大正時代の「嘘松」へ〜大泉黒石『人間開業』を読む〜

画像1

(若き大泉黒石――『大泉黒石全集』第1巻掲載)

1.はじめに

 大泉黒石という作家がいる。1893年生、1957年没。だから「いた」と言うべきなのだけど、どうもわからないことが多くて、過去の人とするにもしっくりこない。ひとつだけ言えることは、彼の小説がどれも妙に面白いということだ。

 九州に赴任してきて間もなく。土地にも慣れず、知己もなく、書店をぶらぶらする以外に休日の楽しみというのがなかった頃に、河出文庫の『黄夫人の手 黒石怪奇物語集』と出会った。黒石については、名前だけを知っている程度。ただ、九州ルーツの文学を読んでいきたいと思っていたタイミングで、長崎生まれの黒石は都合が良かった。
 その短編集の印象をなんと言ったらいいだろう。物語たちの外形は荒削りと言うほかなく、いびつな箇所を金槌で無理矢理ととのえたようだった。だがその細部は、神経質な何かのたくらみ(そのたくらみの正体はその時はわからなかったけれど)で造られていた。ときに人を馬鹿にするような韜晦や詭弁があって、そして「怪談」でありながらメタフィクションのような匂いも漂わせる。
 黒石という作家に強く惹かれて、全集を読んでみたいと思った。思ってからもう2年あまりが経ってしまったけれど、今年こそ本腰を入れて読み込むつもりだ。
 『大泉黒石全集』全9巻、緑書房、昭和63年。「第1期配本」とあるが、第2期以降はないので、実質的には〈選集〉である。今後、定本全集が出ることを強く願いながら、この記事を書いている。

 全集の帯にはこうある。
 「文学史の闇に輝く日本のドストエフスキー」

画像2

             (島尾敏雄も絶賛!)
 かっこええ……しかし、こんな立派なフンドシを回されて、黒石はどう思うだろうか。にんまりほくそ笑むかも知れないが。個人的には、人間的な性質や作風の興味深さから、ロシア文学で言えばアレクサンドル・クプリーンに例えたい。あるいは『現代の英雄』を書いたミハエル・レールモントフ。他分野で言うと、市井の変人たちを淡々と描く書きぶりは、水木しげるの漫画『街の詩人たち』にも似ていて、そういうの好きな人にもおススメしたい。
 函、装丁も気持ちの良いオレンジ色。恐らく低予算の産物だが、けっこうお洒落だ。配本時には月報として「黒石廻廊」が付いたようだ。
 このnoteでは全集を読んだ記録を残していこうと思うが、どのように書けば良いのか、だいたいどういう人らに宛てて書くのか、まだ定まっていない。今回は黒石という人物の「自称」としての経歴や、作風を含むので、作品紹介のような形でいきたい。

 さて、全集1巻目に収録されているのは『人間開業』。大泉黒石の少年時代からデビュー後の生活までを綴った自叙伝である。『人間開業』の大元は、雑誌『中央公論』に大正8年に発表された「私の自叙伝」で、これは話題となって続編が発表され、早くも同年末に『俺の自叙伝』というタイトルで出版された。一般的には(つまり多少なりとも黒石の名前を知っている界隈には)このタイトルが知られていると思う(※1)。
 自叙伝は、一言で言えば怪作だった。大きな反響を呼んで、黒石を瞬く間に文壇の一人物とした。と同時に、黒石の作家人生を方向づけた。いや、彼という個人の生き方をすら、方向づけたと言っていい。書くということ、読まれるということが、人ひとりの運命を、こうも決定づけるものだろうか。ほとんど呆れに近い驚きを覚える。

 と、なにか暗いトーンになってしまったけれど、『人間開業』はメチャクチャ面白い。というか、上記のようなことが起こったのも、ひとえに面白すぎたからだ。
 文体的な特徴は、一言で言えば「饒舌」なのだが、ここを巻末解題に説明してもらおう。解題の書き手は、由良君美氏だ。

肩を張らない、一見出まかせに見える自称〈黒石張り〉の駄弁体、無尽蔵と言える珍奇なエピソードの連打、いつも貧窮しながらいじけない闊達ぶり、日本には比較的貧困だった本格的悪童文学の持ち味。(略)単文を積み重ね、尻とり式にもじってゆきながら、つぎつぎに溢れ出る啖呵方式。

――この引用文だけで、由良氏が黒石から受けたスリリングな文学体験が窺えるのだけど、、とにかく黒石は饒舌の力でもって読者を引っ張っていく。バンバンとパンチラインを量産する文学的ヒップホッパーだ。
 第1章にあたる「少年時代」は波瀾万丈の冒険譚だ。世界を漂浪する不良少年と、彼を取り巻く人々の物語だが、いわゆる「日本人」はほとんど出てこない。舞台の多くもモスクワとパリであって、大正8年に書かれた異国の風景はそれだけで面白い。第2章「青年時代」からは日本が舞台となる。そして、専ら黒石の金策が主軸となる。個人的にはここからがメチャクチャだし価値観がぶっ飛んでいるので面白い。第3章「労働者時代」、そして第4章「文士時代」では文章が洗練され、不良プロレタリアからアナーキー文士になって、故郷に錦ならぬ喧嘩の華を飾るまでを描く。
 1章と2~4章は、全然性質が違って、なんなら世界も違う。孤独なロシアの平原から、やかましい東京の下層社会へ。事実すらあやふやなそれらを繋ぐのは、どんな世界でも反発し続け、悲劇よりも滑稽を描き続ける、「俺」の強固な性格と言葉である。


