ゲームばかりしていると馬鹿になる5

 暑い昼の午後だった。よく覚えている。
 僕は学校が夏休みに入っていた。ひきこもりで登校をしない主義の高校生の僕は、必然的に涼しい祖父母の家で過ごす時間が増えた。

 セミの声がうっとうしいくらいに聞こえてくる午後だった。
 珍しく昼にゲームにログインした僕に、すぐに個別のチャットが飛んできた。メイちゃんだった。
 なんでもレアドロップ装備目当てで高難易度コンテンツをクリアしたいので、そこそこの装備を持っているフレみんなに声をかけているらしい。夏休みで学生が多くログインしている時期なのに、メイちゃんの好き嫌いや最近の言動が災いしたのか、パーティーメンバーは集まっていなかった。

 仕方ない、たまには付き合ってあげてもいいだろう。最近メイちゃんを避けていた後ろめたさもあり、僕は彼女がねだるままにパーティーに参加した。そして呼ばれるまま、ボイスチャットのチャンネルに入った。暑い時期にヘッドセットをするの、いやなんだけどな、とか考えながら。

 MMOの高難易度コンテンツは、当時は根回しや連絡相談がとても大事なものだった。
 メンバー集め、ジョブや役割の割り振り、攻略手順の共有、時間の通知。その他、とても密な連絡・相談・報告が必要となる。何しろ、二十四人のメンバーを集めて、二時間近くかかる難しいボス戦をしようというのだから。

 普通なら週末の夜、二十一時くらいからおこなうのがふつうだ。こんな平日の昼間から突発でやるようなものではない。そうと解っていながら、僕はメイちゃんの誘いに応じた。ちょうど暇だったし、最近はフレンドに敬遠され気味のメイちゃんがかわいそうだったから。
 案の定、メンバーはすぐに集まらず、僕はメイちゃんのパーティーに入ったまま、自分のハウスでのんびりとクラフター(製作)をしていた。僕は地道な採集や製作も好きだったので、待たされることは苦でもなかった。集まってきたメンバーが必死に自分のフレンドやギルドメンバーに声をかけていて、こんな寄せ集めで連携がとれるのかな、とぼんやり考えていた。

 ようやくフルメンバーが集まって、ボスのいるダンジョンまでたどり着いたのは十五時くらいだった。時間を覚えているのは、時計を見て「おやつの時間だなぁ」と僕は思ったからだ。

 異変が起こったのは、ボス戦が佳境に入ってからだった。明らかにメイちゃんの回復が遅くなり、盾役のナイトのHPが減る一方になる。他のヒーラーがサポートしながら「メイちゃんヒールして」と急かした。メイちゃんの、高級な装備に身をつつんだ愛らしいヒーラーキャラは、それでも動きが遅い。
 メイちゃん、どうしたの。メイちゃん。
 ボイスチャットから明らかに苛立った声が聞こえた。みんな戸惑っているのだ、楽しいゲームの最中に、メイちゃんが足を引っ張るような行動をしているから。

『あのね、いま大事なお仕事してるの! 邪魔しないで』
 メイちゃんの怒声の直後、聞こえた子供の悲鳴と泣き声。
 戦闘をしていたみんなの手が止まり、ボスキャラの攻撃は一層苛烈に感じた。
『いたい、いたいよ、おかあさん。ちがでたよ、ぼくしんじゃうよ』
 子供が訴えた瞬間、ぶつりとメイちゃんのボイスチャットがしばらくの間、切れた。僕は全身に鳥肌が立つのをおぼえた。そしてメイちゃんは戻ってきた。

『こっわ』『なに、いまの、メイちゃん』『戦闘抜けていいから子供さん見てあげなよ』
 テキストチャットが、洪水のようにメイちゃんに向けて流れ込む。ボイスチャットも同じような言葉であふれかえっている。
『だいじょうぶ』
 メイちゃんは言い張った。何が大丈夫なんだろう。僕はわからなかった。血、って言ってたよ、あの子、たしかに言ったよ。
『大丈夫だってば! あたしヒールするから! だってこのボスの落とす首飾りほしいもん!』
『大丈夫じゃないでしょ』
 当時、同じサーバ―で比較的大手だったギルドに所属していた、パーティーメンバーのひとりが言った。
『大丈夫じゃないよ、ゲームやめて、子供さん見て。頼むから、メイちゃん』
 それでもメイちゃんは頑なに戦闘を続けるよう主張した。
 その結果、メイちゃんはパーティーからはずされた。パーティメンバー除名という権限を持つパーティーリーダーの役を、メイちゃんは盾役の人に渡していたからだ。

 直後、メイちゃんは怒り狂って叫んだ。のちのちまでそのMMOで語り草になるような、そんな暴言だった。
『なんなの、いきなり除名とか、あたしが集めたメンバーであたしがやりたいボスやってんのに、なんであたしをはずすの!! クソどもが!』
『うわぁ……』
 戦闘に参加していたメンバーは、みんな冷えに冷えていた。夏の日の午後のホラーだ。お姫さまのメイちゃんが感情のままに罵倒を垂れ流しているんだから。

 僕はメイちゃんのボイスチャットチャンネルにアクセス承認を申請した。許可はおりず、僕は焦りながらも続けて承認申請を出した。
 ボイスチャットがつながった。
『だぁれ? ママのおともだち?』
 メイちゃんの泣き声が背後から聞こえてくる。おんおんと泣くってほんとうにあるんだな、と僕は思った。

「怪我をしたの? ママは?」
『ママはないてる。ぼく、ころんだら、口のなかが切れて、血がいっぱいでてる。ぼくがわるいの。スプーンくわえたまま、はしったの。ママはわるくないの、ぼくのせいなの、ぼくが』
「いいんだよ、君は悪くないよ。落ち着いて? だいじょうぶ? いま、救急車を呼んであげる。住所は言える? 名前は?」
 今思えば、ボイスチャットに出てきた子供のいうことを鵜呑みにして、さらに個人情報まで引き出したのだから、僕は当時のリテラシーのない自分が恥ずかしい。しかし、子供のいうとおりの住所と名前を告げて救急車を要請した。高校生の僕は、引きこもりの割にそういう行動力だけはあったのだ。

 後で人づてに、メイちゃんがどうなったのかを僕は聞いた。
 ネトゲに熱中しているあいだに、子供が怪我をした。
 病院に駆けつけた夫と修羅場になった。
 ゲーム内で付き合っていた大学生とかけおちした。
 狭いゲームサーバー内で、メイちゃんは一躍ときの人になった。やばい人妻。お触り禁止。しばらくのあいだ、メイちゃんをゲーム内で見ることはなかったが、別のキャラクターを作成して、手持ちの財産を「メイちゃん」からそのキャラクターに移したと聞いて、僕は思った。

 ──ああ、やめる気ないんだな、このひと。

 そして怖くなった。彼女のようなひとをとらえて離さない、この世界が。
 僕はしだいに、そのゲームにログインしなくなり、そして違うゲームを遊び始めた。
 ネットにつながないタイプの、コンシューマーゲームばかりやるようになった。

 でも、メイちゃんを忘れることはなかった。
 時折彼女のことを思い出しては、ボイスチャットでわずかに話した、あの男の子がちゃんと『大丈夫』になっていることを、ぼんやりと願っていた。
 まさか大人になって、再会するとは想像さえしていなかったのだけれど。

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