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A Little Closer《Club with Sの日 第22回レポ》



*精神的な問題について具体的に表現した箇所があります。
 お読みになる際はご注意ください。
 トラウマの心配がない方でも、体調が良い時に読むことをオススメします。



「君は何を飲んでいる?」

寒い冬のある日。
20歳の自分は車の助手席から外の景色を眺めている。
建物を見ても、空を見上げても、何かを感じるわけじゃない。
ただ、車から飛び降りて、ここではないどこかへ行きたいと願っている。
隣の運転席では、母がため息をついている。
自分の子供が精神的に問題がある、その事実にうんざりしているのだろう。
「あんたのせいで家族みんなが迷惑している」
そう言葉でも態度でも示してくる。
自分は疫病神なのだろうか。
涙は出てこない。
防衛本能なのか、感情が動かない。
もうすぐ病院に着く。

初めて母に連れられ精神科へ通うようになった頃、行き帰りはいつもこんな感じだった。
何に怒ればいいのか、何を悲しんだらいいのか。
誰を責めたらいいのか、誰に救いを求めたらいいのか。
自分は失敗作なのか、どこにでもいる一人の若者なのか。
何ひとつ分からなかった。
でも、今なら分かる。
自分にとっての敵は、精神疾患でも母親でもない。
社会に存在する“スティグマ”だったのだ、と。
メンタルヘルス問題への偏見が、母に恥の感覚を抱かせ、自分に罪悪感を抱かせた。
無知だった。
対話が成り立つはずもなかった。
自分は不幸だったのだろうか。

数年後、自分は教室で授業を受けている。
その頃には引っ越して別の地域に住んでいた。
あの病院へは行かなくなった。
先生に最近の状態を伝えることに何の意味があるんだろう、と思ったから。
それに、カウンセリングをやめることよりも、行き帰りの車内の雰囲気の方がよっぽど精神的に悪い気がした。
病態生理学のプリントを眺める。
授業中、説明を聴きながら、ハッとする。
これって……
精神疾患についての回だった。
具体的な症状の項目を読み込みながら、思い当たる。
この数週間感じていた体の不調は、疲れでも気のせいでもなく、病気のせいなのではないか。
すぐに精神科の予約を取った。
自分で市内の病院を調べ、自分で電話した。
「病院へ行ってみたら?」と声をかけてくれる人はいなかったから。
問診の後、診察室で病名を告げられた時、テストの答え合わせをするような気分だった。
心の中で、「正解だ」とつぶやいた。
先生からは丁寧に薬の説明もしていただいて、治療法も相談しながら決めることができた。
精神科でも病院や先生によってこんなにも違うのか、と驚いた。
勉強していたおかげで病気に気付くことができた。
良い先生にも出会えた。
自分はラッキーだったのだろうか。

「風邪ひかないように気を付けて」
「インフルエンザに気を付けて」
「交通事故に気を付けて」
学校や家庭や地域社会で一度は耳にしたことのあるフレーズだろう。
でも、これはどう?
「睡眠障害に気を付けて」
「不安障害に気を付けて」
「鬱に気を付けて」
ネット上でメンタルヘルスに関する記事を見かけることはあっても、身近な大人から直接言われたことのある人は珍しいはず。
まるで、口に出してはいけない呪文のように。

誰もが医療系の学校へ行き、病態生理学について学べるわけではない。
誰もが興味を持って、精神疾患について調べるわけではない。
若者の僕らには圧倒的に機会が不足していた。
メンタルヘルスについて語り合う機会が。
だからこそ、あの映画を観た時は衝撃だった。

『Dear Evan Hansen』

アメリカの高校を舞台にしたミュージカル。
そして、現代らしくSNSと絡めてメンタルヘルス問題を描いたヒューマンドラマ。
高校生の主人公・エヴァンは同級生のアラナから聞かれる。
「君は何を飲んでいる?」
アラナは服用している抗うつ剤の名前を挙げ、それに続いてエヴァンも数種類の薬について話す。
何気ない会話として登場したワンシーンに釘付けになった。
日常生活で感じているプレッシャーを打ち明ける姿、若者ならではの脆さが繊細に表現された描写。
彼らはきっと、別の日にこんな話もしているのだろう。
「この抗うつ剤の副作用、辛いよね」
「精神安定剤を飲むと眠気がすごくて、使うタイミングに迷うんだ」
ここまで来なきゃ。
僕らも、ここまで来なきゃ。

憧れと目標が同時に手に入り、映画に背中を押されてここまでやってきた。

映画館を飛び出す。
PCを立ち上げる。
ミーティングの時間が近付く。
『Dear Evan Hansen』のサントラをかける。
音楽がはじまる。


「When you’re falling in a forest and there’s nobody around
 Do you ever really crash or even make a sound?」

2022年3月2日
Club with Sの日 第22回
メンタルヘルス特集3回目
テーマ『ノンバイナリーのヘルスケアとは?』

本題に入る前に、ノンバイナリー関連作品の紹介タイム。
今回は短編映画『Heart Shot』
Queerの高校生たちを描いたアクション映画。
主人公役のElena HeuzéはQueerでAndrogynousの俳優だ。
実は、SNSで映画の感想を投稿したら、なんとご本人から「いいね」をいただけた!!
舞い上がってさっそくInstagramのアカウントをフォローした(笑)
これからの活躍が楽しみ!!

