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帆船は風を受けてしか進めない

他人を当てにせず、自分の足で一歩ずつ自分の人生を歩いてゆく。
この心構えは大切だ。




いちばんの基本として、
『自分の人生の運営(者)は自分であり』
『決して他人に任せてはならない』
これは事実なのだが。






一方で、
自分の望みが叶うときというのは、
『まるで奇跡が起こったかのように』
叶うのであり、

言い換えれば、

自分の足で歩いてそこにたどり着いた、
というよりかは、
『突風に吹き飛ばされて』
気がついたらそこにいるのです。




なので、
ある日とつぜん、
『自分にとって都合の良い方向に』
風が吹くことがあるので、
臆することなく、
風に乗る。





このセンスがとても重要です。







『引き寄せの法則』として知られるそれを、直接的に使用するのは、
じつはこの場面だけなのです。







♡♡







♡♡







ひきかえ、
日常生活というのは
どんな奇跡も起こらない、
ありふれた単調な繰り返しでいい。

そこに奇跡を求める必要はないし、

だから、
基本的に、
宝くじを当てる必要はありません。






むかし
『引き寄せの法則を使い倒せ』
っていうシリーズを
(※別アカウントで)
書いていたんだけど。





そこで
言い忘れていた事実を
いまここで指摘するなら、




日常生活に奇跡はいらない!




ということ。





ほかの人ととくに何も変わることの無い
『ごくありふれた』日常生活を送り、



それでいて
『とつぜん奇跡が起こって』
生きる世界が大きく変わり、
あなたの願いは叶うのです。



それでいて、
『願いが叶ったあとの世界』でも
やはり、
そこには
ごくありふれた日常生活が待っていて、

日常生活においては、
べつに奇跡は起こらない。




わたし自身に即して言えば、
これほど毎日毎日文章を書いているのに
『文章を書くことに関して』
なにひとつ奇跡など起こってはくれず、
どんな長文の原稿も
一文字ずつ
地道に入力してゆくしかないのです。




分かりますか??




ね?
そんな場所に奇跡を期待するのは
そもそもまちがっていて。
どんな人でも
地味で地道な
『繰り返しの日々』(=日常生活)を送ることを免れることはできず、
その場所での
『イレギュラーな出来事』(=奇跡)を
期待するのはまちがっています。




♡♡





♡♡





『奇跡が起こって』
願いが叶う場面と、
『奇跡など起こらず』
地味に地道に生きるしかない場面を、
きっちり見分けられるように、
ちょっとここで、
別のたとえ話を導入します。





毎日毎日繰り返される日常生活は、
『舞台を演じている』
ようなものだと考えてみましょう。




舞台、
という言葉から想起されるように、
この世での生活というのは、
(とくに他者との関係というのは)
どれほど誠実に生きていようと、
(あるいは虚偽に満ちていようと)
根本的に言って、
それは単なる演技です。




舞台、
というたとえ話で
さらに説明するなら、
『朝起きたときには』
すでにその日の1日分の“脚本”は出来上がっていて、
有無を言わさずそれを演じる(というより演じさせられる)のが人生です。
アドリブ、
という要素も無いわけではないですが、
アドリブによって変えられる部分など枝葉末節にすぎず、

もっと重要なことを言うなら、

『アドリブによって』

奇跡が起こったり、
人生が変わったりすることは
絶対にありません!!!




ね?
運命は決まっている、
生まれた瞬間から死ぬときまで
『人生で何が起こるかは』
事前に完全に決まっている、
人間が後から変更することはできない、
ということを強硬に主張する人がいますが、

これは、

いまのわたしのこの説明に照らして言えば、
『すでに与えられた脚本は』
『そのまま演じる以外に選択肢は無い』
という意味ですね。

その意味では、
たしかに
運命は決まっています。




すでに与えられた脚本に対して、
その場でアドリブを加える権利は
あると言えばあるのですが、
それをしても
『運命は変わりません!!!』






じゃあどうすれば??




どうすれば運命は変えられる??







そうです!
ある日とつぜん、
『差し出される脚本の中身が変わる』
のです。




運命を変えるというのは、

自分にとって面白くない脚本しか来ない世界から、

自分にとって奇跡としか思えないようなステキな脚本をもらえる世界へと、

移転することを言います。





そうして、
『運命を変更する』のには
これ以外の方法はなく、




この方法というのは、
言い換えれば、
(※人生は旅のようなもの、というたとえ話に戻れば)
自分の足で歩くだけでは
決して目的地には到達できないから、
『突風に吹き飛ばされて』
そこに到達しましょう、
という話になるわけですね。




自分自身を一艘の舟になぞらえるのなら
オールを漕ぐのが日常生活、
しかしそこには奇跡は存在せず、

人生ぜんぶを変えるような
『大それた』願いが叶うときというのは
(=奇跡が起こるときというのは)
帆をあげて風に乗ったときなのです。







♡♡





♡♡





いくつものたとえ話を併用したので
分かりにくかったかな?





日常生活は舞台のようなもので
それそのものに奇跡は存在せず、
奇跡とは与えられる脚本が変わること



日常生活を生きるうえでの心構えとして
『自分の人生を自分で生きる』
(他人に操縦させない)
決意はとても重要であるが、
それは人生を踏み外さないためのもの。

一歩一歩、あゆんでゆくのが日常生活、
奇跡とは突風に吹き飛ばされること。



そして、
自分自身を一艘の舟になぞらえるのなら
オールを漕ぐのが日常生活、
ただしそこには奇跡はない。
ある日、帆をあげて風に乗って、
望みの場所まで“風に連れていってもらう”のが奇跡。





日常生活をつつがなく送ること
(そこに奇跡を求めないこと)

それに対して、

“意図的に”奇跡を起こして人生を大きく変えること

このふたつを
絶対に混同しないでください。









とくに留意すべき事実として、





奇跡を起こして人生が一変したあとでも
ごくふつうの日常生活は続きます。




むしろ、
願望を実現するよりも、
日常生活そのものを歓べる感性を育てたほうが、しあわせにはなれます。




どんな人生においても日常生活は存在しており、
どんな“奇跡的なほど素晴らしい”人生を手に入れたとしても、
そこでの日常生活が気に入らないのなら
決してしあわせにはなれません。






とくに、
理想のパートナーを引き寄せたい、
などという場合は、
その人のスペックが理想的であっても
彼との日常生活が愉しいかどうかは
まったく別の問題ですので。
その点、
どんな願いも叶うとしても
『何を望むか』を誤ると
しあわせにはなれません。






その点はとくに気をつけてください。






今回はここまでとします。





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