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偲ぶ気持ちがあればどんな形でもいい




我が家に芍薬の花が咲きました🙌



たくさんのブログの中から訪問してくださりありがとうございます💖



幼い時からの自分を少しずつ振り返り綴っています。



美を追求するようになり、いろいろ勉強し、そのお金を稼ぐためにバイトをし、自律神経の乱れがでてしまったということを前回書いていたと思うのですが、その間に私は習い事もしていました。

茶道を近くの公民館で習っていました。

気持ちが落ち着くし、お抹茶の味も好きだったので😋

そうすると、たまにお茶会にも参加するようになりました。



その時に必要になるのが、着物です。

自分で着付けができるようになるといいなって、軽い気持ちで、着付け教室にも通うようになりました。

すると、なんだか、楽しくなってきたんです。

自分で着られる喜びだけでなく、人にも着せてあげるのが楽しくって🥰

人に着せれるようになりたいと、もっと勉強するっようになり、最終的には着付けの師範のお免許をいただきました。



そんなこんなで、美容室で、エステの仕事をするようになっていた私は、成人式ではメイクアップの担当をしていたのですが、着付けを担当するようになりました。

他にも、呉服屋さんの依頼で、着付けのお仕事もするようになりました。

呉服屋さんのお客様が着物を着るときに、ご自宅に伺って着せるというものだったので、結婚式だったり、カラオケ大会だったり、お茶会だったり。。。

いろんなシーンの着付けを経験させていただきました。



それこそ喪の着物も。。。



どうしても、ご自宅に伺うので、喪の場合は聞かなくていい声まで聞こえてくることもあります。

故人を偲ぶ声ならいいのですが、そうでないこともあるのです。

ときにはすぐに相続の話をしている方もいます。

凄く残念な気持ちになります。



今でこそ、家族葬というものが普通になってきていますが、昔は稀だったので、ちょっと前までは家族葬を悪くいう人も多かったです。

見えばかりはったような大きな葬式だったり、何をしていいか分からず、葬儀屋さんの言いなりで、いつの間にか大きくなった葬式。。。

一番悲しい人が、悲しんでいる時間もないほどに忙しく動いているような葬式。。。

決まりだからって会ったこともないのに、地域の人がお参りに来ていたり。。。

なんだったんでしょうね。



そう考えると、今は家族葬とか故人が生前に希望を残していたりと、ゆっくりと偲ぶ時間を取れるようになった気がします。

昔からのしきたりにもいいところはありますが、形ばかりにとらわれず、本当の意味でのお祝いなり、悲しみなり、気持ちを届けられるようにしたいですよね。

私個人的なことですが、祖母が亡くなった時も、お葬式のことで、親族が揉めているのを子供ながらに醜く感じた記憶があります。

個人を偲ぶ気持ちがあれば、どんな形でもいいんですよね。



みーんなが、それぞれいろんな形を認め合うことができるといいなーと思います。

そういういろんな形に対応できる私でいたいと思っています。



結局何を言いたいか分からない文章になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます😊



こんな私ですが、自分を深く見つめるセラピーをしています。

詳しくは下記ホームページを覗いてみてください。

https://2020-hesediel.jimdofree.com



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一期一会🌏

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