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人生折り返した気分なので、社会に合わせるんじゃなくて自分に合わせて生きていこーと思います。

2年前に40歳を超えました。

人生100年時代とはいうけれど、気持ち的にはもう折り返した気分なんですよね。なんでだろ。

折り返したので、これから先は自分のために生きていこうと思っていまして、そのことを整理します。

40年間は自分のために働いていなかったのか、というとそんな事もないんですが、でも流されていたところはたくさんあるなぁと。

というか、恐らく自分が確立されてなかったから、流れに身を任せていたところが多かったように思います。それはそれで悪いことではないとも思っています。

例えば、素敵な人と出会うじゃないですか。それで結婚までしちゃうじゃないですか。

これって自分の意思がそうさせたんじゃなくて、出会いというアンコントローラブルなきっかけがあり、結婚まで、ロジカルな手順が進んだとも考えられるんです。いや、そんなことないか。笑。怒られそう。

沖縄に生まれて、両親がこんな感じで、学校がこんな感じで、という環境には初期設定で従うようにできていて、さまざまな選択で結末が分岐したと思うんです。

ゲームで言うところのマルチエンディングみたいな感じ。(まだエンディングではありませんが。)

ゲーム「デトロイト」の分岐画面

選択は自分の力が無いうちは外的要因で発生するので、流されても仕方がないんじゃないかなぁと。

言い換えると、与えられた選択肢から選択しているうちは、まだ自分で人生をコントロールしているとは言えないよね、って感じです。

じゃぁ、42になったらそれができるのか、というのを考えています。

実は、自分のために働くというのは、ちょうど40になった頃に意識しました。もっとワガママしてもいいだろうと。

働き始めた頃の僕の原動力は、お金を稼ぎたいでした。

なんとなく、高校生の頃に「月100万稼ぐ!」と決めまして、お金お金してました。

社会人3年目くらいにフリーランスになって、月80万円の収入になったんですね。

そして、気づきました。

寝たい、、、と。

お金がいくらあっても、使えないと無駄なんですよね。ギリシャ神話のミダス王という人が、触れたものを全部金に変えられる能力を手に入れられるんですけど、食べ物を金になっちゃうから餓死しました、みたいな話です。

お金より時間が重要じゃんと思うようになったんですね。でも、時間ってどうやって稼いでいいか分かりません。

時間は、有限なので稼ぐというより節約?みたいなのが正しいのかなとか、悶々としていました。

働き方を変えて、収入が三分の一くらいになる代わりに時間は増えるようにしてみました。してみたというと偉そうですが、たまたまそうなりました。

すると、友達ができたり新しい経験ができたり、家族が増えたりしたんです。時間サイコー。

単純にお金と時間は天秤なんだなと思ったんですけど、機会が増えると支出も増えるんですよね。おやおや?と。

どちらかではなく両方

時間もお金も必要じゃないか!ってなって、単純に年収のいい会社に入りました。これで安心です。

と思ってました。

中間管理職としてその会社に入ったんですけど、僕の給与はいいのに、部下の給料はめっちゃ安かったんですね。月に12万7500円です。その額で、結婚して子供がいる人とかいるんですよ。地獄です。

部下はどうやりくりしているかというと、残業して残業代で生活費を稼ぎます。口癖は、

「昨日2時間しか寝てない」

「いやいや俺は1時間」

「いやいや俺は15分」

「いやいや俺は時間の感覚がない」

でした。これもうやべーなと。

僕は、ある程度の時間とお金を手に入れはしたんですけど、なんか全然楽しくないんですよ。

奴隷に鞭打つ人みたいな感覚があって、辛い。奴隷に鞭打っている鬼とか内心辛いと思いますよ。マジで。

打ちたくて打っていない

良心の呵責をなんとかするために、従業員の給料を稼ぐためにはどうしたらいいかを考えるようになりました。

地獄を見せられて、その中から選択してるんですよね。結局。

選択肢は森がくれている

色々とやったと思います。

会社の利益を出せばいいんだろうと、その時期で二位になるくらい数字を作ったんですけど、ダメでした。やればやるほど虚しいんです。なんだろうと見渡してみると、肝心の従業員にその気がなかったんですね。ストレスや責任を与えられるくらいなら、今のままがいい、みたいな。あるいは、みんなと同じでいいから、自分だけ給料あげるとか無理、みたいな。

