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片時雨

  朝。昼。夜。
  天。地。人。
  父。母。子。
  過去。現在。未来。
  信号の青。黄。赤。
  好き。嫌い。無関心。

  だから、
  じゃんけん、ぽん。


病室みたいなベッド。手錠。格子付きの窓。
それらがこの監禁部屋を構成するすべてだ。
そう、私はこの部屋に監禁されている。誘拐され、監禁されている。
もうずいぶん昔のことだ。あれからどれだけ経ったのかわからない。どのように誘拐されたかも、もう覚えていない。
当時はずっと泣いていた。朝も、昼も、夜も。赤子のように。
しかし、いつだったか忘れてしまったが、ある日の朝、泣くことを止めた。泣いてもどうにもならないと気付いたのだろうか。いや、単に泣きすぎて体内の水分が枯れてしまったから、涙が出なくなっただけなのかもしれない。
いづれにせよ、泣くのを止めたとき、私は私の現在を受け入れた。過去はなかったことにした。私はここで生まれたのだ、赤子のように。そう思うことにした。

監禁されているとはいえ、それなりの生活はできている、と思う。ふつう、が何か知らないからほんとのところはわからないけど。でも、襲われたことはないし、殴られることもない。ただ、この部屋から出られない。ただ、それだけ。

格子付きの窓からは、空が見える。晴れていたり、曇っていたり。
雨の日は、雨の匂いがする。湿った匂い。雲から雨が零れ落ち、土に滲み、蒸発して私の鼻に届く。世界が私の中に入ってくる。私の世界は誰かの世界と繋がっている。そう実感する。
この監禁から解放されることに未練があるわけではない。もう、そんなことはとっくに諦めている。それに、もし解放されたとて、私はひとりで生きていけるのだろうか。ふつうを知らない私に、ふつうに生きて行ける場所などあるのだろうか。
ぽつり。雨が地面を打つ。
雨をこの身に感じていた頃の記憶はない。しかし、きっと不快に思っていたのだろう。髪が濡れるだとか、湿気がどうとか。そんな情緒のへったくれもないあの頃よりは、空の変化を感じ取れる今の方がずっと人間的だ。そしてその変化を誰かが共に見ているかもしれないと思う、そのひとかけらが私の輪郭を明瞭にするのだ。他人の生から遡及的に自らの生を自覚する。雲から零れ落ちた雨が、蒸発して再び天へと帰って行くように。

私を監禁している男は、いつも別の部屋にいる。だけど、どこかで監視はしているらしく、誘拐された当初逃げようとしたらすぐにつかまった。そしてしばらくベッドに手錠で繋がれた。
夏のことだった。
じめじめと手錠が蒸れて汗ばんだ。不快だった。泣いた。喚いた。暴れた。
しかし、手錠の形に青痣ができただけだった。この腕を切り落としてやろうと思っていたのに。
わかっていた。そんな勇気は私にはなかった。こんな時でさえ勇気が出ない自分が惨めだった。しかし、抵抗したという事実に少しだけ満足し始めていた。青痣による痛みは抵抗の証だった。
あれは、夏のことだった。



監禁生活には、奇妙なルールがあった。朝、昼、夜に男とじゃんけんをするのだ。
それに勝てばご褒美がもらえた。

グーで買ったら、食べ物がもらえた。
今朝は、サンドイッチだった。ハム。レタス。チーズ。美味しいかはわからなかった。ふつう、が何か知らないから。
でも、一昨日食べたナポリタンよりはましだった。ウインナー。玉ねぎ。ピーマン。
一昨日はひどく泣いていた。ひとりでずっと、泣いていた。窓の向こうは真っ青に晴れていた。鉄格子が反射して潮騒のように光っていた。空を反射した涙はきらきらと光り、私はナポリタンを口に運んだ。運ぶ、という作業をしていた。私の目的は泣くことだった。だから、味なんてしなかった。いつの間にか入道雲が現れていた。夏が来てしまっていた。
夏に入ると、あの青痣を思い出す。手錠の形の青痣。抵抗の証。私はちゃんと抗ったのだ、という証。それでも無理だったのだから、仕方がない。これは勲章。私だけのもの。
だから、ナポリタンのついたフォークで手首をそっとなぞってみた。
斑模様の赤が、手首に付着した。
その上に、涙がそっと零れ落ちた。
透明な涙は、赤い斑点の上できらきら光っていた。
途端に、自分がひどく惨めに思えた。
そして、自分を惨めだと思っている自分にひどく腹が立った。
苛立ちは私の右手を勢いよく上げさせ、そのまま左手首に振り下ろさせた。
鮮血が飛び散る。
――はずだった。何も変わらなかった。
それでも、何も変わらなかったのは私のせいだとは思いたくなかった。
だから、空のせいにした。空と繋がる誰かのせいにした。

