映画『チェリまほ THE MOVIE 〜30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい〜』

公開2日目に観てきました。某おっ……BLドラマ劇場版のときに「ちがうんだよ……ふたりが幸せになったほわほわな日々を味わいたいんだよ……」と「こういうのじゃない」を味わったトラウマがあったのですが、そんな危惧は要らなかった。

安達はとても小動物で陰キャ(だった名残をのこし)でかわいかったし、黒沢はあいかわらず顔も声も体(手がおおきい&指の爪がまるい部分すごくよい)も最高なのに、安達に対しては様子がはちゃめちゃにおかしいスパダリだった。様子のおかしい男を演じると世界一な町田啓太は神。

もうねぇ、衣装も最高だった。誰だよ町田啓太に仕立てのいいロングコートまとわせたやつ。課金したいから出てきてほしい。
あとドラマの頃からそうだったけど、安達の部屋がめちゃくちゃかわいいんですよね。あんな風に『好き』に囲まれて生きる男子、とてもよい。ダブルマヨネーズおにぎり喰ってるけど。
長崎に長期出張になった安達が、藤崎さんにおみやげのビードロ渡すのも「ハァーはちゃめちゃかわいい!」ってなったし。
とにかく全編ハッピーで愛しかった。後半ちょっとだけヘビーだけどな。

でも両親へのあいさつのくだりで思ったのは、
べつに男女間の愛だって破綻するときは破綻するし、後悔するし、のちのち別れて孤独になるかもだし、男同士も男女も変わらんよ?
という点でしたね。だから無意味にそこの重みをマシマシしたのがよくわからない。
両親そんなに深刻ぶっても、女と結婚したからって幸福とはかぎらなくないですかね。なんなら日本国そろそろ同性間の入籍させようよ(一部では進んでいるけど)

子供がいたってかすがいになるかっていうと、なんかもうそうでもないでしょ、いまの時代。

ここからはちょっと自分の意見。

ちなみに原作の長崎編は読んだかどうか記憶があまりありません。原作初期はちょいちょいこう……BL特有の「今はその表現はだめでしょう」的な描写が鼻についてしまい……あとさんざん論議されていると思いますがタイトルがね。別に人間は童貞・処女のまま死んでもいいんですよ、自分の体の自由の選択権は現代日本では個々人にあるので個々人の自由ですから。

同じく、実際に唇と唇をくっつけている直接的な映像の「キスシーン」がない点について、一部のBLファンの人が批判しているのが、ドラマ版のころから不思議でした。
そして、劇場版でもカメラワークで「唇同士が密着している」シーンがないことについて憤っている人に言いたい。

そんなにリアルな粘膜接触のある映像が観たいなら、AVでも観てくれ。

言い分としては「男女の性愛描写はなんの躊躇もなく垂れ流されるのに、どうして」というのは百も承知です。でもそこで「男同士だからないんでしょう!」と声を荒げて決めつけるのは、自分の中にある「男同士の恋愛はレア・尊い・希少」という概念から生まれたものじゃないのかな? と私は思うのです。

正直「ちゃんとキスしていないからだめ」っていう一部のBLファンの指摘を見ていたので劇場版で観た際に「また厄介BLオタがうるさくなるな」という悲しい感情しかわかなかったり……。
冷静に考えてほしいんですが、カップルを囲んで囃し立てて「キッス! キース! キスしろ!」ってやってるいじめっ子みたいだなって……。

確かに脇役キャラのリアルなキスシーンはありました。
しかしたとえば女優さんが「リアルなキスはいやです」というポリシーをもって恋愛ドラマに出演し、リアルに唇粘膜が接しているキスシーンがなかったら、それを責めますか?
(ちなみにLDH所属者はわりとふつうにBLドラマでガチキスしているので、べつに事務所NGではないのでは……と思っている。『主人公』の長谷川慎ちゃんのベッドシーンでも見てほしい)

「俳優なんだから役を演じろよ」というのは理解します。黒沢の視線が、口調が、触れ方にどうみても「男性との恋愛」を拒んだ内面がにじみ出ていたらそれはアウトだし役者として非難されて然るべきですが、粘膜接触をカメラに晒していないから「観ない」「つまらない」って判断するのはほんとうにゲスいなあと感じてしまう。

一部のBLファンのそういう部分がどうも鼻につくなあというのもあります。性愛描写が濃ければ濃いほど、多ければ多いほどいいのがよいBLという判断基準(これわりとBLマンガやBL小説でもあるよね)。わたしはなじめなかったです。
このへんは好みの問題なのですが、今回のキス問題ですっごくモヤモヤしてしまったので、あえて記しておきます。

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