#1【個人の尊重と目的の外在化】

『コロナ後の世界には』何があってほしくて、どうすれば皆が楽しく暮らせるのか、一つずつ自分の望みを書いていきたいと思います。

緊急事態宣言も終わりが見えて、これだけ長く続いた社会の急性期も過ぎ去ろうとしています。しかしウイルスが完全に消滅することは無く、まだワクチン等も十分でない中では、引き続きの警戒も必要だと言われています。政府の提唱する新しい生活様式もさることながら、そもそもいつ来るか分からない"第二波"にも私たちは気をつけて暮らしていかなければなりません。
そのような中で、新しい社会の在り方へ向け、我々は着実に歩を進めつつあります。その歩みの道しるべとすべく、これからの時代に予想される変化について、このマガジンでは希望も交えつつ記していきます。

まず一つ目は、【個人の尊重と目的の外在化】です。
個人の尊重とは「一人であること」が増えることとそれに伴って自分一人で下す判断が必然的に尊重されるようになること。目的の外在化とはそのような状況にあってこそ、自分のためではなく他人のための行動が増えていくだろうし増やしていかなくてはいけないということです。

一人であること

コロナの流行で私たちは一人でいることに随分と慣れてきたのではないでしょうか。そりゃあ一方ではオンライン飲み会なるワードが発明されて、飲みニケーション文化は永続するのだなと思いましたが、これまでの人との接触頻度全体で見たらかなりの時間を一人で過ごすようになったように思います。そもそもあの集まりは必要だったのか、なんて言い出す人も出てくる状況です。それは怖いといえば怖いのですが、、(^-^;

ただ、注目すべきは意思決定の場面です。日常の些細な意思決定、今日のランチは何を食べようか、どんな服着て仕事しようか、これまで意識的にせよ無意識にせよ他者の影響を受けてきたこうした些細な判断からもその影響が取り除かれている。仕事のやり取りも対面が減りメールの頻度が上がることで、自分だけで考え抜いた文面で意思表示する機会が増えた。誰かと一緒に遠出をすることも出張もなくなり、ともに生きる上で知らず知らず行なってきた他者への配慮が総数として減ってきているように思います。

これは自立であり、そんなに他人にビクビクして暮らしたくないわという意見には概ね反対するものではありませんが、ここでは価値判断の問題ではなく事実として自律を求められる場面が増えたことに注目したいのです。まさに、一人でいることの増加により「一人であること」が成立する人が自然と増えてきたということなのです。

近代の糊塗

「自立した個人」とは正に近代という時代を語るに使い古された言葉ですが、このコロナに至って再び、そして今度は思想ではなく生活様式という身体的なところから、個人主義が漆がけされることとなりました。

こうして幾度にもわたって完成させられた近代ですが、それを前提にして生きねばならない私たちは、これもまた幾度にもわたって発見してきた現代を生きるための価値観を懲りずに再度発見し強化していかなくてはなりません。

率直に「自立した個人」であることのメリットを受け入れ、個人の判断や選択を尊重すること。一方で、そうした個人の自由は他者の自由を侵害しない範囲でのみ享受されるべきこと。さらに進んで、個人の欲望はつまるところ他者との関わりに見出される以上、最終的には利他的な行動が解となるべきこと。これら価値観を再度、私たちは選択しなければならないのではないでしょうか。

目的の外在化

肝となるのが「目的の外在化」です。なぜ個人の尊重が目的の内在化ではなく外在化という話になるのか。むしろこの承認社会では、なにも難しい話ではなく、我々は既に自分だけでは自分を幸せに出来ないことを身をもって分かってしまっています。自己実現でさえ、本当は他人がいなければ成り立たない夢なのです。

外出自粛でひたすら家にいる生活を送っていると、どうして自分は生きるために生きているのだろうか、というような気持ちになってきませんか。誰かに褒めてもらいたい、誰かに笑ってもらいたい、誰かに必要とされたい、そういった他者を必要とする欲望が我々ヒトを人間たらしめていることを改めて突き付けられたような日々でした。

皆が幸せになるために

誰一人として取り残すことのない世界を、みんなが幸せになる社会を作り上げていくために、この個人主義のいいところを最大限に発揮しつつ、それでも各々がその目的判断を自分の外に設定することで、実現していきたい。

自分を幸せにするためには、他者を幸せにすればいいのだということ。そしてその考えは自分自身の内から湧き上がるものでなければならないこと。これらのことを、コロナ後の世界では大切にしていく人が増えるのではないかなと考えています。

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