#2【信頼の主題化】
『コロナ後の世界には』何があってほしくて、どうすれば皆が楽しく暮らせるのか、一つずつ自分の望みを書いていきたいと思います。第2弾。
建設的な批判と心ない中傷の境い目はどこか、このコロナ騒動の中で度々考えさせられたことでした。そして、その答えを出すためのキーワードが「信頼」だと思うようになりました。コロナ後の世界には、信頼をメインテーマにする、【信頼の主題化】を期待したいなぁって考えています。
感染者への冷たい目
とても分かりやすい話からするならば、ある人が感染したとして、それが本人の不注意のせいだと思うのか、コロナの流行下で仕方なかったよねと思うのか。その分かれ目が、感染した人に対する「信頼」だと思うのです。
その人は普段から手洗いをしっかりしていて、不要不急の外出もせず主に自宅で過ごしていて、それでもどうしても会社に行かなければならなくなった時にたまたま電車で乗り合わせた人からうつされてしまった。そういう訳だったのだろうし、まぁ仕方ないよね、不運だったよね。こんな時にクラブとかで濃厚接触しているわけないもんね。”信頼できる人だもの”。
この信頼は、決して顔見知りだけに通用するものではなく、むしろ、顔も名前も知らない誰か、それでもこの同じ社会で暮らしている誰か、「顔の見えない隣人」に対して、いかに信頼を寄せることが出来ているかがポイントになると思います。
この想像社会への信頼が、日本は欧米に比べ圧倒的に低い。それが「感染は自業自得」と思う割合が異常なほど高い大きな要因だと考えています。
そしてこれは、心ない中傷に繋がりかねないという点で全く好ましいことではありませんし、いざ自分が感染者になってしまった場合に必要な扶助を社会から提供してもらえる可能性を自分たちで削っていることに他なりません。感染症なんて自己責任で治せるものではありません。他者への信頼が無ければ、他者への助けもなく、回りまわって自分もいざという時に助けてもらえないなんてことになってしまいます。
政府への批判
もう一つ、批判が巻き起こっているのは政府の対応についてでしょう。記事にある通り、経済対策が煩雑で使いにくいという要因は確かにありますが、ここでは他の仮説を取り上げたいと思います。それが政府への信頼です。
経済の惨状はどの国もさして変わりありません。営業禁止命令を出せない日本ですから、中途半端な自粛での苦しみと不十分な支援ということになっています。一方、諸外国では完全な営業中止と十分な支援になっているということですが、トータルで比べた時にどちらが事業へのダメージが少ないかということについては、どんぐりの背比べだとも言えます。
その中で、死者数が圧倒的に少ないために、「日本は必ずしも、国民を守るという意味では極端な失策をしたというわけではない」とも評価されています。身近な人が亡くなっていない、街が死体の山になっていない、このことをもって政府を評価することだって論理的には可能です。
総体として見たときに、日本政府のコロナ対応が諸外国に比べ劣っていると客観的に判断できる状況ではまだ無いですし、これからも無いかもしれません。
そして世論調査の回答は、証拠に基づいた判断ではなく、自身の感覚で答えている人が多数だと思いますが、その人たちが現に諸外国に比べ苦しい生活を強いられている割合はどのくらいでしょうか。実は大半が、減給のないサラリーマンで少し出歩くことが不便になったという程度の不満である可能性だって十分あります。それはわが国でも欧米でも同じです。
違うのは、そんな日常に対する不満のはけ口が政府かそうじゃないかではないでしょうか。この状況は誰のせいなのか、その考え方の根本的な違いが世論調査の結果に表れていると考えることも可能だと思っています。
そして、我が国は政府に対する信頼が圧倒的に低い。それ故に、苦しみの度合いはそれ程変わらないのに、日本ではこの苦しい状況の責任は政府のコロナ対応にあるという結論になる。悲しいかな、そんな推論さえまかり通ってしまいます。
政府への信頼が低いのが何故かはここでは突っ込まないことにして、確かに言えるのは信頼できる政府を持つことが国民の幸せに繋がるのだということ。
信頼の主題化
望みはどこにあるかというと、「信頼」というもののあるべき姿を社会全体で考えていく時代にしましょうよというところ。上につらつら書いたのはその一つの試論でしかなくて、兎にも角にも「信頼」をキーワードに世界を読み解いて、「信頼」を道しるべに世の中を歩いていくことが出来れば、ひとつ幸せな毎日が来るんじゃないかなって思うのです。
結婚だって結局は相手への信頼でしょ。見た目や年収や価値観なんて条件がどうのって言うけれど、最後にはそんなの何一つ満たさない好きなだけのやつを信じてくっついたりするのが当面幸せだったりする。
政府も信頼がなければ何もできません。世界は良くもなりません。いま話題になっている検察庁法改正案などもいい例でしょう。法律で全てのケースを想定するのは無理な話なので、もともと制度なんて政府の運用次第でどうにでもなります。それは世の中全ての”ルール”に言えることで、肝心なのはルール執行者への信頼です。
平時には自分のテリトリーに侵入して来るなと自主自立を主張するくせに、非常時になったらあれもこれもと要求する、見知らぬ他者に対して自粛警察みたいな振る舞いをする。これも相手の行動に対する信頼の欠如がなせる業ですよね。
願はくは、他者への信頼を篤くし、自らを含めた社会全体を利するように他者が行動してくれていることを想い、その献身に対して建設的な批判をしつつも、最後には座して見守る人の多からんことを。そして、自らも信頼する他者のために、他者を愛すとともに適度な見返りは求めつつ、健全に関係性の中に位置づけられる人の生まれんことを。
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