった。寄せ書きは手作りして、本人のイメージに合うプレゼントを考えた。そしてブルー系の色の花が綺麗な花束を選んだ。
9月30日、事務所のみんながそれぞれに一言づつ挨拶をしたが、私はきっと言葉に詰まるだろうと思い、事前に感謝の言葉を綴った手紙を手渡した。
涙が出そうになったが、みんな笑顔で、暖かく綺麗なサヨナラだった。
一生会えなくなる別れではないが、もうこの事務所には明日から姿がないと思うと本当に寂しい気持ちになった。ただ、なぜか清々しい気持ちで先輩の後ろ姿を見送れたような気がした。
サヨナラの流儀
別れは日常の一場面で、流れるように時は過ぎ、また次の別れが来るのを待っているかのようだ。
ただ、二つの別れは心に蟠りなく穏やかな気持ち慣れたのは何故だろう。
最後のサヨナラまでの間に準備があり、心の整理ができていたこと。突然の別れではなく、予想できるものだったからなのか。
それとも、別れまでの間の時間を一緒に丁寧に過ごせたからだろうか。
会えなくなる別れは辛く悲しい。また会えるかもしれない別れであっても、心にぽっかり穴が空いたような虚しさを覚えることもある。
ましてやそれが突然の別れであったら、乗り越えるのに相当の時間がかかるだろう。
ただ、いつかはそれも日常の中に紛れてやり過ごしていかねばならない。
いつ別れてもいいように、準備が必要? 覚悟が必要?
それは、一緒にいる「今」を大切にすることかもしれない。
何をするにしてもいつかは終わりが来る。いつ終わってもいいように心の準備をしておく。
私もいつか会社を去る日が来る。
そして誰だって、いつかはマメタが渡った虹の橋を渡らねばならない。それは突然のことかもしれないし、長寿を全うするのかもしれない。
分からないからこそ、いつでも良いようにしておく。
暖かく綺麗にサヨナラしてもらえるように。
サヨナラの流儀は準備が大事なのだから。
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