【お題箱】人並みの幸福を求めて

スクリーンショット 2020-02-20 15.18.38



何度も見た写真。
セーラー服を着て楽しそうに笑う、僕によく似た顔立ちの「母」。

10代にして僕の父親に当たる男に強姦されて僕を孕んでしまった母は、僕の命を自分の言葉一つで殺せてしまうことが怖くなって育てることもできないのに生む選択をしたらしい。

母はいつも、僕のポケットの中で若い姿で笑っている。
おばさん曰く、母がまだ生きているのならもう40代になるらしい。
今日も写真を挟んだ手帳を握りしめて、いつか再び母と出会える日を待ち遠しく思いながら今日も足をすすめる。

「今日こそは母に会えるかもしれない」、「おとなになった母に出会えたならば、きっと僕をそばに置いて今度こそ愛してくれるはず」だなんて浮かれた足取りで母縁の街を歩く。

……今となっては、「一生そんな夢を見続ける日々を送ることができればどれほど幸せだったか」と思う。


その日は確か、同僚の誘いを断って空が明るいうちに帰路についたのだったか。
会社のすぐ近くの病院の前のバス停で、何度も見た写真の中の母を少し丸くしたような女性が座っていた。
たったひと目で僕は彼女が母だと確信し、バスを待つ彼女に話しかけたのだ。

当たり障りのない世間話の切れ目に自分の身の上を話したり常に手帳に挟んでいる母の写真を見せれば、案の定彼女が紛れもない自分の母親であることがわかった。
母が僕と出会えたことを泣いて喜び、またそれがどうにも嬉しくて時間を忘れるくらい母の肩を抱いた。
幸福だったし、この時間が永遠に続けばいいとも思ったが後ろからかけられた低い声が僕達を現実に連れ戻した。
「私の妻に何をしている」

 その場で母が事情を話し弁解してくれたためその場は丸く収まったものの僕の頭は真っ白で、母と男の間でポンポンとかわされるやり取り一つ一つに目を白黒させられることになった。
かろうじて理解したことといえば、「母が幸せを手に入れたこと」「まだ平らなそのお腹に僕の妹がいること」「男は母の過去について知った上で母と結婚したこと」の3つだけ。

男ははじめ、突然現れた30代の息子に混乱しながらも僕のことを受け入れようとしてくれた。
「母と幸せに暮らしたい」その一心で僕は母を探していたため男がいることには驚いたものの、強姦され10代で僕を生むことになった母が人並みの幸せというものを得ることができたということは純粋に喜ばしいことで、少しばかりのむず痒さと居心地の悪さを感じながらも僕は男を素直に受け入れることができた。

しかし、妹は別だ。
僕は母にあいたくて、母に負担をかけず幸せだけを与える日々を送りたくて母を探していた。
しかし子供ができたらどうしても母に負担がかかるし、子供がいる夫婦の間で腹違いで30代の僕はどうあがいても邪魔者だ。
愛情は当然妹の方に行くだろうし、立ち位置も使用人か親戚のおじさんが関の山だろう。
祝福されて生まれることが決定している妹に対して、大人気なく嫉妬心が湧く。
生まれてくる妹には僕が味わったように、だれも愛してくれず情だけで生かさせてもらえる毎日を送ってきたらいいと思った。
そして妹が大きくなってまた僕と同じように母を見つけたら、この席を替わると約束してもういから少しでも多く母の一番で居たかった。

それでも、現実は僕にそんなことをいう権利を与えない。
そんなことを言おうものなら母からは絶交を言い渡され、望んだものとは真逆の孤独を手に入れることになるだろう。
感情を押し殺して我慢する他ない。
我慢する他ないけれど、譲りたくはない。


ああ、憂鬱だ。
今日も母のお腹は少しだけ大きくなっている。
こんな惨めな気持ちになるのなら、出会うことなく夢だけを持って母を探し続けていたほうがずっと良かった。
母は父と二人で妹が内側から腹を蹴ったことを喜んでいる。

きっと一週間後に控える出産予定日には一層ひどくなった感情を抱えながら、僕は幸せな一家を一歩引いた場所から眺めていることになるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?