2.波瀾万丈の少年時代

 黒石の自叙伝はこう始まる。

アレキサンドル・ワホウィッチは、俺の親爺だ。親爺は露西亜人だが、俺は国際的な居候だ。

 黒石こと大泉清は明治26年(1893)、長崎に生まれた。父はロシア人、長崎の領事館に勤めていた。母は日本人、息子を産むと「一週目に死んだ」。父はやがて中国大陸へ転勤、黒石を3歳まで育てた乳母も情夫と駆け落ちしたあと病没。その後は祖母の手で育てられた。この祖母は、自叙伝の節目節目で顔を出す。かんしゃく持ちの黒石は、目の不自由な彼女とそりが合わなかったように書いているが、黒石に育ての親がいるとすれば、やはり祖母なのだ。
 さて、黒石少年の、世界を股にかけた半生が始まる。
 日本の小学校を中途退学して、父のいる中国・漢口に行く。だが、この父もすぐに死んでしまうのだ。どうして死んだかはわからない。その出来事は、あっさりと省かれる。

しかし、親が揃っていたって、満足な人間になるような手軽な子でないことを自覚していたから、親がなくても不自由だとも、肩身が狭いとも思わなかった。

 で、黒石は父の兄弟を訪ねてモスクワへ。さらに伯父の所用でヤスナヤ・ポリヤナへ。この土地で彼が遭遇する「見すぼらしい老人」、これが実は世界的大文豪トルストイである。
 このトルストイは、単なるカメオ出演ではない。「少年時代」前半にちょくちょく顔を出す、準レギュラーくらいの位置づけだ。少年・黒石はトルストイにリスペクトのカケラもなく、終始彼を「薄汚い爺」として描く。

 再びモスクワへ戻るも、今度は伯母の飼い猫を癇癪から殺してしまって(ひどい)休暇中の女学校で謹慎。さらにさらに、別の叔母に連れられて、舞台はパリに移る。
 パリでも不良学生だった黒石は、ロシア人学生の秘密結社に誘われる。熱湯に足を浸ける、燃えた石炭を素手で掴むという入社儀式をさせられた上、踏み込んできた警察に補導される羽目に。これで決定的に不良児になってしまう。
 この前後もイギリスやらスイスやらイタリアやら、ぴょんぴょんと飛び回っていたようだ。でも、どこも彼の故郷とはなり得ない。黒石は最初に書いていた。「国際的な居候」。どこだって、彼にとっては仮の宿に過ぎない。

露西亜に来ると日本へ帰りたくなるし、日本に一年もいるとたまらないほど露西亜が恋しくなる。俺は二つの血に死ぬまで引き回されるんだろう。

 そして、ロシアに戻って数年。1917年3月。青年になった黒石は、ロシア革命に巻き込まれる。銃弾の飛び交うペトログラードを生き延びた黒石は、みたび日本へ。

 ・・・・・・こうしたインターナショナル波瀾万丈すぎる自叙伝に、真偽を疑う声が上がった。特にトルストイ登場あたりが、当時の文壇の不興を買ったらしい。当時はトルストイ・ブームだったので、いかにも話題集めの感がある。トルストイに会ったなんてとても信じられない、そもそも年代が合わない、と(※2)。どうもこの自叙伝は胡散臭い、黒石という奴は胡散臭い、そんな話になった。
この「嘘つき」という評価は黒石を少しずつ蝕んでいくのだけど、しかしトルストイ爺さんは、父とか祖父といったものを知らない少年黒石に唯一あたたかい眼差しを注いでくれる、名脇役になっている。

 もうひとり、少年の成長に寄与する人物に、女学校で出会う女中・コロドナがいる。コロドナは流浪のユダヤ人。黒石より20歳は年上だが、彼女と黒石は母子のような、恋人のような、奇妙な関係を築く。もしこの自叙伝に「ヒロイン」がいるとすればこのコロドナだ。「混血児」の黒石と、ユダヤ人のコロドナ。10代の少年と、30代の女性。なにひとつ、型どおりの人生を送らなかった、送れなかった黒石を象徴する関係と言える。コロドナはパリへ、モスクワへ、黒石を追いかけて、最終的には「同棲」するに至る。そして、革命のさなか・・・・・・

 こういう人たちの登場が、真なのか偽なのか。今はそこには立ち入らない。けれど、この「少年時代」の章が、ハラハラと好奇心、驚きとドン引きを喚起させる名場面に満ちていることだけは確かだ。ペチカの煙を望む平野で痩せ犬を引きずり歩くトルストイの姿も、斃れたコロドナを背負ってこの世の地獄を進む黒石の姿も、虚実を超えた魅力を持つ。

