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受動と能動、消費と生産の間の「垣根」を無くす

以前、ポートランドに3年半住み学んで行き着いたコミュニティ開発の極意を「参加のハードルを下げること」と結論付ける記事をブログに書いた。

僕はこの考えをもとに、会社の名刺のWhat I Do Wanna beの部分に「参加のハードルを下げる人」と書いた。

では、参加のハードルを下げるために必要なこととは何だろう?

以下のnote記事にやはり若干ポートランドの話題が散りばめられていて、以下のように書かれていて、まさにその通りだと思った。

世界のいけてるまちは、あまねくひとびとが、消費者である一方、いつでも能動的に生産者・クリエイターになり得るという可能性に充ち満ちています。今、あなたの目の前にいる、どんな人も、明日のブードゥードーナツなのです。

つまり、「生産者と消費者」、「演奏者と聴衆」、「お店とお客」、「サービス提供者とサービス受給者」、「助ける側と助けられる側」「無償サービスと有償サービス」などの間のあらゆる「垣根」を取り払うこと。

10年まえくらいにツイートしていた関連する内容をまとめてみた。

「垣根」を取り払う

垣根(1)「生産者と消費者」、「演奏者と聴衆」、「お店とお客」、「サービス提供者とサービス受給者」、「助ける側と助けられる側」「無償サービスと有償サービス」などの間の垣根の無い臨機応変な「場」を増やしていきたい。

垣根(2)農業で重要なのは、国としての自給率だけじゃなくて、「地産地消率」と、「一般市民の生産活動への従事率」も大事だと思った。都市農業を推進して都市でも自給率を上げることは出来るし、生産者と消費者の垣根をなくし消費者がちょっとした生産者になることも出来る。

垣根(3)都市部での食料やエネルギー自給率が上がれば、それだけ持続可能性が高まる。生産者と消費者の垣根を無くすことがキーだと思う。そうすると、必然的に、生産者単位の規模は小さくなる。

垣根(4)エネルギーにしても、フェアな土壌で無数の一般市民が生産者になることが出来れば、どのくらいの発電量が得られるのかは計り知れない。日本のエネルギー問題も、生産者と消費者の間の「垣根」が大きく影響していると思う。

垣根(5)ポートランドの街中には、ストリートパフォーマーが沢山いる。中には、「それなら自分にも出来る」と思えるような、簡単で全体のレベルを落としているパフォーマーも普通にいる。この、演技する側と見物する側の垣根の無さが最高だと感じる。むやみにハードルを上げるとつまらなくなる。

垣根(6)ポートランドのアートへの取り組みが成功しているのは、恐らく、たいしたことないように見える作品も、人目に触れやすい場所に展示されやすいから。特別な能力や経験がなくても、「これなら自分にも出来そう!」って思わせてくれる。「表現者」と「見物客」の間の垣根が薄い。

垣根(7)個人やグループの枠から抜け出せないような自分たちを売り込むだけの音楽活動は卒業した。むしろ、「表現者」と「聴衆」の垣根のないような、誰もがその間を自由にまたいで活動し、自信をつけていけるような場づくりをしていきたい。

「消費コミュニティ」から再び「生産コミュニティ」へ

産費(1)『戦後は、戦前の大家族主義から、消費を前提とした「都市型」の「核家族」が圧倒的に増えて、家族は、「生産共同体」から「消費共同体」へと変化した。』(降りてゆく生き方・コンセプト:http://ow.ly/468Aq )この変化は、実はとてつもなく破壊的な変化だと思う。

産費(2)生産者と消費者の分離について。生産者は、見栄えの良いものや便利なものを形にしつくし、消費者は「選択するだけ」で何不自由なく生活出来るようになった。だけど、その分、生活の基本である「衣・食・住」を自分たちで作り出す機会が減ってはいないだろうか。

