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命のゆらぎ

中央分離帯で逡巡するような人生だ。
僕の目の前には、車がビュンビュン走っている。
後ろを向いても、車がビュンビュン走っている。
僕はどうやってここまで来たのだろうか。
わからない。
わからないが、もう後に引けないことはわかっている。
これを渡り切った向こうには、君が待っている。
ほら、今も手を振ってくれた。
君のことはよく知らない。だけど、僕がここに来た時から君はそこに居て、その笑顔を見た時から、僕は君のもとへ行かなきゃいけないと強く思ったんだ。
また、笑いかけてくれた。
君のその零れるような笑顔は、立ち往生している僕にとって光だ。
待っていてくれ。すぐに行くから。


タイミングを窺う。
今、今、今、今、今……
目は動く。頭も理解している。足のリズムも合っている。
あとは心だけだ。心が追い付かない。道向こうに置き忘れてきてしまったのだろうか。
今、今、今、今、今……
向こうには君が待っている。僕が来るのを待ち望んでいる。
今、今、今、今、今……
視界の端でなにかが走った。
バン……ぐしゃ。
ああ、これは僕だ。
焦って飛び出し、轢かれ、独楽のように宙を舞って、無様に落ち、自分の足元で喘ぐ肉塊にそう呟いた。
車が濁流のように唸りを上げている。
もう無理だ、きっと僕もしくじる。
そもそも、ここに来れたのだって奇跡だ。
僕は、どうやってここまで来たんだ。
僕は、なんでここに来ようと思ってしまったのだろうか。
僕は、僕は……


ポツン。
冷たい雨が頭を濡らした。
顔を上げると、バケツをひっくり返したように雨がザーザー言い始めた。
その雨のカーテンの向こうで君が必死に手を振っている。
がんばれ、がんばれ、がんばれ……
頑張るんだ。そうだ、僕は行くしかない。
できる、ここまで来れたんだ。
失敗したあいつは明らかに焦っていた。
僕は違う。
頭も冴えている。気力も漲っている。君が待っている。
よし、いくぞ。


ごん。
足を出した刹那、その足に燃えるような痛みが走った。
咄嗟に後ろにのけぞる。
鼻を車が掠って行った。
折れたな。地面に倒れこみながらそう思う。
雨で視界がぼやけ、車が見えていなかった。
結局おれもあいつと同じじゃないか。
なんだか笑えてくる。
もう無理だ。こんな足では君のもとへは行けない。
気持ちとは裏腹に通り雨は過ぎ、雲の隙間から光が覗く。
その光の下で、君は笑い、手を振っている。
……笑っている?
足が折れてるんだぞ、見えてないのか。
君に会おうとして、折れたんだ。少しくらい心配してくれてもいいだろう。
怒りが込み上げてくる。
しかし、君が僕を見ていないことに気付いた。
僕の後ろを見ている。
なんだ?後ろを振り向くと、大きく手を振り返している彼がいた。
なんだ、そうだったのか。
結局僕は独り相撲をしていただけなのだ。
大好きな彼を待っていた君が、僕を待ち望んでいると思い上がって、独り骨を折り、独り憤慨している。
滑稽じゃないか。

しかし、あの奮闘していた時間は嘘じゃなかった。
僕にとっては大切な時間だった。
だから、後悔はしない。
逆恨みもしない。
僕が彼を君のもとへ送ってあげよう。


「おーい、聞こえるか。君は彼女に会いたいんだろう?」
彼は少し驚いて、そして頷く。
「見ての通り、僕はもう向こうへは行けない。だから、今からそっちの道路に飛び込む。そうしたら、少しは車の流れも緩まるはずだ。その間に、君はこっちに渡るんだ。」
彼の反応は見ない。彼はきっと僕を止めるだろう。
それを見てしまったら、もう怖くなる。
だから、僕は飛び込んだ。

その瞬間、すべてを思い出す。
僕が彼の場所にいたときのこと。
僕がそこで尻込みしていたら、男が中央分離帯から声を掛けてくれたこと。
男も骨折していたこと。
男が道路に飛び込んだこと。
その間に僕が中央分離帯まで走り抜けたこと。


バン……ぐしゃ。
薄れゆく意識の中で、君は意味ありげに笑っている。
手を振っている。いや、手招きをしている。
魂となった僕はその手に吸い込まれていった。

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