「僕が死のうと思ったのは」-amazarashi 考察

この曲を初めて聞いたのはamazarashiを聞き始めて少し経った頃だ。

温厚そうな先輩がamazarashiというバンドを聴いているらしい、どんな曲があるんですか?と聞くと、代表曲は「季節は次々死んでいく」ー曲名もさることながら歌詞も鮮烈なものだった。あんな柔和で優しい先輩は、こんなにも硬い言葉を内に秘めているのかと衝撃を受けたのがamazarashiを聴くようになったきっかけだった。

「季節は次々死んでいく」と同じくらい衝撃的な曲名の「僕が死のうと思ったのは」に辿り着くのにそう時間はかからなかった。しかし、こちらは1回聞いただけで音楽に入り込めなかった。そこでこの曲を理解しようと、考えたことを書こうと思う。


この曲はタイトル通り、「僕が死のうと思った」理由を書き並べてあるのだが、最初の理由は理屈に合わないものが並べてある。

「ウミネコが桟橋で鳴いたから」「誕生日に杏の花が咲いたから」

とはいえ、この論理はどこかで見たことがある気がする。そうだ、一見荒唐無稽に思える論理で人を殺す描写は小説や漫画によく出てくるではないか。こんなに巷にあふれている論理を荒唐無稽と一笑に付していいのだろうか。現代社会で発展してきた合理的考え方は、合理的な行動を把握するのにこそ適した方式であるので、死のうという生物学的に合理的ではない(飽和した現代では少し合理的かもしれない)行動に対して理解をするという行為はそもそもできないのかもしれない。が、少し考えてみよう。

死ぬまではいかなくとも落ち込むときはどんな時だろうか。私は学生なので、テストがうまくいかなかった時、試合で失敗した時、失恋した時、などが思いつく。なるほど、こういったものの延長として、社会人になればリストラされた時、離婚を告げられた時は、死のうと思うかもしれない。しかし、これは了解できる理由である。これを名付け可能な悲しみとでも言っておこう。

他に落ち込むことはないだろうか。そうだ、うまくいかない時だ。頑張っているけれども結果がついてこない時。あるいは頑張りたいと持っているけれども頑張れない時。これは先の例に真似て言うならば名付け困難な悲しみとでも言えるかもしれない。ここに答えがありそうだ。

人は明確に嫌なもの、排除したいものが決まっている時にはそれに抗おうとと努力する。部屋が散らかっている状態が不快であるのならばそれを片付けようとするだろうし、それが億劫ならばそれほど不快ではないということだ。しかし、その嫌なものが自分の裁量を超えて圧倒的であれば名付け可能な悲しみが起きるのだ。パワハラとか、いじめとかが良い例だと思う。では名付け困難な悲しみはどうだろうか。こちらには抗うべき対象がいない。何を頑張ればいいか分からないから悩んでいるのである。翻って死の話に戻ると、死を考えて抗おうとしている人ほど「杏の花が咲いたこと」には抗うべき対象はいないから、その対象は自分に向けられ、死を感じてしまうのではなかろうか。

歌詞に戻ってみよう。

「今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ 分かってる 分かってる けれど」

こう考えると、この部分が名付け困難な悲しみのように思えてくる。

「見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ」

ご存じドンキホーテは風車と戦った男の話だが、風車はこの場合、自分の心、もしくは自分自身なのでは、と考える。

歌詞の一部だけを切り出しただけなので拡大解釈しているきらいはあると思う。しかし、鬱に足る敵がいない時には明確な目標をつけようにもつけれず、「ただぼんやりとした不安」が漂うものである。

歌の後半では、「僕が死のうと思ったのは冷たい人と言われたから」と出てくる。初めて聴いた時にはこれこそが死ぬに値する理由だと思ったのだが、ここまで考えてくるとやはり違うように思われる。最初はただぼんやりとした不安のために死のうと考えていたのだが、ではこの不安の原因は何かと思いを巡らせてみたところ、こうした致命的に脅かすような出来事があったからなのだと思い着いたにすぎないのだ。

もちろん、この曲はamazarashiの由来にもなっている、「僕らは雨曝しだが、それでも」という思いを体現するかのように少しの期待を孕んだ締めくくりになっている。しかし、ここまで書いてきて、この最後の希望にのみ一縷の望みを見出すのではなく、最初の死のうと思った理由にも望みがあると思うのだ。僕らは人生で懸命にもがいている期間は、喜んでいる時間や、怒っている時間、哀しんでいる時間、楽しんでいる時間よりも圧倒的に多いと思う。そういう時に同じようにもがいて「生きることに真面目すぎるから」不安を抱いてしまう同志がいるのだと感じていれば、行こうか 戻ろうか 悩みはするが しばらくすれば歩き出せるのではないだろうか。

P.S.「ハッカ飴 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車」のところが畳み掛けるような歌とたったこれだけで情景が浮かぶのでめちゃめちゃ好きです

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