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きょうの出来事

きょうは、頼んでいた手ぬぐいが届いていたので、代金を振り込みに行ってきました。

最初は駅前のスーパーにあるATMを利用しようとしたら、キャッシュカードが使えないというのです。それならば、窓口で手続きするしかないと口座のある店舗に行っても使えないと出る。

なんでかな?と窓口のほうに並んだら、おじさんが対応してくれて、いっしょにやり直してくれたら、なんとか振り込めました。

そして、最初のスーパーからの帰りには、はす向かいのお宅が引っ越しで、大きなトラックが置いてあり、車庫入れに超苦労したけれど、やり遂げました。

次の店舗は、新百合ヶ丘でしたが、いつも使っているイオンの駐車場に入れたら、難なく駐めることができました。

自動車の運転は、28才のとき覚えたのですが、免許を取って一週間後から通勤というすごい事になってしまったので、北関東の田舎(栃木県足利市から群馬県の太田市にかけて)の田舎のアウトバーン(対面通行片側1車線)を時速70kmくらいで走って通いました。

スピード遅くすると前後の車についていけず危ないので。

しかし、工業地帯だけあって、ダンプやトラックが多い土地だったにもかかわらず、彼ら職業ドライバーは、初心者にとても優しいのです。

週末よく遊びに行った葛生町の石灰鉱山の辺りは、ダンプの往来が多いのですが、皆さんとてもやさしい運転をしてくれて、カローラのセダンの私も、不安になることなくドライブを楽しめました。

もともと、母方の祖先が葛生で鉱山関係者らしく、祖先に守られていたような気もします。

そして、田舎のアウトバーンを走っていた私の職業は、自動車金型の3次元CAMオペレータでした。自動車メーカーから来たデータを使って、マシニングセンタ(金属加工用の切削機械)を動かすデータを作るというものでした。

私は、機械が大好きで、現場で人が乗って動けるような計測器。デジタイザの操作を研修で学びました。

当時は、エンジニアリングワークステーションと呼ばれる大型コンピューターでないと動かないシステムだったので、UNIXも少し勉強して、なんちゃって、プログラムを書いたこともあります。

ただ、その頃の私は、私生活であまりよくないことが重なり、長時間の仕事の辛さを誰にもうちあけられず、ある日社長と喧嘩をして仕事を辞めました。

いまならわかるのですが、当時も妄想がありました。妄想する自分と、受け入れてくれない社会の板挟みで過敏性大腸を発症したのもこの頃からです。

でも、車を運転していると、過敏性大腸もなぜか耐えられるし、とにかく、車が体の一部のように動く感じがとても楽しくなりました。

もちろん、安全運転は心がけています。道も安全な時間帯と経路を選んで走ります。

きょうは最後に残った難題(車庫入れ)の練習の日となりましたが、苦労した分だけ、自分に自信を持つことができてよかったです。

たあこ

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