 だが、「少年時代」は『人間開業』においてはまさに序章でしかない。黒石のDOPEな部分はむしろここからだ。


3.青年時代~文士時代

 「少年時代」以降の章は日本が舞台になっている。京都での学生生活を描く「青年時代」、東京での「労働者時代」、そしてデビュー後の作家生活と長崎帰郷を描いた「文士時代」。
 黒石の冒険は、スケールの大きなロシア・フランスから、日本の下層社会へ移る。とりわけ、「労働者時代」では社会的偏見の強かった屠殺業に身を投じ、貧窮の長屋暮らしを経験する(雑誌初出時は差別用語が用いられ、批判を受けたため、後に黒石自身が謝罪している)。ただ、黒石にも、周囲の人々にも、屈託や暗さはない。登場人物たちの、開き直ったアグレッシブな生。そしてアクの強さ。あと、基本的に全員金勘定で動いているので他人への情が薄い。バイオレンス下町不人情コメディー編なのだ。

 で、デビュー作であった「少年時代」編に比べると、後の章はどんどん文章が洗練されて、というか尖ってくる。饒舌は過剰な無駄口になり、無駄口は脱線となり、脱線は余談となって前後不覚、話の流れすら攪乱していく。要するに「今なんの話をしてるの?」と、およそノンフィクションにふさわしくない反応を、読者は取ることになる。
 「文士時代」になると、その饒舌・無駄口は確固たるものになる。大正時代の文章を読んでこんなに笑えるのも珍しい。3行にいっぺんくらいの頻度で、自虐・悪口・ツッコミ・ボヤキ、やっかみ・嫌味・すっとぼけ、軽口・諷刺・当てこすり。「尻とり式にもじって」いく言葉の累積は、まるで韻を踏みまくる上質のラップを聴いているようだ。
 黒石の文体は例えば、同時代では宇野浩二との類似を指摘されたのだが、この「尻とり式」の駄弁は、もっと言えば夏目漱石に似ている。というより、この自叙伝の文体ははっきりと『坊っちゃん』だ。〈黒石〉は文字通り〈ブラック漱石〉なのであって、意識していたのではないだろうか。とはいえ「俺」は坊っちゃんほど綺麗ではない。小学校の2階から飛び降りて腰を抜かした坊っちゃんを5~6回踏みつけてロシアに送ったらアナーキストになって帰ってきたわけだ。
 そういう語り口でもって、由良氏が言ったように「珍奇なエピソードの連打」がなされる。とりあえず、以下に登場人物を羅列してみた。これだけでろくなエピソードでないことがわかると思う。


4.自叙伝を彩る怪人たち

 黒石自身がだいぶ変な人なのだが、自叙伝の中の彼は(当然だけど)主にツッコミ役である。彼の周囲の人物たちは、彼がツッコミを入れざるを得ない曲者揃い。これらの人物の実在やモデルを今は確かめられていないが、とりあえず本文を信用して紹介してみる。ついでに、その人物にまつわる本文も引用しておく。黒石の駄弁は、人物評で最も如実になるので。

▽妻とその親戚たち
・三輪子(お三輪)
 「青年時代」で黒石の妻となる。黒石は京都で、友人を介して彼女と出会うが、実は幼少期から付き合いのある幼馴染であることが判明する。そんな偶然ある?ホンマかよ?と思ってしまうのだが、そう書いているのだから仕方がない。その後、親戚の反対にあったため、黒石と彼女は駆け落ち、東京で暮らすことになる。貧窮と、黒石の捨て鉢な振る舞いの被害者とも言えるが、彼女自身もなかなかの強者である。

元日の夜明け頃、ぞろぞろ吐き出される客が、改札口から雪崩れて出てくる中に、小さい、ぽつんとしたお三輪の姿を認めたとき、溺死しかけている人間が、救助船の影を発見したように力強く感じた。(「青年時代」)

・板亀(板倉亀次郎)
 三輪子さんの親戚は、ろくな人がいない。伯父にあたる板亀はその筆頭。京橋で石灰問屋を営んでいたが、軍靴の需要を当て込んで、亀岡町に製革工場を建てる。黒石を雇うが、金払いが悪い。ケチで自信家な性格が災いして、悲惨な結末を迎える。顔が歌舞伎役者の左団次に似ているらしい。

人間は脆いものだが板亀の左団次は、あんまり脆過ぎる。(「労働者時代」)

・助三
 三輪子の伯母の義兄。のんだくれが本業で、行商人が副業の人。後述。

俺の家へ当分漂着するからそう心得ろと言っておいて、毎日酒ばかり浴びていた。(「労働者時代」)

・音吉
 これも三輪子の伯父。職を転々とし、北海道で鉄道工をしていたが、ちょっとした窃盗でつかまり、留置後は身寄りがないため黒石のもとへ送られてくる。暇さえあれば香具師から「現代富豪の財産しらべ」を買ったり、酒を飲んだりしている。アル中。行方をくらませたかと思えば黒石邸の床下に3日間潜むなど、奇行を繰り返す。最終的に、尼僧に連れられて四国巡礼の旅に出る(何それ?)が、その準備に黒石は50円を棒に振る。

「伯父といったところで根が他人の俺をこうして面倒見てくれるなあ、涙の零れるほど有難てえ」と握り拳で鼻っ柱をつるつる擦っていた。大分音吉も真人に近づいてきた。真人というのは真人間の「間」が抜けたのだ。(「文士時代」)