どうして、誰も私を助けてくれないのか。そもそも、私を助けようとしてくれた人はいたのか。その人は、今何をしているのだろうか。

誰かのせいにしても、何も変わらない。その誰かにこの願いが届くわけもない。
……片思いみたいだ。
寂しく笑う。ずっとひとりなのに、まだ寂しいと思う。
蒸れるような暑さと裏腹に、私の心は冷えた金属のように凍っていく。


チョキで勝ったら、本がもらえた。
退屈な生活、本は良かった。私が侵害されないことが保証されているから。それでいて私は一方的に虐めることができるから。登場人物を、あるいはそれに成り切った自分を。
昨日の朝、男は前日荒れていた私をなだめるように一冊の本をくれた。その本では吐き気がするほど正義感の強い主人公が、挫折を経て、結局は成功するお話だった。
主人公が挫折のどん底にいた時、「置かれた場所で咲きなさい」と博愛主義の偏執狂が語っていた。偽善的な薄ら笑いが文字を通してありありと浮かんできた。
「私も、ここで咲くべきなのでしょうか。」
私はそう言いながら、そいつをこのフォークで刺してやるのだ。そいつはどんな表情をするのだろうか。
怯えるのだろうか。――馬鹿なんだろうな。人を救うのに、掬うことだけを目的にしているからだ。掬うのならちゃんと別の水槽に入れてくれ。中途半端が一番苦しいのだ。
謝るのだろうか。――お門違いだ。私が監禁されているのは、あの男と、私のせいだ。お前の入る隙間なんてない。憐れみなんて必要ない。私が欲しいのはそんなものじゃない。
最後まで薄ら笑いを続けるのだろうか。――そう、それでいい。そのまま、笑ったまま死んでくれ。お前の世界では、それが正しいのだ。自分は正しいのだと、微塵も疑わずに死んでくれ。
そうすれば、私は救われる。

しかし、前日自分を傷つけられなかったフォークで、先に他人を傷つけられるのは、いささか不公平な気がした。外で、蝉が鳴いていた。少し、暑いなと思った。


パーで勝ったら、酒がもらえた。
世間的には、成人してから飲むものらしいが、私にそんなものは関係ない。未成年では酔って迷惑をかけるからきっと禁止されているのだろう。私には迷惑をかける人がいない。
私の世界は、この無機質な部屋で完結している。格子付きの窓はいつも開いているけれども、出入りができないという意味では閉じられている。空いていて、飽いている。
だからここには、滞留した空気が淀んで充満している。私はこの空気を吸って生きている。この世界の空気のことなら全部知っている。
ふつうはそうはいかない。皆の世界は広すぎる。すべての空気を吸うことなど出来るはずもない。だから、あんなに吐いてばかりいる。激情を。憂鬱を。ため息を。
しかし、かえって私は吸ってばかりだ。吸って、掏って、擦って。
そんな時、酒は吐けるからよかった。
酒をもらった時は、すぐには飲まず何回分か貯めた。そして、吐けるくらい貯まったら浴びるように飲んだ。そして吐いた。吐きながら飲んだ。
でも。激情、ため息、憂鬱は吐かなかった。儚かったから、吐けなかった。

ある夕方、そんなときに男が入ってきたことがあった。珍しかった。酒で気分が高揚していたから、心に仕舞っておいた疑問が口から零れ落ちた。
――なんで私を誘拐したの?
男は答えなかった。そのまま踵を返して出ていこうとした。その背中を黄昏が染めた。
なんとなく、わかった気がした。
彼も寂しい人なのだろうな、と思った。
許すとか赦さないとかではなかった。ただ、寂しいことは私にも理解ができる感情だった。
彼をそっと抱きしめた。
彼は何も言わずに出て行った。
私も何も言わずにベッドに入った。枕がいつもより優しく私を受け止めてくれた。
その日は吐かなかった。



