プラトニック婚、成育環境を振り返って過去の自分を未完成婚にノミネートしてみる。

道行く人を見ていると、

処女っぽいなー、
童貞っぽいなー、
ゲイっぽいなー、
レズっぽいなー、
不倫っぽいなー、
パパ活っぽいなー、

に、最近加わったもの。

「未完成婚っぽいなー」

(と思った人と、ビビっときた人と、私はいつでも友達になりたいですわーい。)

とはいえ、私もさすがに「もしかして、未完成婚だったりしますか?」などとは聞けないので、

心「未完成婚っぽさ65%……いやでも、どうかなー、実は子供できてて普通に報告してくるみたいな展開あったらこちとらなかなかにショックだぜ……いやでもその場合それが人工授精だという可能性も捨てがたいっ!……」と、
何が捨てがたいのかよくわからないですが、 
この様に心の水面下で変な方向のニヤニヤを繰り広げています。
(……気持ち悪!笑)

「8時だョ!未完成婚集合!」みたいな番組を見たことがないので実際はどうかわからないですが、
でも、その番組にはこの「っぽさ」を含んだ、似たような人が集まるんじゃないかなーと私は思うんですよね。完全に勘ですが。

そしてそして。
私たちも十分、
この「未完成婚っぽさ」がある夫婦なんじゃないかなーと思うわけです。

今日はその「未完成婚っぽさ」を形成している一部分(?)と仮定している、

家庭環境(成育環境)について

書いてみたいと思います。

自分の過去を振り返ったとき、
夫の家庭を私目線で見たとき、

なんとなく「未完成婚になるべくしてなった感」があり、なんか、仕方ないよね、この環境ありきの、このふたりなんだから、と諦めのような納得のような気持ちになることがあります。

まず大前提として、
「家庭環境」「親の育て方」
それごときでこうなったとは思っていません。
未完成婚(プラトニック婚)になったのは、それごときではなく、とてもとても多くの複雑なものを孕んだ結果だと考えています。
それから、あくまでもうちの場合です。未完成婚の人はきっと皆同じ軌跡……という話ではないです。もしかしたら、同じような気配はあるかもしれませんが。そんなことは実際は知りません。笑
ご注意ください。

でも、
あくまでも自分を形成しているごく一部でしかないけれど、
だからこそ見ないフリもしたくない。
そんな気持ちで書いてみます。
レッツ身バレ。いってみよー。


【私の実家編】


タイトルをつけるなら「精神的解散型家族」。父、母、きょうだい、私、全てにおいて全くまとまりがない。

1、呼び方が「○○さん」

下の名前で、○○さん、と呼び合うのだが、これが非凡だと気づいたのは友達の家に遊びに行くようになってからだ。昔の自分にとっては、下の名前で「○○!」と呼び捨てで呼び合う家族像というのが、憧れ半分、羞恥心半分。
未だに人から「○○、」と呼ばれる場面に遭遇すると、警戒してしまう。なんだこの人、距離近いな……みたいな。

2、全員でご飯を食べたことがほぼない

家族全員で食事をしたことが、どうだろう、今まで生きてきた中でトータル20回くらいではないだろうか。

全員の活動時間がバラバラで、各々食事、各々就寝、各々起床、というのが常だったため、何時にどこに誰がいるのかわからない家だった。こんな感じなので、家出をしたことに気がついてもらえなかったことがある。だからなのか、私の場合は好きなときに好きなものが食べられないということにややストレスを感じる。

3、旅行へ行っても……

家族旅行、いわゆる観光は覚えている限りだとたぶん2回くらいはしたのだが、
・とにかく観光という行動そのものに意味を感じない父
・とにかく人混みが嫌いなきょうだい
・とにかくその土地ならではの魅力を余すことなく堪能したい母
・とにかくお土産を見たい私

という、バラバラなモチベーションを引き連れ、起こることはただひとつ。

目的地に到着する。
→全員「じゃあ、今から自由時間にしようか\(^^)/\(^^)/\(^^)/\(^^)/」

こうして、かろうじて方向性は合っている

①父ときょうだい(室内で読書とゲーム)
②母と私(とりあえず外出)

という2班に分かれ、まるで修学旅行かのように夕食時だけ集合していた。

家族旅行で自由時間とは何なのだろうとよくよく考えれば今更ながらに思うのだが、おそらくこれが我々「精神的解散型家族」にとって適したスタイルだったのだ。たぶん。

4、全員、変。


……こだわりが強く職人気質。ものすごく気分屋。たぶん双極性障害。体力オバケなのでテンションが体力を越えても生きていけるが、普通の人ならあの働き方をしていたら倒れるだろうなと思うほどよく動く。
過去、私は父の期待に応えられれば機嫌をとれたので、コントロールするように立ち回っていたが、ある日父が「俺は子育てに飽きた」と言い放ち、完全にネグレクトモードになったため関係は迷走(そんな15の夜、クリオネは盗んだバイクで走り出したとか出さなかったとか)。

あまり関わりを持たなくなったことで比較的私は平穏にいられるようになったので、個人的にはあの宣言は本当に助かったと思っている。

ちなみに私のカウンセリングをしてくれている先生に父の伝説を色々伝えたところ、

先生「それは異常ですね!(^-^)」
と、真っ直ぐ言われた。
父の異常さについてはプロからのお墨付きである。

……ですよね!