▽亀岡町の人々
・中山小納言(「小」は原文ママ)
 黒石の左隣の住人。「中山小納言から三代目の孫」らしい。本名は笠原、屠牛場の部屋頭。靴工場から逃げた黒石に仕事を薦める。履歴書を書いただけで褒めてくれる人。酔っ払うとなぜか「一つ積んでは父のため~」と賽の河原和讃を歌う。

小納言が調子に乗って「この世の声とも思われず」と続けたが、この世の酒盛りとも思われぬ。(「労働者時代」)

・印伝屋三左衛門
 右隣の住人。板亀と喧嘩した黒石をかくまってくれる。元軍人で、酔っ払うと日露戦争の手柄話をする。秘蔵の宝物は李鴻章の寝間着。もちろん、李鴻章は日清戦争の頃の人物である。

日露戦争に出掛けて李鴻章の寝巻きを土産に持って来るほど彼は時代を超越しているのである。(「労働者時代」)

・達磨爺
 乞食。朝から晩までシラミばかり取っている。娘は、どうも遊郭にいるらしい。ある出来事のために、亀岡町を追い出されることになる。

老人が茣座の上に座って俺のくれた煙草を喫かしている煙が見えた。老人と背中合わせに盛り上がっている露を帯びた無花果の葉と青白い星の光が美しく輝いていた。(「労働者時代」)

▽芸術家たち
あまり詳細がわからないのだが、黒石とその仲間たちは「無名文士の交友機関」として〈コスモス倶楽部〉というのを作っていたらしい。下記以外にも田中貢太郎や、宮地嘉六・辻潤・坂本紅蓮洞の名前が登場する。

・小田呑舟
 黒石が革靴に関する原稿を「空業之世界」に持ち込んだ際に出会った編集者。「空業之世界」は、「実業之世界」社のもじりである(ひどいもじりだ)。呑舟はラブレターの研究家で、ひたすら「艶書」を集めている。『艶書大観』という本を出したらしい。

それから艶書の講義を聞かせてくれたが聞いていく一方から面白くて忘れていくと、突然、「あなたは材料をお持ちになりませんか」と途方もないことを言い出す。(「労働者時代」)

・雨川亮造
 「東京毎晩」新聞の記者。作文が上手らしいが、急ぎの記事は現地取材をせずにやっつける(そしてバレる)。〈コスモス倶楽部〉の発案者。

面白そうな男だ。顔が作文みたいだ。(「労働者時代」)

・龍造寺美梅軒
 始終食い詰めている未来派の画家。カンヴァスと絵の具を質に入れてしまったので絵は描いていない。見ず知らずの渋沢栄一に「五百円貸せ」という手紙を送って断られる。雅号は雨川の命名、売れない=未売=美梅。

「どうです、僕の名前は何となく画家らしいですね」と言うから「全く馬鹿らしいですね」と真似をしてやった。(「労働者時代」)。

・高橋筑風(筑風童子)
かつて黒石と赤本(子供向けの娯楽本)を書いていたが、なぜか日活(日本活写真)の脚本主任になれた人。黒石に映画脚本を依頼してくる。黒石はセルヴァンテスの『ドン・キホーテ』を翻案して、水車に飛びかかる『宮本武蔵』を書いたらしい。

「セルヴァンテスなんて小説がありますかね? 道理で上手いと思った」と筑風が言った。この男はセルヴァンテスを知らないのだ。(略)拷問にかけたらトルストイの名前くらいは知っていると白状するかもしれない。(「文士時代」)

・菅原(健闘社)
 謎の牛乳屋「健闘社」を名乗る書生。「箆塚秋子」(平塚明子=らいてふの事だろう)の片腕を自称する。呑舟からもヤバい奴扱いされるほどの「変態色情狂」で、女性の足の裏をなめる趣味がある。特技(?)は自分にラブレターを書くこと。

明治大学の帽子は被っているが、大学がどこにあるんだか知らないのだそうだ。そして放牛閣の搾乳を五升ばかり分けて貰って、それに米の汁を混ぜて得意先を回ったり、秋子女史の片腕になったりして生活しているのだそうだ。(「文士時代」)

・杉尾一菓子(いっかし)
 九州からやってきた文学志望の青年。黒石の書生になろうとする。鼻が大きいので「鼻男」と呼称される。ヤバい奴。後述。

「お顔は拝見していますが、お名前は初めて承ります」(「文士時代」)


5.おもしろうて、やがてかなしきエピソード

 各章には、一応のメインプロットがある。「青年時代」は学費を稼ぐための金策や、三輪子さんとの結婚。「労働者時代」は貧窮の中、皮革業に携わりながら原稿持ち込みをするまで。「文士時代」は著名になることで舞い込む風評を底流に、長崎帰郷が。それぞれ中核をなす、ように見える。
 とはいえ、多くの場合がそうであるように、伝記の面白味というのはどちらかと言えば脇道に逸れた挿話にこそある。まして黒石の自叙伝は脱線が多い。
 語りの意識は二転三転する。いや、恐らくは意図的に、まるで読者を韜晦するように、その場その場で方針が宣言される。語りへの自己言及を羅列してみよう。

