因果応報がつながる映画「jam」

LDHが地味にいろんなジャンルのクリエイターやパフォーマー、アスリートを集めているのを知っていましたが、映画監督も複数所属するようになって、この時代に「日本映画やろうぜ」と走るLDHピクチャーズにはがんばってほしい。心から願っております。
低予算で作られた映画が苦労の末に大ヒット、というのは日本人が大好きなサクセスストーリーだけど、どうせなら役者もクリエイターもハッピーで裕福な環境で映画撮影してほしいじゃないですか。おいしいごはんや差し入れを食べてお金の心配もなく心身満ちた状態で映画に励んでほしい。生活費や食費をきり詰めて撮影しました、とかもういい、もういいんだ。

なので「jam」にはかなり期待していました。SABU監督だし。
で、観た感想は「SABU監督えぐいなあああああ!」という実感。劇団EXILEという素材を使って、よくもこんな残酷でエグくてせつない映画を撮影なさったなあと。

以下、ネタばれ120%くらいで好きに感想を書きますよ。

■青柳翔さん演じる演歌アイドル歌手:ヒロシ
歌がうまい。青柳さんはとにかく歌がうまい。そして「自分がイケメンだと知っていて、そうふるまう男」を演じるのがうまいんですよね(下北沢ダイハード 第8話「彼女が風俗嬢になった男」を観てくれ。クズなイケメンの青柳翔が堪能できます)

で、そういう光の部分の自分に倦んだところを垣間見せるのが絶妙。さすが虚無の瞳代表:青柳翔。
ヒロシの「こんにちは」だけでヒャーッてなるおばさまたちに笑顔を向け(よくもこんなにいい感じのBBAモブを集めたなと思ったし、実際自分も混ざれる客層だったのもすごい)、歌い(ほんとに歌うめぇよMARIA)、そしてトークイベントでは笑みを絶やさずに客の妄想を聞き、無難に返事をし「あなたがたのヒロシ」を演じる。

客もすごいんですよ、「わたしのヒロシ」をそれぞれに持っていて、そこからの逸脱は許さない。ヒロシは彼女たちに束縛されているけれど、金ヅルとしては大事にする。こんなコミュニティ、芸能に限らず、絶対あちこちにあるでしょ、というリアリティがすごかった。
トークイベント中に起きた「ファン同士の解釈違い」がもとで、ヒロシはファンのマサコに監禁され「明日の市民会館でのコンサートで自分のための歌を歌ってくれ。その歌を作れ」と強いられるわけです。

ここで「あ、ミザリーじゃん?」と思ったのですが、ヒロシは翌日には絶対解放されるわけなのでまだいい。マサコにとって大事なのは「他のファンをさしおいて自分のための歌を歌ってくれるヒロシ」なんですね。ファンってこわい。

マサコ役の筒井真理子さんがこの映画のメインといってもいい気がする。狂気と愛が内包した中高年女の美を見た。ほどよくエロティックなんですよ、マサコ。過剰じゃなくエロい。監禁当初はザクロざくざく切ったりして「うわ、こわ」って雰囲気だったのが、ヒロシと作曲をすすめるうちにかわいく見えるんですよ、クレイジーサイコファンBBAのはずのマサコが。せっかくヒロシと一緒にいるのに性的欲望はぶつけないのか、と思ったらちゃっかりなところがあったり。口をぬぐうヒロシの表情の生々しさよ…。

そしてコンサートで、ヒロシはマサコを全否定してみせるわけです。割とすっぱり斬る感じで。
それでも、マサコはヒロシの「ファン」であり続けるんですね。最後のマサコの行為に対して、病院でヒロシが見せた表情が、どう意味を読み取っていいかわからない。彼女の死を願っているのか、生きていてよかったと思っているのか。
あの曖昧な気持ち悪さはさすが青柳さんだと感じました。

