#9【東アジア共同体】

『コロナ後の世界には』何があってほしくて、どうすれば皆が楽しく暮らせるのか、一つずつ自分の望みを書いていきたいと思います。地域の結束。

国際関係のパワーバランスは明らかに変動している。インドやインドネシア、ベトナムなどのアジア諸国の発展、中国の覇権国化、日本や韓国の相対的な地位の低下。これらの帰結として考えられることは東アジアの有様が、これまでのような先進国と途上国の非対称な関係ではなく、一定の生活水準を満たす多くの国々が共存するものとして認識されていくということだろう。

いわば欧州のような、経済のみを尺度とすれば基本的に均質な国々によって構成される地域となる。これまでのように我が国日本が投資国のように振る舞い国際開発援助の数少ない担い手として責任を果たすことが求められる環境ではなく、むしろ同じくらいの背丈の国々のなかで如何に独自の存在感を維持していくかという視点で立ち回ることが求められていく。

その中で、危機感を抱かずに茫然としていれば、比較的大規模な経済を擁しますます覇権の度を強める中国があたかも東アジアの宗主国のように振る舞い、その地位を固めていくことを見過ごしてしまうかもしれない。

我が国がこの地域国際情勢にて取るべき戦略としては、全ての国を包摂する形での東アジア共同体の建設であろう。自由と民主主義、人権と法の支配を共同体の基本的価値とする一般原則を揺るぎないものとして確立し、東アジア地域に恐怖と抑圧の入り込む余地がない空間を創出する。そうした共同体の枠組みを以って、中国やミャンマー軍事政権のような逸脱を制し、相互互助のなかで繁栄を謳歌できるような地域を目指す。共同体のそのイニシアティブを取れるのは正に西側先進国としてその価値を体現してきた我が国日本に他ならない。

安倍政権・菅政権と提唱し続けている「自由で開かれたインド太平洋構想」は、東アジア共同体の試行版である。一部の評論家は、米国の懸念などとして、このFOIP構想が日本を宗主国とする戦前の大東亜共栄圏の再来になることを危惧する言説を展開していることもまた事実である。しかしながら、我々は同じ轍を踏むことなく、それでいて地域の結束を深め国際協調を真に実のあるものとする知恵を、この70年余りの間に身に付けたはずである。

国家の共同体そのものを批判することは、現に成功している欧州連合の基本理念までも含めて批判することを意味するのであって、そうした批判は当たらないと言わざるを得ない。また、そうした構想をするのが日本国だという点のみをもって戦前の再来と批判する向きは、自虐史観の極致として冷笑の対象となることは避けられないだろう。

東アジア各国の経済成長が間もなく成熟段階に突入するその前の今の時点で、共同体の理念を確立し、リーダーシップを確立すべく戦略的に行動しなくてはならない。「自由で開かれたインド太平洋構想」の更なる発展を支持したい。そしてその先で、平和で繁栄した東アジアの実現を目指したい。

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