あぁ、、、と。ちょっと言葉が通じないかもと思いました。

人間到る処青山ありという言葉が好きなんですけど、その場に拘らなくても死に場所はいくらでもあるという意味です。

部下は、今の仲間や今の状態というのを死に場所だと思っているのかなぁ、僕は、どこにだって墓場はあるんだから色々行きたいなって思う人です。

それでまた居場所を変えました。

最初に決めていたのは、資金も能力も人脈もない僕がどうやって時間とお金と一緒に働く仲間を見つけれるのか、それは善意だ!というものでした。善意でどこまでいけるかを試す目的でした。だいぶ傲慢な考えです。

善意といってもNPOとかのようなボランティアではありません。僕は売上というのは、善行を継続させるか拡大させるかのために必要なものと考えているので、ビジネス的に僕が善行でいくとどんな化学反応が起こるのか、って感じです。

で、いきなり、立ち上げる前に、善人が3者も出てきまして、お金と場所と権威を手に入れることができました。詳しくは省きますが、めちゃくちゃ運が良かっただけです。タイミングも大きいっすね。めちゃくちゃありがたいお話。

スタートは良かったんですけど、3年全くうまく行きませんでした。善意はあっても実行者の能力がなければ、活かすことができないんですね。それに気づきました。

自分で環境を作ってみても、お金が稼げないので、結局、お金を稼ぐ選択を余儀なくされます。

時間はあるけど、お金を稼ぐために二足の草鞋を履く事にしました。で、今そうこうしている内に40になったんですね。

まとめると、第一フェースがお金、第二フェーズが時間、第三フェーズが仲間、第四フェーズが環境、だったと思います。そして、第一フェーズに戻るという輪廻。

これらは全て、初期設定から与えられる選択肢の分岐、延長線で、生かされた結果だと思います。

この輪廻から抜けようと。

わかりにくい例えですが、ゼルダの伝説ブレスオブワイルドって、いきなりボスを倒しにいけるんですよ。でも、それはプロ級の玄人がやることで、一般的には、ふわっと存在する手順従うのがいいんですね。体力増やしてハート増やして強い武器手に入れてと。どの順番でやってもいいし、途中でボスに向かってもいいんです。完璧にしなくていい。どれを選択するかはあなた次第です。で、クリアしたら、料理に凝ったり、世界旅行してみたり、小さなミッションを試したり、植物や虫の図鑑作ったり、自由になります。あ、ボスを倒さなくても、クリアしなくても自由っす。世界を救わなくたっていいんです。

何してもいい

僕のこれまでのキャリアで言えば、手順に従ってだ感じです。それで、ほんと大したことではないんですけど、一旦、お金と時間についてはクリアしました。家族が困らない分のお金、1日に自由に使える時間があります。

だから40歳になってからは、料理や旅行や小さなミッションや植物図鑑を作ろうと考えたんです。

環境が与える選択肢ではなく、自分で動き出そうと。

コツコツ真面目に働けば報われるとか、ご飯を食べるために働くとか、誰かが押し付けたそんな価値観への反抗といってもいい。

もちろん、若くしてそれをやっている人もいます。だから40にならないとできない訳ではないんですけど、僕はやっと気づいたって事です。お金や時間がなくても出来るとも思います。友人がずっと絵を描いてスケボーしているんですけど、彼は日々がとても充実しています。結婚してなくて最低限のお金で、それなりに自分で楽しい世界を生きているんですよね。

