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告解

「こんにちは。今日は私の罪を告白しに参りました。」

「私は『神隠し』で働いています。
そうです、神隠しはご存知でしょう?人がある日忽然と消え失せる、あれです。
あれを祟りだとか、妖怪の仕業だとか人は言いますが、神隠しはそういった超常現象ではありません。
我々『神隠し』が宵闇に紛れ、攫い、殺しているのです。

何故そんなことをするのか、ですか。
理由としては主に2つあります。
1つは人が増えすぎたためです。ここ百年ほどで、数にして30倍ほどに膨れ上がり、最早人が住むには酷過ぎる世界になってきました。

もう1つの理由は少し込み入った話になりますが、簡潔に言えば人が人として生きられなくなったためです。
昔、この地は藩というもので区切られており、おおよそ8里の広さだったといいます。8里とは人が半日で歩ける距離です。それから時を経て、自動車が開発され、電車、新幹線と、人が機械を駆使して半日で行ける距離が、新しく県と制定されました。つまり、我々の生活が機械を前提として構築されることとなったのです。我々の生活の何分の一かが機械で構成されていることは、私たちの人生の一部も機械になるということであり、従って多くの人々は毎日歯車のようにあくせく働いているのです。社会を構成する要素という意味では、昔も歯車のように働いていたと言えるかもしれません。しかし、昔の人々は自分が機械のどの部品なのかときちんと了解して働いていたのです。私はモーターだとか、ねじだとか、ミラーだとか、そういった梃子の原理のように、明白な因果関係が理解できる関係性で働いていたのです。現代では自分が為したことが誰の手に渡るか、あるいは自分が享受している快楽は誰に因るものなのか不透明ですし、需要があることを見越して供給が為されるという奇妙な関係も成立するようになったわけです。


勿論、今の制度の方が遥かに効率は良いのです。誰かが発明したことは皆に共有され、同じ轍を踏むことが少なくなるからです。しかし、それは同時に間違いの仮面を被った正解が否定され得ることを意味します。つまり、解釈の余地が少なくなるということです。

昔は明白な因果関係で成り立っていた、と先に述べましたが、もしかすると現代もある意味では分かりやすい因果関係で構築されていると言えるのかもしれません。一元的な解釈が妄信され、現代は原因と結果で説明がつくもので溢れかえっています。病気になったらやれ食生活が悪いだ、子どもが家に閉じこもったら育て方が悪いだの、そんな簡単な話ではないでしょう。
果たしてこの世界というものは人間が理解し得る範疇に収まってくれるのでしょうか。

少なくとも言えるのは、因果論で説明がつくものが横行してしまったばっかりに、因果論で説明がつかないものは不安の種となるということです。
神が死んだと言われる以前、理解できないものは人を超えた存在に起因するとされました。それが制度として組み込まれていたのです。現代ではそんなことは許されません。従ってその起因を自分に求める他なく、精神を病むものが増えてきたのです。段々と世界が裕福になり、体が肥えていく一方で、少しずつ人々の精神は削り取られてゆくのです。
だから、人間には自らを超える存在が必要なのです。我々神隠しが圧倒的存在として顕現せねばならないのです。


…少し話し過ぎましたね。我々は、本当はこんなに話すべきではないのです。
しかし、私の罪を告白するには我々のことを知ってもらわなければならないのです。

ここで我々神隠しの実態について少しお話ししましょう。
私たち神隠しは親を知りません。幼少の頃より一所に集められ、感情を無くすよう訓練されます。感情は人が現世を愉しむために創作したもので、神隠しにとっては必要がないからです。
幾年の修行の後に、黒衣を授かります。黒は何に交わっても黒なので、感情を無くすことが出来た証というわけです。これが神隠しとしてスタート地点とも言えるでしょう。早い者は、5歳ころには黒衣を授かるのですが、平均10歳と言ったところでしょうか、私は少し早く、8歳で黒を纏いました。それからは独り立ちをして方々で任務を遂行するのです。
同胞の顔は知りません。我々は訓練が始まって何も考えることがないようにと同じお面をつけられます。訓練の後は精魂尽き果て、眠ってしまうので、碌に話したこともありません。我々の一生はずっと一人なのです。

任務で子どもを殺すことはあまりありません。
では何故子どもが神隠しに遭ったという話が多いのか。
まあ、その子は神隠しとして育てるために攫われているのかもしませんよ。
しかし、実際は口減らしや無責任な放棄にも関わらず、神隠しに遭ったと言って済まされた子らがほとんどなのです。

つまり神隠しが殺すのはほとんどが大人です。大人の方が圧倒的存在を欲しているからです。
人は大人になるにつれ、純色の感情とでも呼ぶべきものがだんだんと失われていきます。嫌なのに笑ったり、嬉しいのに平静を装ってみたり。しかし、一つだけ純色に染まる感情があります。それは恐れです。死の瞬間に人は恐れだけに染まります。それを引き出すため、我々は暗躍するのです。

やっとお話しできます。
聞いてください、ここからが私の告白です。
私はその純色が美しいと思うようになったのです。
必要ないと教えられ、意図的に消してきた感情は死の間際でこんなにも美しく輝くのかと。
彼らが生きてきたどの一瞬よりも純粋な、恐れのみの表情は、私にとって何にも代えがたい歓喜でした。
我々は任務で殺すことを救済と呼ぶのですが、いつしか私は救済として人を殺すのではなく、くすんだ、混じりけのある、汚れた人間を美しく染め上げるために殺すようになりました。
救済されているのはいったい誰なのでしょうか。

ああ、そうです、ここまで話したらお気づきになったでしょう。
私は感情を持つようになったのです。
感情を超越した、圧倒的存在であるはずの神隠しが、感情を羨み、それに突き動かされるようになったのです。
私は人間に成り下がりました。
このことを告白しに参ったのです。」


泣き声とも叫び声ともつかぬ声が鳴り響く、廃墟と化した教会に黒装束の少年が独り、やってきた。
上に大きなステンドグラスがついた扉を少年が開けると、その姿を認めた声の主は、
「やっと私にも救済が」


仕事を終えた少年は、ステンドグラスが影を落とす亡骸に歓喜の表情を認め、こう呟く。
「この男は死の間際に恐れに染まらなかった。こんなことは初めてだ。美しい死というのもあるものだな。」

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