俺は頭が単純だから、何でも、くどくど書くことが嫌いだ。書こうったって書けない。自叙伝なんか、くどくどやっていたら締まりがない上に、切りがつかない。(「少年時代」)

俺の話は東海道のように真っ直ぐだ。(「青年時代」)

東京の話は、それから後のことだから、ここで披露すると、話がしどろもどろになる恐れがあるかもしれない。しかし大体が、筋も肉もない、のっぺらぼうの自叙伝だから、どうせ書くなら十年前のことも二十年先のことも、何だか今朝見た夢のように、ごたごたと、人様に解り難く、回りくどく、一本調子に並べてお目にかける方が俺に取っては大変都合がいい。(「青年時代」)

俺の話は双六の骰子みたいに先へ行くかと思えば逆戻りする流儀だ。世知辛い世の中に、まっ直ぐばっかり行ってもおられぬ。(「労働者時代」)

 こんなわけであって、結局、黒石の語りは「真っ直ぐ」進むこともあれば、大胆な省略で飛躍する場合も、時空を行き来して読者を煙に巻くこともある。自由自在だ。「筋も肉もない」と駄洒落を述べているように、メインプロットの扱いというのも、実はずいぶん軽々しい。
 で、ここでは挿話を幾つか紹介して、『人間開業』の一端を味わってもらいたい。

▽限界ワナビ、杉尾一菓子
 「労働者時代」「文士時代」では、黒石のもとを親戚や友人等が訪ねてくる展開が多いのだが、そいつらは決まってトラブルを持ち込んでくる。
 中でも「文士時代」に登場する杉尾一菓子は手強い。九州出身(自称、黒石と同郷人)、満州の企業でリストラされた作家志望の青年。鼻が大きいので「鼻男」とか呼ばれている。一文無しであって、「手の焼けるくせに無闇と威張る男」。急に手紙を寄越して「先生のお宅の書生に置いてくれ、それが嫌なら口を世話してくれ」と言ってくる。とはいえ、こういうワナビは珍しくなかったのだろう。
 で、一菓子はどうも「デカダン芸術崇拝家」であるが、端的にただのスケベである。どうもただのスケベのまま飯を食おうと思っている。
「この方面の猛者に佐藤春夫や谷崎潤一郎がありますな。先ず日本一でしょうな」と達者なもんだ。佐藤や谷崎が聞いたら喜ぶだろう。
 この一菓子が黒石に口添えを頼んだ原稿は『緑色の蜥蜴(とかげ)を舐(しゃぶ)る巫女の話』。しかも未完である。

一番終りの所に持って行って「この物語は未完なれども、江湖の庶士願わくば興味湧くが如き後篇を鶴首して待たれよ」と書き足してあるから気に入った。

 最初の作品を上手く終わらせられない、なぜかシリーズものにする前提で書いてくる、というのは現代に至るまでの作家志望者あるあるだが、黒石はこのあけすけな書きぶりを気に入ったらしい(そして、こうした投げっぱなしの結末を、黒石自身も後に使用していく)。
 しかし、『談語倶楽部』『話之庫』(『講談倶楽部』『話の世界』のことだろう)への持ち込みはあえなく失敗。原稿をたった2枚読んで「要りません」と言われてしまったらしい(「それは残念だ。せめて最後の頁を一枚読んでくれたら、もっと挨拶の仕様もあっただろうに!」)。
 結局、別の雑誌社の訪問記者として推挙してあげるのだが、一ヶ月で下宿の家賃を踏み倒した挙げ句、一菓子は夜逃げする。その後、彼から黒石に手紙が届く。

復讐をするから覚えていろ、遠からず貴様と貴様の一族を撲滅する。日本中の文士に貴様の無責任を鳴らして見せる。そのために俺は今大阪で百円あまりの金を費やしてるのだと言ってきた。鼻の毒気にあてられて弱っているところへ、撲滅までされては迷惑だと思った。

 こういう逆恨みをする人もよくいるが、一族撲滅とまで言うから黒石も面食らってしまう。一菓子、そんなにメインキャラでもないのだけれど、ストロングスタイルの厄介で、『人間開業』の人々の持つ謎パワーを代表している。
 もちろん、一菓子が満州でリストラ(「この会社が一万人あまりの社員を放逐した消息」を黒石も知っていた)された人物、歴史と国策の流れに翻弄された弱い労働者であることも忘れてはならない。そして『人間開業』キャラの例に漏れず、「一文無し」のである。ここでは深く踏み込まないけれども、黒石は『人間開業』の中で、こうした労働者・下層階級の人々の姿に、ユーモアを交えながら光を当てているのだ。
 しかし、『緑色の蜥蜴を舐る巫女の話』、なかなか読みたいぞ。