……と明るい話題だけできたらよかったのだけど、今、世界ではとてつもない事が起きている。
2月24日、ロシアのウクライナ侵攻に関するニュースが飛び込んできた。
突然、世界の色が変わった。
情報を追おうと、現実を掴もうとiPhoneを開いたら、かえって錯綜する情報の渦に巻き込まれた。
置いてかれる焦りを抑えようとSNSを開いたら、手に入ったのは衝撃的な映像や写真、事実に抱いた恐怖、不安。
世界的に混乱した状況の中、メンタルヘルス特集を開催することになるとは。
Queer当事者にとってメンタルヘルスは常にタイムリーなテーマだと思っていたけど、これほど身近で緊急のものとなるとは。
少しの緊張を感じつつZoomを開くと、大変な時なのにメンバーの方たちが集まってくれて、新メンバーの方まで来てくれて、本当にありがたく、大変な時だからこそつながりを保たなければいけないのだ、と再認識した。

今回のテーマも、2つの視点から考えたい。
「自分自身のヘルスケア」と「相手のヘルスケアのサポート」。

前半は「自分自身のヘルスケア」について。
何か精神的な不調を感じた時、病院へ行ったりカウンセリングを受けるために、どんなハードルがあるだろう?

Step1 病院・カウンセリング探しをしよう

どんな病院なら安心して行ける?
・近い方が通いやすい or 遠い方が知り合いと会わなくて済む
・実際に行ってみないと相性がわからない(初診は緊張するよね)
・LGBTQ+アライかどうか(できることなら当事者の声が聞きたい!!)

どんなカウンセリングなら利用しやすい?
・予約の取りやすさ
・費用
・オンライン or インパーソン
・ジェンダーに関する問題への理解(ノンバイナリーの人が来ることを想定しているだろうか)

Step2 予約を取ろう

病院に電話をする
→一ヶ月先の日程を提案される(初診あるある)
→一ヶ月もどうやって耐え忍べばよいのか、と悩み始める
→こんなことならもっと初期の段階で通院を考えていれば、と後悔する

カウンセリングの予約を取る方法を調べる
→混雑状況がわからなくて利用するかどうか迷う
→担当のカウンセラーと直接日程の相談が出来ない場合(第三者を介す場合)、情報が漏れるのではないか(少なくとも自分がカウンセリングを利用していることは知られる)と迷う
→カウンセリングルームの場所から、同級生とすれ違う可能性、職場の人に見られる可能性を考え、また悩む

初めてだとわからないことだらけで混乱するかも。
でも、君だけじゃない。

Step3 話す内容を決めておこう

今置かれている状況を明確に伝え、より適切な治療やケアを受けるために、話すことを考える。
上手く話せるかどうか不安だったら、メモを用意するのもGood
慣れない環境で、初めて会う人に自分の精神状態について伝えるのはとても難しいことだし、その場の空気だけで疲れてしまうかもしれないから、できるだけスムーズに進めたいよね。
もし、悩んでいる事がセクシュアリティやジェンダーに関することだったら?

Step4 カミングアウトについて考えよう

精神的な問題は多かれ少なかれ、あるいは直接的であれ間接的であれ、Queerであることと絡んでくると思うのだけど、自分のアイデンティティについて、どこまでオープンにすることが正解なのか。
身体症状だけ伝えて、精神的な負担を減らすため、カミングアウトは避けた方がいいのか。
でも、それは長期的に見て、メンタルヘルス問題の改善を先延ばしにしていないか。
でも、実際に伝えて相手の反応が期待したものと違ったら、ただストレスを感じるだけじゃないのか。
でも、ジェンダーの話に全く触れることなく正直に悩みを相談するなんてできるのだろうか。
でも、と今逡巡していること自体が、相当な負担になっていないか……

これはね、答えは出ないよ。
あえて言うなら、様子を見て決める。
診察室で、先生や専門家の反応を見て、そして、その時の自分の心とよく相談して、判断するしかないかなぁ。

Step5 病院・カウンセリングへ行こう

Let’s go!! のノリで行けないことはよくわかっている。
せっかく予約を取ったのに、当日になって動けないほど体調が悪くなるかもしれない。
なんとか辿り着けても、緊張で全然上手く話せないかもしれない。
大切なことは、焦らないこと。
君はここまでよくやったよ。
社会の偏見や自分の中のスティグマを超えて、Step5まで来ることができた。
まずは自分を褒めよう。
それに、精神的に悩んでいる人が全員、スラスラとなんの迷いもなく自分を語っていたら、そっちの方が奇妙だと思わない?