産費(3)現代を生きる僕たちが、どれだけ生活の基本要素である「衣・食・住」の生産活動から遠ざかっているか。元々、生産共同体だった「家族」が、どれだけ消費共同体に成り下がってしまったか。僕たちは、どれだけ普遍的なものを無視して、関連の薄い活動に一生を費やしてしまい得るのか。

産費(4)ちやほやされている職業の多くが、水も酸素も食料も何一つ生み出せていない。何も生産出来ずに、ただ消費だけし、社会を持続不可能にしている。そんなもののために、過酷な競争社会の中で多くの人が血眼になって生存争いをし、水や酸素、食料の生産を支えている人たちを蔑視している。

産費(5)黒澤映画「生きる」の主人公は、市民課長としての地位を守る為に何もしない「生きた屍」のような人間だったが、胃がんだと気付いてから人が変わった。まず「消費する」ことをした。だけど、消費するだけでは「生きる」ことは出来ないことに気付いた。そして、「生産する」ことに目覚めた。

産費(6)黒澤映画「生きる」の主人公が「生産する」ことに目覚めてから着手したことは、「公園の建設」だった。それは「市民課」の枠ではどうしようもなく、生きた屍のような助役や他の課の役人に働きかけなければならなかった。彼は、自分の責任範囲を超え、リスクを犯してまで公園建設に尽力した。

産費(7)まずは出来る限り顔が見える関係を築くことが大事なのかも。「生産者と消費者」、「お店とお客」、「サービス提供者とサービス受給者」、「助ける側と助けられる側」「無償サービスと有償サービス」など、垣根の無い臨機応変な「場」を増やしていきたい。

産費(8)将来、何かの職業に就いて個人とか家族単位で生計を立てようという発想はあまりない。地元のコミュニティのみんなで少しずつ稼いで、みんなで生産して、みんなで消費して、みんなで節約して、みんなで無駄をなくしたいなと思う。そんなに甘くは無いと思うけどね。

産費(9)住宅が「スペースの私有化」と「消費」のためだけに使われるなら、稼働率も生産性も低く、価値が下がってしまう。「共有」、「交流」、「生産」、「売買」、「節約」、「恊働」することによって、同じ住宅でも、価値をぐっと上げることが出来る。

産費(10)農業で重要なのは、国としての自給率だけじゃなくて、「地産地消率」と、「一般市民の生産活動への従事率」も大事だと思った。都市農業を推進して都市でも自給率を上げることは出来るし、生産者と消費者の垣根をなくし消費者がちょっとした生産者になることも出来る。

産費(11)Community Supported Agriculture(CSA)は、コミュニティとしての農業の形で、一般市民が直接or間接的に生産活動に関われる仕組み。間接的にというのは、CSA農家に定期的にお金を払い(投資し)、助けること。その対価として生産物がもらえる。

生消(12)「ベッドタウン」が嫌いなのは、「稼働率の悪さ」があるから。そこに構造物や道路を造ればもはや動物もいれなくなるし、雨水も吸わないし、酸素も生み出さなくなる。私的に使えば限られた人しか使えなくなる。日中仕事に行ってしまえば誰もいなくなる。ロスばかりで取り戻せない。

生消(13)ベッドタウンだとしても、沢山の人がいるんだから、経済構造を作ることは出来る。ベッドタウンをベッドタウンのままにしておく義務なんてどこにもない。「共有する」、「交流する」、「生産する」、「売買する」、「節約する」、「恊働する」ことで、ロスを取り戻す事は可能。

生消(14)かなり大きめのアパートに住んでるんだけど、今までいろいろ研究してきたサンドイッチを、住人向けに低価格で売り出そうかなと思う事がある。何の変哲のない住宅地でも経済の拠点と見て、どの住人も生産者でありサービス提供者になった時のインパクトは、革命的だと思う。

生消(15)家族やベッドタウンを含めたより多くのコミュニティを、「消費共同体」から、再び「生産共同体」として機能させていくこと…それは僕の夢でもあり、使命でもあると思っています。

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