私は今日も本を読む。
青春群像劇、主人公がこんなことを言っている。
「出産にかかる費用って、50万らしいんだ。じゃあ、葬式にかかる費用はいくらか知ってるか?――200万だ。この差額がおれらの生きた証なんだろうな」
50万円の生。
200万円の死。
どうなんだろうな。きっとこう考えることもできる。
人が生きることに値段をつけるとしたら、きっと50万なのだ。そして、人が死んで遺された人たちが生きていくための値段が、200万なのだ。
そこまで考えたところで、死んではいけない、と言われているようで少し嫌になった。死ぬことくらい好きにさせてくれよ、と思った。しかし、私が生まれてきたのも、この場所で再度生まれたことも、どちらも私の意図ではなかった。だから、死も同じように勝手に決めるのは不公平だと思った。
それと同時にこんな考えも浮かんできた。
もし。私がこのフォークで自殺したならば、どうなるのだろう。葬式なんてきっとされない。
このフォークは100円。
50万円の生。
100円の死。
そんなもんか。
凍っていく鉄の心には気付かないふりをする。鉄になった心はもう何にも動じない。

もともと、人は生まれた時には何も持たない。身一つで生まれてくる。それなのに、成金のように少しずつ何かを持ち始めて、それが当たり前になり、気づけばそれが失われることを嘆き始める。そうして死へと向かう。
ただ、私の場合それが早かっただけなのだ。失ったのではない。一足先に生まれた場所に戻るだけのことだ。
蝉が鳴いている。蝉は一週間しか生きられないらしい。しかし、それを蝉は嘆くのだろうか。

きっと、私は明日も同じくこの部屋に監禁されている。
最近はじゃんけんにほとんど勝つ。そして、食事か、本か、酒をもらっている。

ああ、でも夏はもう嫌だな。暑い。暑ければ暑いほど私の心は凍っていく。
夏がなくなればいいのに。春、秋、冬。四季じゃなくて三季。死季じゃなくて産季。
いや、もしかすると、夏がなくなったら、秋は訪れないのだろうか。
永遠に来ない秋。永遠に来ない飽き。
それもいいかもしれないな。
明日も、一週間後も、一年後も同じ生活が続く。きっとそうだ。これが私のふつう、だ。

青痣を青空に透かして見る。
蝉が、鳴いている。泣いている。凪いでいる。






チューリングテスト
人工知能全盛期の現代。「機械は思考ができるのか?」という問いが出てくるのは至極当然であった。しかし、「思考」の定義づけは困難で、長く議論されていた。そんな中、数学者アラン・チューリングはその問いに意味はなく、結果に着目すべきだとしてこのような問いに置き換えた。「その機械と相対したときに、人間であると思えるか」これがチューリングテストである。方法としては以下の通り。
1.人間の審査員が、一人の人間と一つの機械に対し、会話をする。
2.人間/機械は隔離されており、審査員は会話以外で相手を判別することができない。
3.会話の後、審査員が相手を人間と機械を判別できなければ合格。
その機械は知能を持っているとみなせる。

街外れ、くたびれた研究所。ひとり呟く男の背中には憔悴が滲んでいる。
「今回も失敗かもしれないな。実験番号003。前回の002は二進数に則ってプログラムを組んだが、すべての物事を好き/嫌いで分けようとしたからスクラップ行きになった。好き/嫌いがあるのは、人間らしいからいい案だと思ったのだがな。毎回なにかが起きる度に生きるか死ぬか、と叫び出して参ったよ。
その反省を活かして、今回は0と1の間にも数字があることを土台に作ってみたのだ。
そして前回と同じように、じゃんけんという心理戦で人間らしさを測り、報酬を与える。
アンドロイドには必要ないものだが、グーで食事。食欲は人間らしさには欠かせない。
チョキで勝ったら、本。人間を知るのに、本ほど良いものはないからな。
パーで勝ったら、エタノール。精密機械だから、メンテナンスは大事なのだ。
しかし結果はやはり、前回とあまり変わらなかったな。選択肢が増えただけ。
食事も3つの材料のものしか食べなかったし、思考も3パターンに偏った。
一つ改善が見られたとすれば、生きる/死ぬの間に、現状維持というパターンが加わったことだな。そして、その現状維持に甘んじるという点はすばらしく人間らしい。そこは評価できる。
だが、現状維持のままでは困るのだ。機械には我々の役に立ってもらわねば。何か新しいものを。人間にはない何かを。
……それに、もうすぐ結果を出さなければ、研究資金も底を尽きてしまう。そろそろ見切りをつけよう。
明日にはスクラップ行きだ。」
            

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