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【短編小説】石鹼に励まされた話

 もし石鹼と会話ができる能力を手に入れてなかったら、僕はいまだに出口の見えない人生の迷路をさまよっていたに違いない。石鹼のおかげで僕は生きる指針を手に入れることができたんだ。

 流れ星に必死に願い続け、ある日ついにその能力を手に入れた。

 急いで家に帰ると、流しの隅に置いてある古びた石鹼に声をかけた。

「あのー、石鹼さん」

 石鹼はぎょっとして僕を見る。そりゃそうだ。今まで話しかけられることなんてなかったはずだから。たぶん。

「な、なんでしょうか」
彼、もしくは彼女は目を泳がせている。

「僕は君のことをとても尊敬しているんだ。だって文字通り、自分の身をすり減らしてまで、他人のために働いているんだからね」

「えっと、それは私の役目で……」
石鹸は変わらず白いままだが、少しだけ赤くなったような気がした。

「どうやったらそんな卓越したギブの精神を持てるのか、君に聞きたいんだ」

「……」
石鹼は戸惑ってしまったようだ。

「うーん、じゃあ質問を変えようか。君は最後には消えてなくなってしまうんだろう?みんなのために働いた結果なのにあんまりじゃないか。」

「確かに、私の体は皆さんに使われて削られていきます。でも、私は自分がすり減っていくとは思っていないんです。」

「ほう。詳しく教えて。」

「私がなくなった分、みなさんが綺麗になる。たとえ消えたとしても、私はみなさんの手が綺麗になった一瞬一瞬に存在していたことになります」

「ふーむ。でも誰にも感謝されないじゃないか。それにはどう折り合いをつけてるの?」

「自分の役割に専念して、余計なことは考えないことにしたんです。あと、ささやかな満足感を見つけるようにしました。例えば、今日はペンキだらけの手を綺麗にしてやったぞ、って感じで」

「あぁ、あの時は強引に君を使ってしまってすまなかった。それにしても……すごいな……はァ」
僕は感嘆のため息をつくと、がっくりとうなだれた。

「……どうしたんですか?」
やさしい石鹸だ。僕を気遣ってくれた。

「僕は君のようにはなれない、と思って。最近、頑張っても報われないんだ。仕事を真面目にやっても特に評価されることもないし、家事を頑張っても妻には冷たくされる。君みたいになれたらと思って話しかけたんだけど、やっぱり僕には無理そうだ」

肩を落とす僕に、石鹸は力強く励ましてくれた。

「大丈夫です。あなたが頑張ったらあなたの身は削られてしまうかもしれませんが、その分、分散された「あなた」となってこの世のどこかに存在しています。私がみなさんの手を綺麗にするのと同じように。
 ……実は、私も最初は誰にも感謝されないことを嘆いていました。でも、考え方次第で心は強くなります。必ずです」

僕は感動してしまった。

「……ありがとう。とても心に沁みるよ。」

それから、石鹼と会話できる能力はなくなってしまった。
だけど、僕は石鹸に感謝を伝え続けている。
やはり、僕の人生に一番影響をあたえたのは、この石鹼だった。




最後まで読んで頂いて本当にありがとうございました!
お読みいただいた方が、何か少しでも感じるものがあればとても嬉しいです。
今日もみなさまが心穏やかに眠りにつけますように。

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