Step6 治療法の相談をしよう

・アプローチについて
 薬物療法? 心理療法? それとも両方?

・薬を使う場合
 薬の副作用は?
 依存性は?

・通院について
 これからはどのくらいの頻度で通う?
 定期的 or 特に症状が悪化した時に自分のタイミングで

「こんなことを質問したら迷惑じゃないか……?」と心配しなくてOK
僕らには知る権利と安心して治療を受ける権利があるのです。

Step7 どこまでオープンにするか考えよう

なんらかの精神疾患だと判明し、そうでなくても困難が生じている場合、身近な人と共有することが必要になってくる。
生活や人間関係にも影響が出てくる可能性があるから。
でも、これこそ悩みの種だったりする。
自分がQueerであると知っている人なら言いやすいだろうか。
具体的な病名ではなく、自分の特徴としてなら伝えられるだろうか。
(「こういう時にストレスを感じやすい」「こういう状況だとパニックに陥りやすい」など)

Step8 フィードバックをしよう

副作用が予想以上に強くて別の薬に変えたい。
病院や先生との相性に迷いがあり、セカンドオピニオンを受けたい。
別の病院での治療や他の方法でのカウンセリングを考えたい。
身近な人に話したら、よりお互いを理解できるようになってトラブルが減ったので、もう少し詳しく症状について共有していきたい。

行動に伴い、いろんな希望が出てくるはず。
自身の変化や違和感を大切に、長期的な治療・突発的な不調と向き合えるように整えていこう。

そして、これは完璧な地図ではない。
人によっては他のStepが追加されるかもしれないし、いくつかのStepを行ったり来たりするかも。

(続)

あーーーーーーー
はっきり言わせてもらいます。
無理!!
こんなの無理!!
不安や鬱を抱えた若者にここまでやらせるなんて正気じゃない!!
元気な時だってきつい!!
なんなら今、PCで一連の流れを打ち込んでいるだけでも大変なのに!!

全部、政治や教育のせいだ。
正しい知識・信頼できる情報・それらを共有できる機会の不足。
メンタルヘルス問題への偏見・嫌悪・拒絶・軽視。
困っているから医療に頼りたいのに、必要なケアに手が届く前にたくさんの困難が生じて、心が折れてしまう。
ヘルスケアを求める過程で怪我をする。
そんなの絶対に間違っている。

でも、社会が変わるのを待っていたら、どんどん悪化してしまう。
取り返しのつかないことになってしまう可能性も。
だから、安全なコミュニティからはじめた。
どこかのStepでつまずいても、一人で背負わなくていいように。
あるいは、最初の一歩を踏み出せない人のために。

メンタルヘルス特集を開催するにあたって、いろんな面で準備が整うまで時間が必要で、この時期になった。
ベストなタイミングだとは思っている。
だけど、同時に、もっと早くやるべきだったと思ってしまうのだ。
もっとサポートできたのではないかと疑ってしまうのだ。
この切迫感を、権力のある人たちが少しでも感じてくれたらいいのに。

後半は「相手のヘルスケアのサポート」について。

“誰かを守ることは自分を守ること。自分を守ることは誰かを守ること。”

ちょっとわかりにくい、という人は映画『It's a Wonderful Life』(1946)を観て。
それでもわからなかったら、映画『The Duke』(2020)を観て。
それでもわからなかったら……
考えます(笑)

経験者だからこそ、相手の様子に敏感になっているかもしれない。
大変さを知っているからこそ、辛そうにしている相手の力になりたいと思うかもしれない。
だけど

自分に一体なにができるんだ……?

効果のあった治療法を紹介する。
→個人差があるのに?

行政の窓口や専門機関のサポートを提案する。
→もうとっくに調べているのでは?

「鬱かもしれないから病院に行った方がいいよ」
→そんなこと言える!?
 お節介どころか、むしろ相手のストレスだよ。

じゃあ、無視が正解?
大切な人が苦しんでいる姿を黙って見ていろと?