■町田啓太さん演じる青年:タケル
タケルはもう見るからに好青年でさわやか。でもどこかがおかしい。町田啓太さんの本領発揮。
チンピラの抗争に巻き込まれて銃撃を受け、危篤状態の恋人のために毎日「誰かにいいこと」をすることを自分に課している。でもその「いいこと」がすごく綱渡りで、泣いている幼女を見つけて車から降りて、お家に連れていってあげようとしたりする。傍から見たら犯罪に見えかねない行為を、すがすがしい笑顔で平気で善行として為してしまうんです。主婦にブラジャーを「落ちてましたよ」と満面の笑みで差し出す町田啓太が観られるのは映画「jam」だけ!

他の人のレビューでは昏睡状態の彼女にハンドクリームを塗ってあげるシーンが「サイコっぽくてやばい」と言われてましたが、あれはなかなかエロティックな場面だったと思います。

好きな相手が理不尽な目にあっていて、なお「善行をおこなえば報われる」という思想を抱くところもふくめ、タケルは無邪気で善なる存在なんですが、彼の善行は推定するに半分も善と受け止められているかあやしいあたりが切なくてよいです。
実際、最後の事件に加担してしまうわけですし。
それでも救いがあったようにラストで思えるのは、LDHあるいは町田ファンへの配慮ですか、違いますね。はい。

■ 鈴木伸之くん演じる青年:テツオ
テツオはムショ帰りのチンピラ。言葉は発せず、ひたすら行動しかしません。
行動といっても彼がおこなうのは、苛烈な暴力か、相手を認識すらできていない老女の乗る車椅子を押して歩くのみ。ふたりで行く先に何があるのか、何を目指しているのかは観客は最後に気づくことができます。

タケルの彼女が昏睡状態に至った件に関して、テツオは原因といえる存在なのですが、物語の中で彼らは会話すらしません。ただテツオが抱いているのは、かつての仲間に裏切られた怒りのみ。刑務所を出て彼はその怒りをはらします。暴力をただただ無心にふるう姿、言葉がないのにテツオの怒りや悲しみ、さびしさがにじみ出ていて鈴木伸之の身体能力を活かした表現力は素晴らしいなと再認識しました。

たどりついた水辺でのテツオは、己の過去、よい過去も悪い過去もすべてそこで精算したといいでしょう。暴力に巻き込まれ、水におとされた老女を助ける姿は暴力装置としてのテツオと同じ存在とは思えない気高ささえある。静と動を台詞なく全身で表現しきっているテツオの最後の場面は、救いなのかなと思いましたが、ああいう『終わり(終わりかどうかも明示されていない)』をむかえるのが彼の運命なのかもしれない。

■マサコという象徴
Jamを見た人はマサコを恐ろしい女と思ったか、かわいそうな女と思ったか、意見は当たり前のように分かれるでしょう。
でもヒロシという偶像を崇拝するたくさんの女たちよりも『特別』になったマサコは勝者だと私は思う。ある意味、ヒロシの『運命の女』であり、呪いそのものであり、ヒロシに向けられる愛の歪みの象徴になったから。

■そして野替愁平演じる港町
映画の最後の最後、ヒロシの付き人である港町が、観客席に誰もいなくなった(事件後なので)市民ホールのステージに立ち、ヒロシの持ち歌を歌います。
これ観たときに港町のヒロシに対する愛の気持ち悪さ(マサコとは異質なもの)を感じた。しれっとヒロシのそばにずっといつもいながら、ヒロシに成り代わりたいほどの愛を持っているのが港町。このラストシーンがjamの本領のような気がします。
愛は、こわいものなのだ。

業と欲と暴力と願いのこもった映画「jam」、本当は公開中にレビューしたかったのにすっかり遅くなってしまいました。
少しでも興味のある方はBlu-rayもしくは配信などがありましたら是非そちらでごらんください。
https://ldhpictures.co.jp/movie/jam/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?