#7【米国の没落、中国の浮上】

『コロナ後の世界には』何があってほしくて、どうすれば皆が楽しく暮らせるのか、一つずつ自分の望みを書いていきたいと思います。国際政治。

感染状況を外形的に評価するならば、今般のコロナ禍で自由を重んじる民主主義国より管理を徹底する権威主義国のほうが感染症抑制に成功しているという事実は必ずしも否定されるものではないだろう。

西洋諸国でも最終的には厳格なロックダウン措置に至った国が多いものの、ある程度のエビデンスと国民的理解が得られたと判断されるまで実効が躊躇われたのは事実である。一方で、発覚の初期段階から武漢封鎖を始めとした自由民主主義国では考えられないような大胆な措置を実施した中国では、通常の経済活動に復帰したタイミングも比較的早かった。

重要だったのは国際的趨勢と比べた時の〈差異〉である。数多の先進国が感染症に苦しんでいる時期(2020年夏など)に、既にある程度の収束をみており、国際世界の観察者たちに自国の比較的優位な地位を知らしめた。中国がその地位を利用し、医療物資の供与や感染管理システムの輸出、ワクチンの提供を行なうことで外交的に成果を収めているのは、我が国でも危機感をもって報じられている。

米国はトランプ政権下でWHOから離脱を表明し、いち早く国際協力を放棄する態度を示した。中国がWHOに不当な影響力を行使している疑いは確かに正当なものであるが、あくまでも元来無色透明な場であるWHOでの主導権争いという形で闘争を行なえばいいものをいち早く自国優先の殻に明示的に閉じ籠ってしまったことは、援助を期待するその他大勢の一般国家の支持を失っても仕方ない判断であった。米国が世界の警察官、もとい世界の首領として振る舞うことを放棄してきたオバマ政権後期からトランプ政権にかけての10年弱はコロナ禍で一つの集大成を見せてしまったといえるだろう。

権威主義・中国の人権度外視の感染症対策、民主主義・米国のアメリカンファースト世論を背に受けた国際協調離脱、それに付随する両国の行動やそれらと関係のないその他いくつかの事情を原因として、コロナ後の世界でパワーバランスの変動が定着してしまうことは避けられない。この条件下で、我が国の国際政治上の立ち振る舞いでいかに軌道修正ができるか、またバイデン新政権がいかに巻き返しを図るか、注目されるところである。

未来予測をする前に、パワーバランス変動の原因となった米中両国の行動とは関係のないその他いくつかの事情を先に指摘しておこう。
一つは、グローバル化が旧西側諸国のみではなく全世界の所与の条件となった現代に発生した感染症だったということである。国際的な人の往来も一部の国々の間だけでシャトル的に行なわれていたのではなく、様々な経済レベルの国々を駆け巡るように為されている。感染症が海の向こうの出来事ではなく、自国や自身にとって重要なことだという意識が必然的に国際政治の場で”頼れる大国”の存否に関心を集めていった。
もう一つは、第三極の不在であろう。EUはもはや結束を失い、ASEANも同様に東西からの浸潤を許してしまっている。第三の選択肢を提示しようとする試みは、いつの時代も旧来の二大巨頭の対立の中に吸い戻されてしまう。それはきっと新たな選択肢だと思っていたものも真に対立軸となる事項ではなかったという当たり前の事実に起因する。地域の結束も古来から両陣営が唱えてきた拡大戦略の大原則であったではないか。
他にも、一般国民の生命身体に直結する事態だったこと、目に見えずいつの間にか側に迫っている恐怖であること、不運にもいくつかの国で民主化プロセスに綻びが見え始めたタイミングであったこと、世界がイスラム過激派の専制体制の恐ろしさを忘れかけていたこと等が挙げられる。

さて、今後の世界だが、何もよりもまず我が国としてはしっかりとポジションを取ることが必要であろう。安倍外交は在籍期間がある程度物を言う首脳間レベルで一定のイニシアティブを取ることが出来ていた。弾になる「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」も秀逸な構想である。ただあくまでも、自由経済の旗手として明確に振る舞う一方で、政治体制の是非については深く入り込まない、そうした実利主義の外交姿勢で我が国の伝統を継いだものであった。菅政権に替わって、アドバンテージを持たない新人として振る舞いを直さねばならない中で、前政権から引き継いだ立派なFOIPの弾をどのように使っていくか。中国の台頭を背景として俄かに人権外交重視の風合いが出てきた国際政治の場で、我が国として”色塗り合戦”に参戦していくのかどうか。実体としてのパワーを備えることやメンバーシップを明確化すること等は必要かもしれないが、FOIP自体は十分に色塗りに堪えられる素地を持っていよう。成熟した大国として、国際政治論争の場に名乗りを挙げることを個人的には期待したい。
米国バイデン新政権も国際協調の場に復帰する方針である。米国の言う国際協調とは、自らがリーダーでいられる限りにおいてであり、主導権争いにおいては敵を明確に意識した国際競争である。大きな趨勢は動かしようがないので、せめてこれからの競争の時代がインターネットの開発などに見られたようなイノベーションを生み出すような、人類にとって健全な競争となるように祈りたい。我が国もどこではなくて我が国そのものとして、その両足でしっかりと立ち向かっていきたいところだ。

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