日本初翻訳!「ニーベルンゲンの哀歌」(2021年12月刊行)岡崎忠弘訳
ワーグナーの歌劇が好きな人なら「ニーベルンゲンの歌」は読んだことがあるかもしれない。だが、本来「ニーベルンゲン物語Nibelungenbuch」と名付けられるべき写本は、「ニーベルンゲンの歌」が4分の3強、「哀歌」が4分の1弱から成り立っており、「歌」と「哀歌」は一体のものである。「哀歌」は「ニーベルンゲンの歌」本体が成立した直後、遅くても本体が公に世に知られる前、1204年か数年後に書かれた。
「ニーベルンゲンの歌」を書き上げたとき、パトロンとその周辺は、愛憎渦巻く血縁社会の虚偽と真実に、また誉れと雪辱の終わりのない復讐に、またその復讐の意志の徹底性に、また、人物の多層性と複雑さに、生気みなぎる生命が破滅していく運命性に、人々は感激し驚愕した。感激から目覚めた後、人々は、キリスト教を表層に留めて、天を仰がぬ勇士たちの行動とその悲惨な結末に、当時の世相からはるか遠く隔たったものを感じ、それを恐れた。そこで、詩才のある聖職者に、キリスト教倫理に貫かれた「哀歌」を書き足たせたと思われる。
特に5万に余る戦死者たちが収容もされず埋葬もされぬまま突然終幕を告げる「ニーベルンゲンの歌」に、パトロンは物足りなさを感じ、「哀歌」では、クリームヒルトの夫エッツェル王に、収容・哀悼・ミサ・埋葬の儀式をさせる。
「哀歌」のあらすじは、クリームヒルトは前夫ジークフリートへの「まこと」という一点において所業すべてが赦されて天国へ昇り、ハゲネはすべての人に糾弾されて悪鬼となり、異教徒の国は滅亡するが、キリスト教の国々は再興するという内容になっている。クリームヒルトの夫エッツェル王のその後も描かれ、キリスト教倫理観でニーベルンゲンの歌の「続編」がどのように書かれているか、関心がある方はぜひ読んでみてください♪
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