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ステージⅣを認識した日

2023年12月27日 午前9時頃から徒歩で手術室まで歩いていき、手術台にも自分で乗って手術後もつけたままにする痛み止めの管を先に入れてもらったり主に麻酔とか点滴に関する処置を終えて先生方の登場を待つ事なく眠りに落ちた。

麻酔科の先生の顔や看護師さんの顔。
「大丈夫ですか?意識戻りましたか?」
「…はい。胃はとれましたか?」
「今手術室から集中治療室にうつりますね」
動く天井の中から時計が見えて知った。
本当なら夕方までかかるはずの手術がお昼12時で終わっていた。取れない状況だったんだ。
喚き泣きたい衝動にかられるけど、麻酔のせいで動くと吐き気がする。麻酔が落ち着いてから泣くと手術の傷が痛んで耐えられず泣く事を抑え込んだ。
いい意味で動物的だなと思った。大声で叫び泣いたり、お酒の力を借りる事なくただ静かに痛みや苦痛をやり過ごす。

先生から話をきいた後の夫が集中治療室にきてくれた。
「胃とれなかったんやね」
「…うん」
「時計見てわかった。でも泣いたらお腹痛くて泣けんわぁ」
「腹膜とかに転移が見つかったからそのまま取らずに終わったって。また明後日先生が詳しい話と今後の方針を教えてくれるらしい。大丈夫やぁ。色んな所いっぱいいこう。」
「余命とかも言われた?」
「うん」
「そっか〜。」
「大丈夫やぞ。一緒にいるからな」
「ごめんね。つらい思いさせて」

今まで前向きな事しか言わなかった夫が、今のうちにできる事をしていこうという話し方に変わって、あぁそんなに長くはないのだなとわかった。聞いてしまうとその時間ぴったりに納めようとしてしまう性格な気がして、希望を持ち続けるために余命がどれくらいかは聞かないままでいる。自分の中では三男が成人するあと14年。それくらい生きれたらいいな。今はそれも贅沢に感じる。

本当は10日から2週間の入院だったが、胃の切除もなくなり手術後2日で退院となった。お腹の傷はまだ痛いから多めに痛み止めもらって帰宅。
帰宅の車中の揺れ(カープとかゆっくり気遣ってくれてるのわかる運転だったけど)で痛みを感じ、これは帰ってからも大変そうだと思ったけど、やっぱり活動量が多くなって傷に対する怖さも減っているように感じる。入院したままだったら快適すぎて歩いてくださいって言われてもそんなに歩かんかったやろな…。私みたいな怠け者には自宅で荒療治があってるのかも?
(っていうほど働いてないし動いてもないが…)

入院中に夫が長男にだけは余命の事も含めて話したとか…。
当たり前の事なんてないんやぞ。俺も老後色んな事しようと思ってたのを大忙しで今からせんとあかん。大変だ忙しくなるって2人で泣きながら話したわって言ってた。

死ぬまでに夫に再婚して誰かと老後を楽しんでねって手紙は残してやらんとあかんなと思った。

見舞いに来た夫が私に「眠れてるか?」とか私の心配ばかりしている。管につながれて寝返りうつのもやっとだから心配するのは当たり前かもしれないが、「私は私が死ぬ事より残される◯◯(夫)と子ども達の方が心配だ。」っていうと「お互いがお互いの心配してるんやな」って夫が言って笑った。私も泣き笑い。でも手術の傷が痛いから笑っても泣いてもすぐに抑える。

子ども達にもいっぱいいっぱい後から読める手紙を書こう。
どれほどの役に立つかわからないけど、今までダメ出しばっかりだったけど、今なら心からいえる。

あなたはあなたのままでいいんだよ。誰がなんて言ったって、あなたの個性は最高なんだ。

今まで散々育児本を読んでいっぱい自分が子どもにとってよくない事をしてるなと感じながら結局同じことの繰り返しで何にも変われなかった。叱りつけ、おどしながら、自分が求める人間に作り上げようとして、その子の個性を認めてあげられていなかった。
もう末期癌なんだという事実があるけれど、幸いまだ私の胃に変化を感じるものはない。
残された時間がどれだけあるのかわからない。
それでもまだ元気に動ける時間があるという事が幸福なのだ。今までの失敗をチャラにはできないけれど、大切な人にそのままのあなたが大好きで大切ですと伝える時間はちゃんとある。

今まで自分の1人の時間が大事で、FOCUS手帳などのワークを使って自分と向き合う時間を大切にしてきた。

これからもその時間は大切だと思うけど、死を意識して書く内容はガラリと変わった。今までバケットリスト(やりたい事リスト)とか目標とか本当になかなか浮かばなくて毎月同じ内容を達成できず繰り越しになる事が多かった。きっとそれは私が本当にやりたい事ではないのだろうとわかりつつ、他に書く内容が思い浮かばない。忙しすぎてちゃんと付き合う時間取れてないのかな?なんて思ってたけど、本当に深掘りできてなかったんだなぁと死を意識して瞬時にわかる。
家族との日常がこんなに愛おしい。いつもなら後片付けを優先してテレビゲームに参加する事なんてなかったけど、次男がサンタさんにお願いしたSwitchのマリオワンダーを一緒にして、私は全然下手ですぐに死んじゃって足引っ張るんだけど、退院後間も無くて弱ってる私にみんな優しくて、「仕方ないよ」「大丈夫だよ」私を責める子がいても長男が「誰かを責めたりするならやめよう、楽しくやろう」といい、「ごめんお母さん」ってすぐに謝ってくれたり。
私は今まで未来ばかり見て目の前の幸せを見る事ができてなかったんだなぁと痛感する。
あちらこちらにみんなのいいところが散らばってる。
今までの私だったらきっと、ちゃんと片付けする事とか寝る準備をせかして「楽しかったねぇ」なんて言ってない。
残された時間がわかるおかげで私は「今」という時間の大切さを見に沁みてわかるようになった。
これは神様からもらえたプレゼントタイムなんだと思う。
このプレゼントタイムでたくさんのありがとうを伝えていく事にする。

ほら、死を意識するとこんなにも簡単に自分の目標が見つかる。今までの私はいかに情報やものに左右されて生きてきたのか痛感する。

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