▽ストンピング助三
 「青年時代」のエピソードである。京橋区(今の東京都中央区あたり)にやってきた新婚の大泉夫妻。黒石は最初、石川島の鉄工所に書記として仕事を得る。得るだけであってちゃんと働くわけではない。
技師たちに書記職を馬鹿にされる→ムカついて帳簿をドイツ語で書く→親方に叱られる→ムカついたので3日間サボる→友達と3日ぶっ通しで酒を飲む、みたいなことをやっていると、京都から三輪さんの義理の祖父(伯母の夫の親)が遊びに来る。
 で、その義祖父が、黒石の家で運悪くハシゴから落ちて死んでしまう。葬式となるのだが、故人は巨漢で棺桶に収まらない。すると、一緒に飲んでいた友達・助三が一計を案じる。3日ぶっ通しで酒を飲める人間がまともなはずはなく、倫理観の類は、とうの昔に質に入れているような奴である。

 すると助三が、よしと言いながら鴨居にぶら下がった。(略)宙に浮いている両足を死人の二つの肩に乗せた。
 乗せたかと思うと、渾身の力を足の先へ集めて、うんと踏んだ時、可哀想に、老人の肩の骨がぽりぽりと鳴って、二寸ばかり、棺の中へめり込んだ。

 ドン引きなのだが、ちなみにこの助三、この老人の実の息子である(つまり、三輪さんの伯母の夫の兄弟ということ)。黒石も故人の首を押し込むなどして援護するが、結局頭が飛び出たまま夜が更ける。
こうした事態がままあっただろうし、多分、新しい棺桶を買う余裕はなかったのだろう。助三なりに経済を優先したのかも知れない。モラルで飯は食えねぇというシニシズムと、しかしそれにしても勢い良すぎだろうという「野蛮」さ。この『人間開業』の世界観を象徴する場面で、何度も読み返してしまう。

▽長崎帰郷記
 最終章「文士時代」の後半部は、最後だけあってレトリックもエピソードも『人間開業』の精髄といった趣。全集1巻分を読む時間がない人は、とりあえずここを読んで欲しい。
 舞台となる時期は大正9年4月で、デビューの半年後。黒石の祖母が死んだことが明かされる。目の不自由なこの祖母への言及は、『人間開業』の節目節目に出てくる。縁日で玩具をねだったらその玩具で殴られたとか、金がなくて腹が減ったらしばき合ってたとか、ろくでもない記憶しか出てこない。黒石も金に困ると、この婆さんを死んだことにして香典を集めていた。
 弔いのために、黒石は故郷・長崎へ帰る。ところでこの頃の黒石は、社会主義文学者にカテゴライズされていたようだ。実際、少し調べてみると、宮地嘉六や前田河廣一郎とつるんでいた。で、長崎の新聞が「日本文壇有数の社会主義作家」の来訪を仰々しく報じたのだ。
 宿についた黒石を、昔の喧嘩友達・島田が訪ねてくる。中学時代は黒石と共に木下尚江ばっかり読んでいた革命少年は、刑事になっていた。彼は黒石が何かやらかさないか、演説でもぶたないか、探りに来たわけだ。この、変わってしまった島田の描写と、それに怒る黒石の態度は熱がこもっていて、クライマックスめいている。

お前の困るのはお前がやり損じたからだ。俺がどんなに困ろうと俺の勝手で困るのだから、俺がどんな芝居を打つか見物をしていりゃ沢山だ。俺は、俺が呻きながら血眼になって藻掻きながらやっている姿を、他人のように見物している。(略)苦痛は道楽にやってる狂言のような気だから、お前の苦痛なんか屁のようだ。お前が困っているのを見ると、もっとやって泥棒になるところまで漕ぎつけてみるがよかろうと忠告する。そして泥棒になったら、お前は俺よりも値打ちのない人間だと言うくらいの冷酷な男だから、同情やお慈悲は、もってのほかだ。(略)俺は同情して貰いたくないから同情もしないのだ。

 社会のどん底を見てきた。ろくでもない人生を歩み、ろくでもない人間たちと生きてきた。だが、それらを物語ることは、決して社会の悲惨を訴えることでもなければ、まして自分への同情を買う行為でもなかった。多分、ここでの黒石は、島田だけを見ていない。まして単なる自己責任論でもない。世間に蔓延する同情を誘う泣き言にも、そして黒石自身に向けられる同情の目にも、彼は苛立っているのだろう。苦痛も、悲惨も、ほかならぬ自分のものだから。貧窮も、絶望も、自分に、何も持たない自分に残された、最後の娯楽だから。
 ここに、『人間開業』を貫く姿勢が閃いている。
 さて、島田を追い返した後も、祖母を入れる墓は見つからないわ、宿を追い出されるわ、地元の青年たちに講演を頼まれるわ、講演会場で一騒ぎが起きるわ、長崎帰郷はまったく冴えない結果に終わる。故郷に錦を飾るどころか、婆さんの死で「家族が一人減って助かった」とうそぶいて、『人間開業』は閉幕となる。