無力感に打ちひしがれていた時、光を差し込んでくれたのはClub with Sのメンバーだった。

たった一言。

「元気?」
「大丈夫?」
「もしかして今日は体調悪い?」

些細な一言がたくさんのメッセージを持っていると。

「気にかけている人がここにいるよ」
「君のことを見ている人がここにいるよ」
「困っているなら話を聴くよ」
「今すぐじゃなくても大丈夫だよ」
「でも、いつでも待ってるよ」
「こっちの負担は心配しなくて平気だよ」
「自分だってずっと悩んできたんだよ」
「Queerとして、自分をオープンにすることの難しさだって知っているよ」
「君のためじゃない。自分のためでもない。お互いのために。それぞれを理解し合って、より深い関係を築きたくて、こうして手を伸ばしているんだよ」

直接的な、単純な方法ではなく、ひとつひとつの言動に想いを込めることの大切さを。
本当の優しさの意味を。
最も温かい表現で教えてくれたのは、他の誰でもない、Club with Sのメンバーだった。

誰かが音を立ててくれた時、自分はそのサインに気付けるだろうか?
誰かが本心を表情に出してくれた時、自分はその変化に気付けるだろうか?

聞き逃しちゃいけない音に限って届きにくいから。
ここが、スピーカーになったらいい。
コミュニティで消えかけた音を拾いたい。
君の音を聴かせて。


「君の健康が大切だ」

「自分はゲイです」
その次にくる言葉は「今、恋人がいて楽しく過ごしています」であってほしかった。
でも、実際に返ってきた言葉は
「今、学校でいじめられていて。そのせいか毎朝、体が重いです」

「自分はトランスジェンダーです」
それなら、好きなファッションの話で盛り上がれるかな、と期待した。
でも、話を切り出す前に相手はこう続ける。
「摂食障害に悩んでいて。親には正直に言い出せなくて、『ダイエット中』と言って誤魔化しています。
 なんで生きているんだろうって思う日もあります」

「ノンバイナリーの人たちが何に困っていると思う?」
と聞くと、トイレ問題とか、様々な場面での性別欄とか、そういうイメージが強いかもしれない。
でも、本当は
「そもそもノンバイナリーってなに?」
と大半の人から返される、その事実に傷付いているんだ。

セクシュアリティやジェンダー・アイデンティティについて自由に語り、受け入れ、誇りを持つことを夢見ていたのに、日常的に多発するメンタルヘルス問題が高い壁を築いた。
だから、守らなくちゃいけない。
そびえ立つ壁を見て途方に暮れるしかなかった、Queerの若者の心を。
プライド・パレードに辿り着く前に、旅の途中で息絶えてしまう人もいる。
本当はそういう人たちを真っ先にサポートしなきゃいけないんだ。

数ヶ月前のこと。
自分はアウティングを経験し、絶望していた。
信頼していた人に裏切られたと感じ、『Dear Evan Hansen』の音楽を聴きながら泣くことしかできなかった。
マイノリティには予想もできないような災難が突然降りかかってくる。

その夜、「アウティングされていたらしい」と親友にメッセージを送ると、すぐに返信が来た。
「電話で話そう」ということになり、夜中に何時間もかけて相談した。
起きてしまったこと、こうしている間も噂が広まっているかもしれないこと、これからどう対応したらいいのか、本人にどう伝えるべきか……
親友は、かなりパニックになっていた自分に寄り添いながら会話してくれた。
そして、こう言った。
「これからどんな選択をしても肯定したいし、サポートするつもりだよ。必要なら代わりに話しに行ってもいいし。でも一番は

君の健康が大切だ」

「うん。心配してくれてありがとう」
とか返事したはずだ。
その時はもういっぱいいっぱいになっていたから。
だけど、後から気になった。
電話で体調不良を訴えたり、以前から抱えている病気について話したわけでもない。
おそらく、現在の状況や自分の様子から、精神に相当な負荷がかかっていて、苦痛を感じていることを察してくれたのだろう。
だから、“健康”は“メンタルヘルス”のことだった。
相手は、“健康”を当たり前のように“メンタルヘルスを含むもの”として認識していた。
ハッとした。

ここまで来ていた。
僕らは、いつの間にかここまで来ていた。

憧れた世界は、意外とすぐそばで芽生えていたんだ。

この文章がたくさんの人の救いになるとは思っていない。
たった1回のミーティングで全てを変えられるとも思っていない。
自分の中にもまだ偏見や恐怖があることを自覚している。
それでも

今日は少しだけ近くに感じる。
空っぽの世界を彷徨うしかなかったあの頃の自分の心を。
今、この瞬間もどこかで苦しみを抱えている誰かの存在を。
今日は、昨日よりも少しだけ近くに感じるんだ。


このメッセージを、救えなかった人たち、今、闘っている人たち、そして、これから闇に飲み込まれるかもしれない、全てのQueerの若者たちに捧げます。








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