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ほんとう

「きっと何かの病気だよ。」
 ――恋人にそう言われた。

幼い頃、感情の制御が苦手だった。
親の言うことに反発し、思い通りにならなければ泣き喚いた。
嫌なことを目の前にすると、どす黒いモノが腹の底で沸き立つ。溶岩のように沸騰したそれは、ゆったりと気泡を産み出し、喉奥までせり上がって、ぱちん。残りは口を開くだけ。
そうすることで、嫌なことを退けたいわけではなかった。誰かが慮って取り計らってくれると算段していたわけではなかった。
ただ、その気泡を出すことでしか自分を保てなかったのだ。
しかし、そんなことが当時の私にわかるはずもない。
まして、他人には尚更わかるはずもない。

母はもう面倒は見切れない、と言って私を警察に連れて行こうとした。
向かう車の中で、自分が異常なのだという事実に愕然としながら、私は泣いて懇願した。
 ――いい子にするから、言うことちゃんと聞くから……
警察の代わりに病院に行くことになった。
どこにも異常はなかった。
帰りの車で、気泡はこぽこぽと喉の奥を圧迫していた。
窓に映る冬晴が目に痛かった。
感情の制御が苦手だったのか、親の抑圧が過剰だったのか、私には今でもわからない。

そこから感情の制御の仕方を覚えた。
気泡が上がってくるのをグッと飲み込めばいい。
すぅっと息を吸い込んで、そのまま息を止め、気泡を押し下げる。
それは喉の奥を窒息させ、頭のてっぺんがちりちりと痛むのだが、こうすることで母は笑っているし、何より私は異常ではないと信じることができた。
――感情の制御ができるから、私は異常ではない。
思えば、この時から歯車がずれ始めていたのだろうか。


気泡を飲み込む。
愛想笑いをする。
怒りが湧かなくなる。
芯がないのだと詰られる。
気泡を飲み込む。


気が付けば感情の表出が苦手になっていた。
感情という気泡を吐き出すのが怖くなっていた。
言葉を発することは自分の一部が失われるようで、段々と口数が少なくなった。

一度、友人に相談しようとした。
しかし、私は充分な時間をかけてこの問題に取り組んできたから、何か新しい案がもらえるとは思わなかった。
だから、
「感情の表現が苦手なんだけどさ、でもこれって悩んでる人たくさんいるよな。」
少しの自虐を込めて話した。
友人は親身になって、それを肯定した。
その肯定によって、私の悩みは取るに足らないものだという客観的事実に帰した。
私が幼い頃、生きるために身に着けた術も一般化された。
友人は、肯定に続けて感情表現をうまくやる方法について熱心に教えてくれていた。

そうして私は、相談しなくなった。
紡いだ言葉が、感情が、私の一部が、他人の手によって取るに足らないと断じられるのが怖かった。
週に一度は何事にも価値が見出せない日が私を襲った。
飲み込んだ気泡で溺れそうになって、たまに河原を全力で走った。
眩暈がするまで走るとそのまま倒れ込み、全身で息を吐いた。
そうすることでしか気泡を吐き出せなかった。
そうしても、気泡はまた沸き上がってきた。
制御できないほどの怒りが自分を襲うこともあった。
スーパーで目の前の人が私に気付かず、道を譲ってくれないだけでイライラした。
気分転換に新しい料理に挑戦しようと調味料を買いに来たのに、見つからなかった。
帰りに歩きタバコをしているサラリーマンがいて、何も出来ないのに睨み付けた。

その一方で、私は能力の可否で異常でないことを確かめるという信仰をやめていなかった。
だから、大学では心理学を専攻した。
自閉症だとか、ADHDだとかを学んだ。
私はそれに当てはまらなかった。
なぜか悲しかった。

実存主義の本を買った。
理論武装が一つ増えただけだった。
SNSで心理テストが流れてくると毎回リンクに飛んだ。
だけど何個か熱中すると急に冷めた。
お前に何がわかるんだ、と鏡に向かって憤慨した。
個人心理学に傾倒したこともあった。
自分を騙しながら生きていくしかないのかと悟った。

夏に、単位を一つ落とした。
何も言っていないのに、「失敗したのはお前の勉強不足のせいだ。」と言われた。
正論だったし、実際にその通りだったのだけれど、その言葉は喉の奥に深く刺さった。

恋人ができた。
彼女は私と違って物事をはっきり喋る人だった。逆に心構えができて、少しずつ、自分の悩みを話すようになった。
お互いが好きな本があった。
その本の一節に「飾り紐」の話があった。
「人と人との繋がりは一本の糸ではない。いろんな縁が交差して絡み合って、独自の模様を作りながら太くなっていく。」
私が生まれ落ちたときに結ぼうとした糸は、気泡を飲み込むごとに朽ちていった。
それから長らく繋ぎとめるものがなかった私は、孤高という言葉で自立していると自らを欺いていた。
だから、糸が編まれていくのを見る度に発作的に断ち切ろうとした。
勿論、彼女も例外ではなかった。
ただ、その度に私の糸は新しい模様を編んだ。
切り過ぎてほつれている私の糸を見て、彼女は微笑んだ。

その日、彼女に相談をしていた。
いつものように、気泡でいっぱいになって破滅的になっているからだった。
やはり私にとっては答えなどなさそうに思えたので、雲の中を歩くように話していた。
そうして、話を終わらせようと、私が悪いのだ、と呟いた。
「自閉症とか、ADHDではないと思うけど、きっと何かの病気だよ。」
あっけらかんと彼女は返した。

嬉しかった。
唐突に雲の上に出たような気がした。
下は土砂降りで洪水が濁流を作っているのに、雲の上は穏やかな春だった。
病気という名前がつくことで、私が一般化される。
飲み込んで、抑え込んで、ぼやけていた私がようやく明確になった気がしたのだ。
昔は一般化されることでぼやけていくように感じていたのに、因果なものだ。
しかし、異常と認められることで私は私であることを初めて認めることができたのだった。


気泡を飲み込む。
愛想笑いをする。
怒りが湧かなくなる。
芯がないのだと詰られる。
気泡を飲み込む。


しかし、気泡がはじけることは私もはじけることではない。
今ではそう思う。

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