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青い雨

私の心は青色だ。
空と同じ、海と同じ、雨と同じ、青。
私たちは自身の色を持ってこの世界に生まれ落ちる。
そして各々、約束の色を抱えている。
自分の色と相手の色。それらが混ざり合って約束の色となった時、人は恋に落ちる。
……そう教えてくれたのは貴方なのに。
私と同じ色の雨が降る。
その雨の涙でぐしゃぐしゃになった土に足を取られ、躓く。
拍子に服がずれる。鎖骨に入れた、青い薔薇の刺青が露になる。
服を正そうとして、そうか、もうこれも直さなくていいんだ、と呟いた。

もともとは、オフショル用の服だった。
店頭で見つけ、一目惚れで即決したほど、気に入っていた。
買ったその足で貴方の家に行ったけど、そんなだらしないことはしないで、と顔を顰められただけだった。
天に向け、白い息をぼうっと吐く。
もう全身ずぶ濡れだ。
下着が見えるのだってどうでもいい。
皆が傘をさし、足早に家路へと急ぐ。
私に帰る場所はない。
しかし、この雨を、天が涙しているものを、全身で分かってあげられるのは私だけだ。
今まで、雨の理解者は地面しかいなかっただろう。
ふふ。雨という涙の出所を仰ぎ、呟く。
今夜は私がなってあげよう。


私の心は紙でできている。
吹けば飛ぶように薄っぺらくて、でも、うかつに触れた人を傷つけてしまう。
私が作り上げた紙の要塞はあの人にも知られないよう隠していた。
だから、雨の日は最悪なのだ。
雨に濡れたら、秘密が明らかになってしまいそうで。

「ニューオープン」と、でかでかと書かれた広告が、道端に打ち捨てられている。
そういえば、今朝ここを通った時に可愛らしい女性が配っていた。
雨に濡れ、沢山の人に踏まれ、歩道に張り付いている。
私はこれとは違う。
もう雨に濡れることを恐れてないし、何より張り付く場所など私にはない。
私は秘密を顕にして、ここに立っている。

あの人は、正しい人だった。いつでも正しかった。
私は正しくない道を歩んできたから、その正しさに依存できることが嬉しかった。
とはいえ、あの人の正しさに苦しくなる時があった。
鎖骨にある、青い薔薇もそうやって入れたのだ。
青い薔薇は不可能の象徴らしく、貴方がそんなに正しいなら、私は逆に不可能な存在になってやる、と入れたのだった。
案の定、彼は私をやさしく諭した。
しかし、彼の秘めた怒りの結果、私たちはあまり体を重ねなくなった。

目の前に、シャッターの閉まった骨董品屋が見える。
店の前の道は煉瓦造りになっていて、その隙間から一本のパンジーが咲いていた。
その花は、可憐に濡れ、私を手招きしていた。
吸い寄せられるように庇に入り、煙草の火をつける。
今でも彼は正しいと思うし、私はずっと間違い続けるのだろう。
煙が雨に吸い込まれていく。

おい、昔の自分よ、見てるか。
不可能だと粋がったお前は、大好きだった彼にも雨にもふられて感傷に浸る、ありきたりで安い女になってるぞ。

「雨、やみませんね。」

雨と夜に紛れて、そこに男がいることに気付いていなかった。
その男は声をかけてきたくせに、返事など期待していないかのように雨を見つめている。
黙って煙草を差し出す。
男も黙って受け取る。
私が火をつけてやろうとライターに手を伸ばすと、男が顔を近づけてきた。
秘密に揺らぐ二人の顔。


後に聞いたが、青い薔薇は今では量産されているらしい。
青いパンジーの色素を移植することで成功したという。
つまり、わたしは不可能ではなくなったのだ。

わたしの心は、花でできている。
あなたが、すべてを洗い流す雨に傘をさしてくれたから。

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