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クラウン*ベスのアメリカ体験記 vol.26

米国で”地上最大のショウ” リングリングサーカスのブルーユニットに入団したエリザベス! 今回は前回の続きでガボンから来た赤道サーカスについて綴ります。


Ringling Bro. and Barnum & Baily のサーカス、「The Greatest Shoe On Earth」は、130年近くにわたり、地球の果てからユニークで珍しいアクトを観衆に披露できることに誇りを持っています。
128thエディション「サイドショー」では、アメリカ初、ガボン共和国からアクロバットチーム、The Circus Of The Equator、通称「赤道サーカス」が加わり観客を楽しませることになります。ガボン共和国は、アフリカの大西洋岸の赤道沿いに位置し、人口約244万人。赤道ギニア、カメルーン、コンゴと国境を接しています。大部分は鬱蒼とした熱帯雨林に覆われており、一年を通して気温は暖かく湿った状態が続きます。 80以上の部族が存在するガボン共和国は1960年にフランスから完全独立を果たした民主主義国です。
この男性チーム22人のメンバーは自国ガボンのリズムと彼ら独特のワイルドな装飾ないでたちのプレゼンテーションで彼らの運動能力を頂点に引き上げていきます。本物の民族衣装を着て複雑なアクロバットを披露するこのショーは、ガボンの芸術的な腕前と熱意に満ちた精神の輝かしいサンプルであり、五感を刺激する味わい深いパーティです。彼らは自分たちの体だけを積み木として使い、3~4人が乗れる高さの塔を建て、そこからスワンダイブや逆宙返り、その他気まぐれなアクロバットを行います。彼らは火の上を飛び越え、高く飛び跳ね、ガボンの楽器の狂詩的なリズムに合わせてしなやかにお互いに調子を合わせて踊ります。

「赤道サーカス」のオープニング。中央のアーティストの角笛に合わせて踊る一座
4人で作る塔

1982年に設立された「赤道サーカス」は、ガボン周辺の州の若者に無料のアクロバットの訓練を提供しています。そして彼らはヨーロッパ中興行し今回アメリカでデビューをすることになります。赤道サーカスが使用する楽器は伝統的なガボンのオーケストラを形創っています。
「Missoumba」は座って叩く長いドラム。
「Dourigou」は足の間で挟んで叩くベースのドラム。
「Obaka」(日本人にとっては面白い名前)は細長いバーを方で叩く打楽器。
「Essendsa」は、乾燥した種が入った木の実を使用したマラカス。
「Poungue」は、 一座の登場をガボンの精霊に知らせるためにアクトの最初に吹かれる角笛。

パーカッショニスト達

メンバーの一人はこう言います。「僕たちはハイエナジーで自由に流れ、ノンストップで常にお互い作用し合っているんだ。」
彼らは「The Greatest Shoe On Earth」家族のアーティストとしてエキサイティングでエキゾチックな要素を提供している赤道サーカスに誇りを持っていることでしょう。

運動神経抜群の彼らはショーの中のパレードでは長いスティルツを履いた足長のモンスターの出で立ちでフロアーを歩き回ります。

リングマスターの隣と写真後部に立つパレードの足長モンスター達
パレードでモンスターの足長を演じるメンバー達

彼らの国の公用語はフランス語。アメリカでは黒人たちがフランス語で会話をしているのを見るのはとても稀です。エネルギッシュでワイルドな彼らがフランス語の独特な上品な口ぶりでお互い喋っている光景は私にとってとても興味深いものでした。フランス語は全くわからない私はフランス語会話で意思疎通をすることはなかったけれど、つたない英語で話したことはありました。性格は人によりけりだけど、目を合わせればにっこり笑います。私が感じた彼らの印象はシャイで控えめな性格だなということ。それでも若くてハンサムでアスリートの彼らを女性ファンたちは放っておきません。オフの日はメンバーたちは興行中の地元で出会った女友達とデート。フランス語中心の彼らが英語圏のアメリカでどうやってデートの約束をしたのか不思議なくらいたくさんのガボニーズたちが個々にデート。私達がリングリングサーカスに入団したのはツアー2年目の年。他の団員の話によると、1年目に回った興行都市で「赤道サーカス」の女性ファン達が生まれ、中には追っかけやサーカス列車に寝泊まりしているガールフレンド達もいるとか。私もオフの日に何度もデートをしているメンバーを見ました。面白いのは、彼らガールフレンドは皆大柄で日本で言えば太り過ぎの域に達している体型の女性達です。前に、アフリカでは女性はふくよかなほど美しいとされる、という話を聞いたことがあったけどそれは本当なんだな、と実感しました。

このツアーの後メンバーの一部はアメリカの他のサーカスで仕事を見つけアメリカに残り、このツアーで知り合った女性と家族を築いて行った人もたくさんいました。生活が安定しない国出身のアーティスト達はリングリングサーカスで働くことになった後、自国へ戻らずアメリカに残る方法を思案して居残るというケースは多々ありました。リングリングサーカスで働いた時からこそ見た外国アーティスト達の人生の一部なんだと実感しました。彼らは今どうしているんだろう。

続く。。。


書いたのは、

エリザベス

1990年クラウンカレッジジャパン2期卒業生。7年間日本でクラウンとして活躍後、渡米。アメリカとカナダのサーカスで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。現在アメリカ在住。

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