6.悲劇よりも悲劇的な

 とりあえず『人間開業』の中からお気に入りのエピソードを抜き出してみた。他にも面白い話題はたくさんあって、それを私たちは笑って読むべきだろう。笑ったり、ドン引きしたりして読むべきで、黒石もそれを望んでいると思う。
 とはいえ、上記のように、その滑稽譚はどれも〈貧しさ〉という根っこを持つ。それを意識すると、結構笑えなくなるのだが、だが黒石はそれを饒舌で塗り潰す。凄まじくカラッとした語りがその根っこを忘れさせる。
 杉尾一菓子の必死さを、黒石は強調しない。助三が本当はどんな顔をして親の骨を蹴り折っていたか、それだってわからない。黒石は執拗に、悲惨を滑稽として書く(まぁ一菓子や助三が黒石に迷惑かけたのは変わらんわけだし)。
 また、黒石自身の社会的立場についても、相当に簡略・戯画化されていると思われる。本文中には、黒石の容貌や出自に対し「毛唐」という言葉が投げかけられている場面が数箇所だけある。しかし、「混血児」である黒石に対する差別的視線は、この程度ではなかったはずだ。それも書かない。「同情して貰いたくない」からだ。
 悲しみよりも、滑稽さを描く、という方法は意識的に選び取られている。というか、黒石にとっては〈滑稽〉こそが悲劇よりも辛いのだ(随筆からわかるのだけど、今は置いておく)。肉親の死についての記述があまりにドライなのも、このあたりが関係していると思われる。
 祖母の死に言及しながら、「俺」の語りは葬儀の費用ばかりを気にしている。けれど、それは多分、悲しくないからではない。死によって発生する難儀や滑稽を描くことが、最大限の追悼なのだ。

考えてみると人間の一生なんて厄介な道楽だ。生まれることが気まぐれな冒険なら、死ぬのは迷惑な悪戯だろう。お婆さんが寂滅したのは味気ないけれども、巻き添え食った俺の身にはなかなか災難だ。俺は一体どうすれば埒があくのだ。考えたところでろくな知恵は浮かばない。ただ無闇と悲しくなって、お終いにはむかっ腹が立ってきた。(「文士時代」)

惨めさや怒りの中にしか、黒石は悲しみを描けない。


7.『人間開業』のパンチライン

 ここまで書いてみて、まだまだ紹介し足りない気持ちが強い。ここでは、本文の中の面白さの一端を理解してもらうため、本文中のパンチラインを幾つか列挙しておこう。下記以外にも、もちろんまだまだある。
黒石の駄弁は「尻とり式」なもので、前の文脈を受けて発せられるものが多い。なのでなかなか、一部分の引用で面白さが伝わるものではない。もしも読むことがあるならば、あなたなりのパンチラインを探してみて欲しい。

・成長

これで推して行ったら、今に、頭が馬鹿になり、知恵が引っ込んで図体ばかり大きくて、どんな退屈な世界へ旅行しても、平気な人間が出来るだろう。(「少年時代」)

・京都という町

寂しいということが直ちに美しいと言えるなら、京都は美しい町に違いない。金に屈託がないと、“王城花に埋れて、洛水春の影長し”などと優美に形容するはずであるが、どうも俺の懐の立場からみると、幾千年前から降り続けている氷雨に叩き落とされた栗の朽ち葉が、地面に縋りついたままで、町一面に化石しかけているように冷ややかだ。(「青年時代」)

・恋愛について

俺は恋という字が大嫌いだから、この辺から端折って、一足跳びに俺とお三輪の駆け落ちを描いて、東京へ突っ走ろう。(「青年時代」)

・俺は講演ができない

ある時早稲田大学の学生がやって来て、学校で講演をしてくれと言うから、よろしいと一言の下に承知した。ところが、その出掛ける前の日に少々飲み過ぎたために、演壇に立って「諸君」と言ったら目が回って、いきなり吐いてしまった。すると五百人ばかりの聴衆が余程気に入ったと見えて一斉に拍手した。講演はそれで終わりである。(「労働者時代」)

・シラミへ

いくら血を分けた虱でも、姿を見ると憎らしいが、卵はさすがに可愛いものだ。詩人に見せたいものだ。詩人が見たらきっと詩をつくって虱に捧げるだろう。(「労働者時代」)

・猫へ

俺を世間並みの人間だと思ってくれて、尊敬を払って逃げるのはこの猫くらいなものだろう。(「労働者時代」)

・道案内

雑司ヶ谷で黒石の邸はどこだと尋ねれば直ぐ解る。三条家と背中合わせに偉大なる冠木の門があるだろう。門の内に物凄い大銀杏が、サハリン半島から押し寄せて来る空っ風と腕押しをしながら、北斗七星を脅かしているはずだ。その枝に赤ん坊のおしめが干してある。それで解らなければ、去年の七月から家賃を一度も払わない家はどこだと聞けば大抵解る。(「文士時代」)

・健闘社の褒め殺し

「先生は天才の閃きがありますぜ。今度是非一つ創作を願いたいですね。元来日本の文壇なるものは」と黙っていればいい気になって饒舌るのだ。天才の閃きが華氏五十度くらいの創作を書くものか。大銀杏の枝に吊るしてある女房の腰巻が、三条家の屋根越しに吹いてくる高貴な風に嬲られて、角帽を被った「元来日本文壇」の頭にポタポタ雫を垂れているのも知らずに「先生の出現は近世の一大驚異です」と梅毒の広告みたいなお世辞を言ってる。近世はちと大きい。今月で沢山だ。(「文士時代」)

・質屋とは

中島屋というのは質屋だ。呑舟や俺の書籍が置いてある。(「文士時代」)

