3/12 継続できない≒強迫的完璧主義≒おれのパーキンソン傾向として

ねむい、ねむいけど、書ける日は一日一日記を書こうと試みている、なんというか、息をするように書きたい、書けるようになりたい、と今は思う。特にスキとかつかなくっていいから。勿論ついたら嬉しい、でも、つかなかったからって凹んだり、ちょっとやーな氣分になったり、そういうことはしない、何者かにならなくっちゃとか、向上心がなければ馬鹿だとか、そういう、邪魔なことは全部捨ておく。なんでかってーと書けなくなるから。いや、もちろん書きっぱなしは良くない、下手な自分の文章がこわくて、薄目でしか見られない、そういうのも恐怖心の一種だ、そういうのはもういらないのだ、完璧を目指すのをやめる、というか、否定を恐れる、百点じゃなかった時、まず自分の中に棲む、誰か恐ろしい先生から指摘が入る、私の心が委縮する、外部からも、良い反応が得られない、やっぱり私が頑張らなかったせいだ、もっと頑張らなきゃいけなかったのに、サボったからだ、でも怖い、どうしたら良かったんだ、どうしたらあれ以上のものができたっていうんだ、わかんないわかんない、手が動かない、頭も回らない、作ることが、弾くことが樂しくない、ああどうしようどうしようどうしよう、鬱だ、しんどい、しんどい、死んでしまいたい、生きたくない、動きたくない、外の世界はいやだ、誰の顔もみたくない……。
負の螺旋。
根深い、呪い。
頑張って頑張って、前の自分より上へ、同級生たちより上へ、停滞するな、逃げ出すな、一生自分に負け続ける人生になるぞ、自分で決めた道だろう、なあ、なあ、なあ、なあ、なあ、……………

そんな、……世界観。
終わらない緊張の中で、わたしは生きてきた。
そういう世代で、そういう親で、そういう部活で、……それで、真面目な私も、いて……
バチッと嵌まって、噛んでしまった。
わたしは、逃げ方をしらなかった。
不真面目になる余裕ってものを、誰からも教われなかった。

結果として、手も足も、全然うごかせなくなった。
思う通りに指を動かそうとすると、肩が痛い、背中が痛い、腕も痛い、……ピアノを弾くたびにいろんなところがつっぱっていく。練習するたび筋肉が硬くなって、練習初めより終わりの方が、キーの押し方が甘かったりする。

練習すればするほど、悪く、…悪くも、なる。
痛くもある。
理想のイメージはあるのに、いつまでたっても思うように動かせない。
毎回毎回、敗北感をうっすら抱えながら、練習を終える。
練習するほど悲しさが増える。
そういう不幸を、……しんどさを、当たり前のものとして、日々、自分を傷めていた。

練習は、つらくて苦しい。
でも、それを耐え抜いたら、その先に、栄光が待っている。

……高校野球のクソみてーな部類の考えだよなって、まあ、今なら、思う。
わかんない。それでうまくいってるとこもあるのかな。知らない。おれには合ってなかった。でも、練習が甘くていいとも思ってなかった。でもやっぱり、痛いし、つらいし、……何がどう、間違っていたんだろう。

基礎練って、ほんとは樂しい。だってすぐ技術に反映されるから。
ただ、充実した基礎練至るには色々な条件があって、健康であることだとか、自分に嘘をつかないだとか、私にとっては大問題になることが、いろいろとあって……、
たかが基礎練、されど基礎練。
がこなせるようになるまでに、これだけ時間がかかってしまった。
……30年。

30年かよ。笑うぜ。

……とか、”基礎練できるようになりましたあ”と言ってみても、まだできてないのかもしれない、わからない、練習と言うものの底、あとはわたしの不健康の深さ、わたしはまだまだ何もわかっちゃあいないのだ、わかってないことすらきっとわかってない。

それでも自分の體を愛そう、信じよう。
劇的に弾けるようになってきて、充実し始めたピアノとの時間を、言祝ごう。

ちくしょう、長かったなあ。
これからも長いなあ。

ああ、自分のための文章だ。
きらきらとしているぜ。

おこづかいちょーだい!