幸せなら、それでいいじゃないかと。

40歳の頃にそんなことを考えて、動き出そう動き出そうと思いつつも、ぼーっとしてたらコロナになりました。

家で仕事する機会が増えて、ふと、妻に言われました。

「毎日家にいるとお昼作るのに気を使うわ」と。

僕は会社に行き、子供は学校に行き、家で1人の時の妻はランチをテキトーに済ませてたらしいんですね。でも、相手がいると何かをちゃんとしなければならない。こういう事が、料理だけじゃなくて、お掃除とか、佇まいとか、色々なところで発生するのかもなと思いました。

これが定年退職後の熟年離婚か、、、と。

親しき中にも礼儀ありですね。例え、ずっと一緒にようねと誓ったとしても。笑

あ、もうタイミングなんだと思いました。今、職場でも家庭でもないところに、自分の世界を作るチャンスなんだと。別にウォール・マリア(進撃の巨人に出てくる高い壁)で世界を三分にする気はなく、まぜこぜなんですけど、もう一つの世界を作るタイミング。

で、その象徴として新しい会社を作りました。

合同会社O(オー)です。

ここでは、僕が今すごく関心のある教育事業をやっていきます。お金は稼げなくてもいいと思っています。そういうことを目的とせず、ただ楽しくしたいと思っています。

でまぁ、ここからが本題というと驚かれると思うんですけど、具体的に何するの?って事ですよね。

具体的には、プログラミングスクールの拡大と、宇宙教育事業のスタート、ラジオ、デザイン事業などです。

プログラミングは、これまでやって来た事です。

宇宙教育っていうのは、うちの娘が宇宙に関わる仕事をしたいといっていまして、僕も宇宙好きなんですね。で、いつか宇宙に関わる仕事をしたいなぁと思っていたんですが、工学的な知識は一切ありません。でも色々調べている内に、将来宇宙産業ってめっちゃ活性化するそうじゃないですか。インターネット登場初期みたいなのが、今起きているという人もいます。

で、恐らく10年後にピンチにあるのが人材不足です。今から育てる必要がありますよね。うちの娘が宇宙の仕事をするときに仲間が必要なはずなので、そういう環境を用意して娘に感謝されたいって感じです。笑

ところが、僕は宇宙に関わる仕事をするのにどういう教育をしたらいいのか、どうやってその教材を売ればいいのか、さっぱり分かりません。

そんなときに、こんなポッドキャストを見つけました。

このポッドキャストは、教育部門で二位に輝くなど、人気なんだそうです。

おぉ、こういうところからでもいいのかと。僕や娘が、宇宙のここって面白いよね、詳しく調べるとこうでしたよって話をラジオに乗っけて、広告収入が入る、みたいな軽いノリから始めてみようかなと思っています。

要するに自分で勉強して知ったことをラジオ(ポッドキャスト)に乗っけて、配信しようって感じです。広告費が入るかどうかわかりませんけど、教材売らなくて済むし、一応、教育事業ってことで。楽しそう。

コテンラジオとか、かなり憧れています。

で、デザインについては、もう完全に遊びです。

僕はインスタのフォロワーが3000人くらいいるんですけど、その絵を売ってみようかと。プログラミングでもゲーム作っているんですけど、そのキャラクターをデザインしている訳で、そういうのをグッズにしてみたりしたいんです。

売るというより、あげちゃってもいいなと。嬉しいじゃないですか。もらった子がランドセルにつけて学校行ってたりしたら。

昔沖縄のjaxa(当時はNASDAだったんですけど)に行ったときに、宇宙飛行士のキーホルダーもらったんです。もう無くしてしまいましたが、嬉しかったのを覚えています。そういうのがきっかけでちょっと調べてみちゃう、みたいな。