・故郷の盛衰

天の逆鉾と俺の貧乏だけは先が見えないけれども、あらゆるものには大詰めがあるとギボンのローマ史に書いてある通りだ。(「文士時代」)

・道徳

小説家の最も貴い道徳は小説を書かないことだ。書かずに済むなら俺も書かない。刑事の最も貴い道徳は旧友を訪問しないことだ。(「文士時代」)


8.大正時代の「嘘松」へ

 既に触れたように、黒石の自叙伝(「少年時代」にあたる部分)には疑念の声が上がった。そして、やがて黒石本人にも〈胡散臭い奴〉というレッテルが貼られ、それに応じるように黒石も奇矯な言動を繰り返す。かつて『中央公論』編集者であった木佐木勝の日記が『木佐木日記』として公刊されているが、関係者たちが黒石に抱いていた懐疑や嫌悪が伝わってくる。一方、久米正雄を筆頭に、文学者たちからのバッシングもあったらしい。
 自叙伝の事実確認や、それを巡る議論について、この記事ではあまり踏み込まなかった。けれど、黒石文学を読んでいく上で、虚実を巡る意識は、多分ずっとついてまわるだろう。なので、ここで少しだけ触れておく。


 まったくの編集や修飾のない「ノンフィクション」などは想定しがたいのだが、しかし少なくとも私たちは「この本は〈小説〉だからフィクションだ」とか「こっちのは〈ルポルタージュ〉とあるからノンフィクションだろう」とか考えながら本を読むし、〈レシピ本〉や〈旅行ガイド〉に意図的な嘘が書いてあるとは(基本的には)思っていない。本の体裁やジャンルを通して、作り手と私たちは暗黙の契約を結んでいる。というか、「フィクション」が通用するのは、一般的にはそのへんの約束が成立している場合だけだ。約束が何らかの理由で成立しないと、「嘘」とか「デマ」、もしくは「誤り」になる。だから、小説が虚構であることは織り込み済みでも、伝記に嘘があれば怒りたくなる。


 ややこしいのは、私たちはファクトチェックなしでも〈嘘っぽい〉と思って怒ってしまうことだ。この〈嘘っぽい〉という感覚は日常的にめちゃ厄介なのだが、しかしその感覚の正体(とか運用のされ方とか)について、私はここでズバッと言えない。保留。ともかく〈嘘っぽい〉という感覚が発動すると、Twitter上のできすぎた(つまりストーリー性がある)内容のツイートも「嘘松」とか言われてしまう。実際には「嘘」のつもりじゃない話も言われるときは言われるので、気の毒だ。

 閑話休題。黒石の自叙伝が『中央公論』に載ったとき、読者は〈事実の記録〉だと思ったはずだ。少なくとも誰も完全なフィクションとしては読まなかっただろう。これは、もし黒石が「小説」のつもりで書いていても関係がない。多くの「自叙伝」は「ノンフィクションだよ」という約束を読者と交わすので、黒石の自叙伝だけが交わすつもりがなくても、そうは問屋が卸さないということになる。
 自叙伝への疑念=〈嘘つき〉のレッテルは、黒石文学に響いていったと思われるのだけど、まぁ黒石の行動もなかなか判断に困る。
 例えば、雑誌掲載の好評を受けて大正8年に刊行された『俺の自叙伝』(玄文社)(これは国立国会図書館デジタルコレクションで読める)の「序」には一言、「この小説を書いて予は有名になった。」とあって、「小説」であると公言しているように見える。だがその「序」に続く見返し部分には、父母を始め、黒石やその親族の写真が掲げられている。これは、ふつうに考えれば自叙伝の本当っぽさを助長している。
 じゃあ『人間開業』のタイトルで刊行された大正15年版ではどうか。「挨拶」の中にあるのは次のような文句がある。

私をして文壇的にも社会的にも一躍有名ならしめたこの随筆体小説『世界人(コスモポリタン)』は~

随筆体小説、という自認。掲げられた表題とは異なる『世界人』なるタイトル。なんかよくわからない。馬鹿にされているような気もする。案外、同時代の作家たちが黒石に抱いた反感の底にあったのは、事実/嘘の問題ではなくて、真面目/不真面目の問題だったんじゃないか。その判別のできなさが、来歴の不詳と、人種的偏見とミックスされて、黒石への不信感を育てていったようにも思える。
 結局、黒石の「自叙伝」とは何だったのか。考えても無駄なことだと、面白ければいいじゃないかという声もあると思う。思うけど、まぁもうちょっと考えてみたいと思う。
 さて、1巻目からずいぶんと字数を費やしてしまった。次回は順当にいけば小説『老子』の載った第2巻、あるいは自叙伝的作品『人間廃業』の載った第5巻なのだが、一息入れるために短編集を読んでみるのもいい。まぁ、そのときの気分で。


※1 自叙伝はさらに書き足され、修正を経て、大正15年に『人間開業』が出る。それが昭和4年に『当世浮世大学』に「俺の自叙伝」として収録され、全集は昭和4年版を底本としている。

※2 他にも、パリ編ではアルフォンス・ドーデがチョイ役で登場する。しかしドーデの没年は1897年(明治30年)であり、黒石は4歳でまだ日本にいたはずである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?