10.第一次世界大戦
第一次世界大戦の勃発
サライェヴォ事件
1914年6月末 サライェヴォ(サラエボ)事件
⇒オーストリアの帝位継承者負債が暗殺された事件。犯人について、現在でもサライェヴォ側は「愛国者」、オーストリア側は「テロリスト」と認識している。
犯人の名前はガヴリロ・プリンツィプ。事件当時若干20歳の青年活動家である。
また、実はこのオーストリア帝位継承者夫妻の暗殺は1度失敗している。それも同じ日に。
最初は、手榴弾をオーストリア帝位継承夫妻の車列に投げ込むも、車に当たって跳ね返り後続の車を爆破。一度式典のため市庁舎に入るも、なんとその後予定を変更することなく再び車での移動を開始した先での事件であった。
こう聞くとかなり印象の変わる事件である。
実際、市庁舎に入ってからも、街に演習中の兵士を呼び寄せ配備するという対策も考えられたが、軍総督のオスカル・ポティオレクによる「演習中の兵士は式典に相応しい服装ではない」「サライェヴォはテロリストだらけではない」という主張により却下されたらしい。
その結果が1000万人以上の人間の死だというのだからとんでもない。
意図せぬ戦火の拡大
第一次世界大戦は「想定外」の戦争であるという説がある。準備を重ねた上での戦争ではないという意味である。事実、サライェヴォ事件以降は、7月の第三次バルカン戦争(を経て、8月以降に第一次世界大戦に繋がるため、実に約2カ月弱を要したことになる。
この間、身の振りように困ったことが伺える各国の対応もいくつかみられるなど、想定外の戦争とする説は根強いらしい。
戦時外交と総力戦
総力戦体勢
・戦時経済の組織化・統制・軍事力・経済力さらには精神力をも動員し、国力の全てを費やす。史上初の総力戦。
ex)イギリス:志願兵制度→徴兵制度(1916)、消費物資の配給制
イギリスの三枚舌外交
第一次世界大戦期のイギリスの素晴らしく不誠実な外交方針。
アラブ人には・・・フセイン・マクマホン協定(1915-16)でアラブ独立国家樹立を約束
フランスには・・・サイクス・ピコ協定(1916)で勢力圏分割を約束(秘密協定)
ユダヤ人には・・・バルフォア宣言(1917)でパレスチナにおけるユダヤ人国家の建設に賛成
問題点について簡単にまとめると、
1.アラブ人について
・独立国家樹立を謳っているが、サイクス・ピコ協定によるとフランスの統治下のもとに独立国家を樹立することなっている。これは後出しの情報で納得できない。
・そもそもサイクス・ピコ協定によると、シリア南部や南メソポタミアなどアラブ人が当初自国領土となると考えていた地域をイギリスとフランスが分割しており、想定より小さな国土になることになる。
2.フランスについて
・イギリスは大国であり友軍であるフランスを重視していたため、サイクス・ピコ協定がフセイン・マクマホン協定、バルフォア宣言に干渉する形となっている。
3.ユダヤ人について
・文言ではユダヤ民族居住地建設となっており、これでは、パレスチナにおける独立したユダヤ人国家を建設するという当初の目的は達成されない。また当然のようにサイクス・ピコ協定による分割による煽りをうけている。
・エルサレムの行政権をサイクス・ピコ協定側も主張しているためバトることに。
特に1と3の矛盾の結果、第四次に渡って勃発し、オイルショックの原因にもなった中東戦争の原因の一つとなる。ちなみに現在も武力衝突は続いている。
大戦の結果
・国際体制の転換
⇒列強体制→対等な国家からなる国際関係
・帝国から国民国家へ
ex)ロシア・オーストリア・オスマンの三大多民族帝国の解体
・総力戦の民族効果
・国民参加型国家及び大衆参加型社会への移行
ex)女性参政権
・国民国家の福祉国家化
まとめ
・実は二回目に成功していたの暗殺
・第一次世界大戦は想定外
・イギリスの三枚舌外交が中東戦争の原因のひとつ
・大戦後、各国が民主化方向に動くなどポジティブな効果もあった
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