いや、調べられるような知識が身につくようなゲームやグッズをデザインするのもいいですね。こうやって遊びたいと思っています。

制約なく、考えるって、子供がレゴで遊ぶみたいに想像力が生まれて楽しいんすよね。

ところで、仕事についてなんですけど、僕は少し考え方が変わってきています。

お金を稼ぐことが仕事のあり方のように、伝播していて、そのように思っている人も多いと思うんですけど、それってめっちゃもったいない考え方だなと思うようになりました。

仕事のあり方って理想はこうだと思うんです。以下。

僕は料理が下手で困っています。

そこに料理上手な人が、代わりに作ってくれたとします。

食べたらめっちゃ美味しい!そこで僕は原価プラス感動代を支払います。

これが仕事だと思うんですよね。

なんというか、嬉しいから払うということが成立することによって、お金よりもありがとうが経済を回すんです。

そうすると、料理人の人は嬉しいですよね。もっといい料理を食べて欲しいと思うかも知れないじゃないですか。そして腕を上げると。これが理想だと思うんです。甘い考えかも知れませんが。

もしかしたら、中華が得意な人がいるかも知れないし、僕のお財布事情に適して作ってくれる人がいるかも知れないし、料理に合うような素敵な空間を演出してくれる人もいるかも知れない。

食事というシーンだけでも、さまざまなニーズがあって、それを満たすことで、「そうそう!これが欲しかったんだよ!ありがとう!」みたいな当たり前の感情です。ただみんな「ありがとう」とはいいません。その代わり、お金を払うんですよね。お金ってありがとうを可視化したものと言えるかも知れません。

そうすると、「お客さんは神様だ!」みたいなのは、ありえないんです。お客さん大事ですけど、お客さんにとってもプロは大事なんですよ。だって僕は美味しい料理が作れないんですもん。

別に特別なことは言ってません。フードコートの話ですもん。ただ、見方を変えてみようとしてます。

課題を解決しているんですよね

誰かに悩みや課題があって、それを解決してくれる人がいて、その関わり方によって問題が解決し、幸福や理想に一歩近づくというのが営みじゃないですか。ということは、仕事ってもっといい取り組みのはずなんです。

僕は料理人と友達になりたいし、もっとお金払っていいから僕の料理方法にアドバイスしてもらいたいとか考えるわけです。仕事によって、尊敬しあえる出会いがあるかも知れないし、視界がひろがかも知れない。つまり、人生が彩られ、充足感が増すと思うんです。それが仕事なのではないかと。

で、今、企業がお金だけでなく、こうした考えになっていると思います。社会も変革期ではないでしょうか。僕はそれに影響をうけて今のような事を述べています。

何かって言うと、SDGsとかESGとか社会起業家って考え方です。課題というのが個人だけではなくて世界規模で起きているんですよね。このままだと僕らやべーぞと。

プラスチックを使っているストローよりも、使っていないストローを使っている方が、なんだかいい事をしているという気分になります。紙のストロー作ってくれた人ありがとう!って感じです。

紙のストロー作るにも研究が必要で、お金が必要なので、資本主義のルールで行われますが、でも利益が細くなっても、世の中にいいことしようぜ!って企業が現れてきています。そういうところに投資家も向くようになっていると思うんです。

何が言いたいかって言うと、善行が大きく行われている中で、自分の良心にしたがって良き事をやっていい世の中になったのかなと。そんなタイミングに42歳。

正しいにプラス、楽しいとか気持ちいいとか自分が認められる事を誠実に行えば、良いことがおこる!みたいな感じなのかなと。こういう考え方はすでにどこかで言語化されてそうですけど、ちょっと説明が下手ですいません。

で会社作りましたよって話をしましたけど、考え方としては仕事プライベートを分けませんし、誰かの課題に貢献していきたいとは思います。それをもっと自由に積極的に作り上げていくってところですかね。

僕の中で勝手に仕事を再定義して、誰かに貢献しようと思ってます。あ、大きな事ではないですよ。誰かに笑ってもらえるエッセイ書くとかそんな気持ちです。

楽しければなんでもいいとは思っていないし、好きなことで生きて行くとも思っていません。一緒にいる人が喜んでくれる事が僕の幸福なので、そこにもっとワガママになろうと思います。

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