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能登半島地震・津波の恐怖からの私の「脱出記」-富山県海王丸パークから

 2024年1月1日…例年とおりに「めでたい」と認識する人は、もういないだろう。言うまでもなく、M7.9、最高震度7を記録した令和6年能登半島地震。
実は、富山県に帰省していた私も、ある意味この地震に巻き込まれ、命の危険を感じるシーンに出会った1人だ。その時、私はどのように判断してどのように動いたかを振り返る。
 結論から先に書こう。海のそばにある海王丸パークから、砺波市内の国道359号沿いのコンビニまで移動した。ここで出ている「太閤山」「コストコ」は、この後の話で出てくるキーとなる地名だ。

地震発生時

 地震発生直前、私がいた海王丸パークで撮影。撮影時刻は16時7分。

 実家の親の車を借りて妻と付近の神社「放生津八幡宮」、さらに市場「きっときと市場」に来た後、この海王丸パークに。そこで立山や新湊大橋を背景にした写真を撮ってくつろいでいた。
 そこで、なにか大きくゆらゆらと、船内で波に合ったようなゆれが来た。かと思ったら、しばらくして過去にほとんど経験したことのない強い揺れが。1分以上、いや2分近く続いたような気がする。継続時間は覚えていない。この揺れは、私が経験した福岡県西方沖地震に匹敵するものだ。緊急地震速報が鳴ったのは、揺れ始めてからしばらく経った後だった。
 周囲にいた人含め、皆車に乗って逃げ始めた。その最中にラジオで「津波警報」の知らせが。直前に震源が能登半島と知ったので、まさか大津波はないだろうと直後は正直思ったが、この前提が崩れた。
 実家は実は写真の橋の東側のたもと付近にあるのだが、橋を渡るのは危険に感じた。実家にいる親をどうしようかとも考えたが、兄夫婦から連絡が入り、母を車に乗せて太閤山目指して逃げているとのこと。例年正月に兄夫婦が来て実家でご飯を食べる、その習慣がいい方に幸いした。一方、兄夫婦から「とにかく太閤山に逃げろ」と。太閤山は、実家の南側にある射水市内の高台の地区。これに従い南に向かうことにした。

移動ルートに誤算…

 最初想定した移動ルートは以下の青の点線。しかし、誤算が生じ、結局赤のルートを通らざるを得なくなった。

 なぜか?先の万葉線の踏切の警報機が鳴りっぱなしだったから。踏切の手前から渋滞が続いている。多分踏切は開きそうにない。回り道しないと津波に飲み込まれるリスクも考えられる。そこで右に曲がれるところで右折。しかし、そこから先はところどころ液状化が始まっていた。泥をかぶりながら漁港~海王丸パークの埋め立て地一帯をまず通過。内川にかかる橋を通過した際、内川に津波が入っているのが見えた。

やっと脱出確信

 そこで旧新湊市街地に入ったが、ここから先がまた渋滞している。まず立町付近を左折、南を目指したが、なかなか車が進まない。できるだけ海から遠く、できるだけ車が少ないところを目指して「姫野」交差点を右折、牧野地区から交通量の少なそうな道を南に目指すこととしたが、やはり渋滞している。
 そうした中、何となく車が流れ出したところがあった。1台の車が左折した後をつけるように左折して、4車線の国道471号に入る。ここからは車はある程度流れていた。北陸新幹線のガード下に近づいたあたりで、多分津波からは逃げ切れたのではないか?という確信がようやく出た。

空いてるコンビニは?そこで砺波市へ

 次の課題は、トイレ休憩や買い物のためにコンビニを見つけてどう入るか?ということだった。一方、兄夫婦から入った連絡では、「太閤山ランドに避難しているが、トイレに100人近く並んでいそう」とのことだった。取り急ぎ小杉IC手前のローソンに入ろうとしたが、駐車場に空きがない。ここでコンビニを探して変に動き回るのも難しいだろう。また、実は兄夫婦と母が避難していた太閤山ランドは実は近くだったが、現在富山に常住していない私にはこの道の予備知識がない。また、コストコという選択肢も考えたが、この道の予備知識もない。これらに行くと、コンビニに行けない可能性が高い。
 私が採ったのは、以下の方策だった。
・とにかく南を目指して先の山道を通る。
・国道359号線にぶつかるはずなのでここを右折し砺波方面へ行く。
・この沿道のどこかにコンビニがあるはずなのでそこに入ろう。

 砺波市には、実は母の実家もあり、そこには現在母のいとこ夫婦が住んでいる。いざとなったらそこにお世話になれる可能性も考えていた。
 ほとんど通ったことのない道だったが、まったく行けないレベルでの山道ではなく、離合はしっかり可能なことは知っていた。この作戦とおり、以降の道は順調。予想通り、砺波市内の平野に入って、久泉交差点そばにローソンが出てきた。このローソンの駐車場に空きが出たのでここに入ることにした。
 トイレには行列はできていたが100人のようなレベルではない。そして食糧もまだちょっと残っていた。ここで買い物をして時間を取ることができた。また、このローソンは、しばらくしてから駐車場に空きすら出てきた。津波の心配のない砺波市だから、来ていた人も早く戻ろうとなれたのではないか。

 2時間近くこのローソンにいたが、兄夫婦から「20:30ころになったら家に戻ろうと思う」との連絡が入った。これに合わせてこのローソンから、新湊大橋のたもとにある実家まで、20:20くらいに移動を始めた。

振り返り

 「脱出」の出発点だった海王丸パーク及びその周辺は液状化などの被害が大きかったよう。周辺の施設や漁港は休業ないしは休館をしばらく余儀なくされた。新湊漁港は1月5日に再開したようだが、これを書いている時点で、海王丸パークは1月13日まで閉鎖、そしてきっときと市場の再開日は未定だ。

 この行動、何点だったろうか??
 最初の行動はそれなりに状況に応じて判断を変えることができていい方だったと思うが、太閤山ランドやコストコにいた方が無駄な移動をせずに済んだかもしれない。山道を通ることで、もし土砂崩れに出くわしたら…とのリスクもある。ここが減点要素か。
 私が新年早々に体験した「恐怖体験」、ある意味いい経験になったと思う。非常時にどう判断しどう動くか…今後様々な機会で検証し、行動につなげていきたい。
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 もっとも、能登半島の先にいたら、こんな話で済んでいたのだろうか…ぞっとする。そして、こんなふうに振り返ることすらする余裕は今ないはずだ。

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