家族LINEに入っていない唯一の人物である。


……「馬耳東風」の極み人間。基本的に何も聞いていない。よく言葉を間違える。支離滅裂。なのに時々ものすごく核心をついた発言をする。
顔を見るたび浴びせられていた父の罵倒も聞き流していたが、たまにぶちギレたり、そうかと思えば気分がよくなったときに思いきった買い物をしたりして、こちらも気分の波が激しい。統計上、特に大晦日にキレがち。
そんなに頻回に夫婦喧嘩をするなら早く離婚すればいいのに、と子供目線では不思議だったが、本人曰く「(父は)見ていて飽きない」らしく、今も仲良く(?)ふたりで暮らしている。

きょうだい
……サイコパス。子供の頃ゲームをしながら奇怪な声で笑っていた。いつぞやの卒業制作が、好きなキャラクターが卵になっていて、その卵が真っ二つに割れているというものだった。火遊びが好きで夏は庭が花火の火薬臭かった。狂気を感じるが反社会的行動には至っていないようなので面白い人の範囲だと思う。待ち合わせを提案してきて、遅刻してくる。一周回って天才だと思う。


……完璧主義で神経質。待ち合わせの3時間前からソワソワしているタイプ。ファッションや文化的なことに時間とお金をかけがち……と生意気に自己申告してみるが、要はまあまあな浪費家。頭は悪いが勉強はわりと好き。最近お金の勉強ばかりしている。一番まともっぽく書いたが、他人から面と向かって「変わってるね」と言われるのはおそらく私が一番だろう。悪目立ちするし、派手な方向に変だし。(それに他はほら、思っても言えない空気あるから)

こんな感じで「存在が事故」みたいな集団だったので、できるだけ共有する時間が短い方が合っていたのだろう。

「それで、家族がバラバラにならないの?」……そう思春期に大人から聞かれたことがある。

違うんです、バラバラだから、一緒にいられるんです。
~精神的解散型家族(完)~


【夫の実家編】

タイトルをつけるなら「お義母さんが全て回す家族」かなあ。

まず、お義父さんも、夫のきょうだいも、夫も、基本的に何も喋らない。こんなに静かな家庭があるのかと、上記の環境で育った私は衝撃を受けた。
私目線でしかないが、
親子間で「嫌われたくない」というモチベーションがものすごく見える。
親しき仲にも礼儀ありとは言うが、ここまで「どう思われるか」を意識して親子として歩んでこられた人たちを私は見たことがない。

そして「男の子だからね」という理由で色々とシャットアウトし、踏み込まない。パーソナルスペースが広すぎる、ように感じる。

だが、お義母さんは、そんな家のなかで、なんとか色々なことを決めようと、ひとり奮闘していらっしゃる。故に先回りになってしまい、家族から「めんどくさい」と思われ、それを感じ取って嫌われることをしたくないと考え、またシャットアウトし、それでも気になり、どうしたものかと、どうにか家族を前に進めようと奮闘していらっしゃる。そんな感じ。

こちらはバラバラにならないよう、お義母さんがなんとか繋ぎ止めているような雰囲気。
本当にすごいお義母さんだと思う。あんなに堪え性のある方を、私は見たことがないし、素直に尊敬する。


こう改めて書くと、未完成婚にノミネートされそうな要素が結構あるな。

私は基本的にバラバラな家族がデフォルトなので、家族愛を維持するために一般的な繋がりをもたなければならないという発想が根本的にない。故に愛を確かめるだとか、愛のために努力をするといった行動の練習はしたことがないし、意味はわかっても腑に落ちないことが多い。そもそも個体だし、と考えているので、逆に何かをされたから裏切られた、みたいな感覚もよくわからない。裏切られたと思うほど家族という集団に期待をしていないのかもしれない。
「個」として生きる家族像が当たり前すぎて、そうでないとストレスになるくらいなのだから。


夫に関しては、家族の空気感、価値観の優先順位として「嫌われたくない」あるいは「どう思われるかが怖いから言わない」が上位にあり、ストレスに対しての最適解となる行動が「回避」であり、嫌われてもいいから・どう思われてもいいから向き合うという練習をしてきていない。(まあ、あえて嫌われにいく人もどうかと思うが……)それでもそれまでは母親が先回りをしてきたので、その後ろにいれば生活できたのだと思う。

個として生きる家族像をもつ私と、
回避的行動をとっても問題がない家族像をもった夫。
未完成婚にノミネートだ。


いずれにせよ、人はずっと同じではないし、育った環境が悪いだとか、親の育て方が悪いだとか、そういうことを言いたいわけではない。なんならこれでも親ガチャは当たったと思っている。私は生活に困らなかったし、グレる余裕だって与えてもらえた。今となっては、自分に一番合っている家族のスタイルを提供してもらえたと思っている。

なにより、夫は、今でも私にとって最高の人だ。

でもなんというか、この2人だから、未完成婚という状態になったのだろうな、プラトニック婚、オープンマリッジを導き出したのだろうな、という、化学反応的でありながらやや必然的なものを感じるのである。どちらかが、何か少しでも違っていたら、結果は違っただろうなと。良い悪いではなく。


またこれも、縁、なんだろうな。

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