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#4 Media Studies)Ryoji Ikedaの強さ

感覚世界に染み出す物理世界。

Ryoji Ikeda池田亮司は日本を代表するアーティストで知覚の極限に迫るサウンドとビジュアルのインスタレーション作品で知られる,とよく紹介されている。詳しくはこちら。

ちなみに「メディアアート界隈で影響の大きいいくつかの派閥の一派だ」とメディアアーティスト落合陽一さんは言っている。

メディアアート派閥の一派を担うRyoji Ikedaの作品の感じを報告する今回。渋谷のWWWにてRyoji Ikedaの作品「superposition」上演会があった。「webでも多少見られるし行っても本人のいない上演会だし,なんでわざわざ?」と思いながらも行ってみた。

2つ,目の醒めるものを感じたところがあった。上演直後にガリガリ描いたイラストと共にご紹介。

鑑賞した座席位置は中央後ろ半分あたり。

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感想1:音圧競争 in 堅牢な部屋

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空気という媒質のラテアートが上演されていると表現できるような。身体の表面はジーンと振動する。身体の芯のところは微かに揺動する。和太鼓の生演奏の類の揺動。スツールに座っての鑑賞だが,椅子が振動していると思いきや腰を浮かしてみても感じる。
高周波は甘く耳穴をコーティングし,人体と共鳴する低周波はバランス感覚まで揺らすかのように浮遊感を生じさせた。空気が揺れているのか自分が揺れているのか,どちらもなのか曖昧になった。


感想2:「ちゃんと伝わる」ビジュアルエフェクト


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流体表現のような弾けるビジュアルエフェクトが空気を介して運ばれてきた。音を触覚で感じたと言ってしまえばそれだけだが,感じるとそれだけなはずがなかった。「ッダン」「ピドム」ハジケてます。身体の幹で「手触り」を感じるかのような。和太鼓の感じとも違う,雑音的な尖り方。スクリーンやスピーカからは5~10m程度離れていたが,時間も距離も遅れがない力,という物理的不思議があった。SenseにPhysicsが食い込んだ

意味が視覚,力が聴覚から流れ込んできた。目を伏せると,感じるこれは何かわからなくなり,耳を塞ぐと,見えるこれはどんな感じかわからなくなった。


終わってからの気づき・実験

気づいたこと。上演終了,明転直後すぐに大半の人が一斉に帰る支度をし出した。映画館のような余韻ゼロ。早く立ち去りたいかのような空気感があった。どうしてそんなにそそくさした様子なんだろう。
耳が一時的に遠くなる感じが無かった。大音量の感じが確かにあったのに,ライブハウスでスピーカの近くにいたり,カラオケにいった後のような聴力の一時的な低下が全くなかった。

ところであの体験はどう「上演」すれば出せるのだろう。イヤホン,ノートPCのスピーカ,自室のオーディオデバイスの3種の条件でweb上の「superposition」を再生してみた。感じとして,オーディオデバイスを爆音で鳴らすのが一番近かった。イヤホンでは,録音された和太鼓のように,足りなくてちっぽけで軽くて頭蓋の中を反響するにとどまっていた。

周波数特性や音圧の問題なのか?それでも上演会場の方が強烈だった。イヤホンよりも,狭い自室で鳴るスピーカよりも,上演会場の方が「近かった」。空気の満ちた場が音を出している感覚。


余談:アパート住みにとって鑑賞体験の支障は他にもあった。音量を上げると隣人から壁正拳突きが来る心配度も上がる。


まとめ

「知覚の極限に迫る表現性」を改めて言い直すなら「感覚世界に染み出す物理世界」と言いたい。物理現象が感覚を運ぶという基盤が感覚上に露出するそこに衝撃がある。
核はそこだと思いつつ,人心的には,折り目正しい,数学のように厳密な表現やリズムといった表現がシンプルにかっこいいというところも大きいと感じられた。

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