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クラウン*ベスのアメリカ体験記③

前回までのあらすじ:
エアロビクスのインストラクターからCCJを経てプロのクラウンになったエリザベス。大阪の花博を通じて、後に生涯パートナーとなるスティーブ・ロウと出会い、日本でコンビを結成し各所でパフォーマンスを始めました。


日本のサーカス

千葉のサーカスレストランでパフォーマンスをし始めた頃、同期のクラウンカレッジ卒の友人から柿沼サーカスで仕事をしているという話を聞きました。

えっサーカス?ウソー、いいなあ、
えーサーカスでの仕事ってどんな感じなの?
もう私の頭の中はサーカスでいっぱいです。

実は私、クラウンカレッジに行く前に本物のサーカスを見たことがありませんでした。子供の頃、母から「悪いことするとサーカスに売るよ」なんて言われて育ったので、自分の中でのサーカスのイメージははっきり言ってよくなかったんです。何か不気味で危なくてまともな人が関わってはいけないところ、みたいな。

ところがクラウンカレッジへ行った時にこのサーカスの暗〜いイメージが一変しました。校内のあちこちには本場RBBBCサーカスでパフォーマンスをするクラウンの写真が掲示されていました。その写真は、広いアリーナ内で大勢の観客を背景にクラウンがパフォーマンスをしているもの。満員の観客はわくわくしながらクラウンのパフォーマンスを楽しんでいるんだろうなとエキサイティングでポジティブなイメージがどんどん膨らんでいきました。

柿沼サーカスの話を聞いた後、私から友人への質問はエンドレス。
テント内での仕事はどんな感じなのか?
バックステージは?
お客さんのリアクションは?
団員の人たちはフレンドリー? 
私の想像を超える未知のサーカスの話を聞いた後、一度はサーカスでパフォーマンスをしてみたいと思うのは全く当然のことでした。

なんと木下サーカスへ

それから約3年経った頃、知り合いから、「木下サーカスでクラウンを探しているんだけど二人コンビでやりませんか?」という話があり、スティーブと私は即OKしました。私は初めてサーカスでクラウンができるということでただただわくわくドキドキ。

スティーブは「花博」以前に、本場アメリカで1年間RBBBCでクラウンとして働きましたが、日本でのサーカスは今回が初めて。仕事が正式に決まった時は、二人とも不安はあったけど興奮の方がずっと大きかったです。

木下サーカスに出演し始めた頃

ギャグや小道具などは今までのクロースアップのショーのものから遠距離用に変えました。

当時私たちが採用された時、木下サーカスでのクラウンの役割はサーカス芸の幕間をカバーすることでした。
その頃は創立90周年くらいの歴史があり、ショーの運営も昔の面影が残っていました。昔は一つの芸が終わると次の芸のセッティングができるまで暗転状態。観客は真っ暗い中で辛抱強く待っていました。
ここでクラウンを登場させて、ギャグが終わると次の芸がスタートするようになったのです。

木下サーカスのプログラムより

ショーをスムーズに進行させ観客を飽きさせないためには、デッドタイムを作らず常に何かしらパフォーマンスが行われているというのは、今では当たり前のことですが、今思えば、昔のままの歴史ある日本のサーカスの伝統を、少しずつ今の人たちに受け入れられるようにするために、画期的な役割を私たちクラウンは担っていたんですね。

続く・・・


書いたのは、

エリザベス

1990年CCJ2期卒業生。7年間日本でクラウンパフォーマンス後渡米。アメリカ、カナダで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。

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