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座り込んでいる女・第四幕


高一の時、私はあの子と同じクラスになった。変な子だった。

くだらない理由でいろんなものを敵意として受け取り、そのうち授業をサボって廊下やトイレに座り込むようになった。

ある日、性格の悪い子たちがあの子をトイレに閉じ込めた。

それからあの子は学校に来なくなったけど……。
あの子を気にして、あの子のお家を訪ねようとした担任の先生が、殺されてしまった。
道端に座り込んでいたあの子の手で。

それからあの子は、座り込んでいる女として、いろんな人たちを刺した。
見て見ぬフリをした人たちではなく、心配して声を掛けてた人たちだけを。

あの子は逮捕された……。

あれから年月が経った。
私は高校を卒業して大学に進学し、大学を卒業した後は小さな会社に就職した。
そして、気付いたら現社長のご令息と結婚して、会社役員という名目の専業主婦になった。
次期社長である夫との間に、息子も設けた。何の因果か、あの子をトイレに閉じ込めた子たちの主犯格だった子とご近所さんになった。
彼女は看護師として小さなメンタルクリニックに就職し、そこの院長の息子、つまり次期院長と結婚したらしい。

あんな酷い虐めの主犯格と、それを見て見ぬフリしたドクズ。
そんな奴らが、それぞれ幸せを謳歌していた。不条理と言えば不条理だった。



そして、あの一件から二十年後の今日、金曜日にたまたま私たちは母子で軽いパーティを開いた。
それぞれの子供を遊ばせている間、母親である私たちはアフターヌーンティーを愉しみながら歓談に耽った。
で、何故か知らないけど、次期院長夫人の元主犯格は急にこんなことを言ってきた。
「今日、あの日だよね。私らがあの子をトイレに閉じ込めた……」
私は言われて思い出した。
しかし、どうして自分からそんな話を振るよ?
気分が悪いだけじゃん。
元主犯格もいい気はしていなかったらしく、表情は曇っていた。
私も同じだ。そして、変なことを言ってしまったのも同じだった。
「実は私、あんたたちがあの子をトイレに閉じ込めてた時、トイレのすぐ外に居たんだ。だから知ってたんだよね。あの子が閉じ込められたこと」
二十年ぶりの告白だった。
なんだけど、元主犯格は特に驚いた様子を見せなかった。
「知ってたよ。あんたが早歩きで通り過ぎてくの、見えたもん。バレたな…って思った。先生にチクられるかなって思ったけど、あんた黙ってたんだね」
元主犯格はそう言った。
だから、あの子の発見が遅れたとでも言いたいのか?
いや、そうではなさそうだ。
元主犯格は暗い表情のまま、話を続けた。
「逆の立場だったら、私も黙ってたよ。だって、逆恨みされても嫌じゃん」
元主犯格に私を責める気は無いようだ。
当たり前と言えば当たり前。
だって、一番悪いのは、閉じ込めたあんた達なんだから。
「あの子、今はどうしてるのかな? 自殺しちゃったのかな? 情緒不安定だったし」
私は半笑いで言った。すると元主犯格は、真顔で返した。
「それは無いと思うよ。あの子、自己愛が強いタイプだから、自殺は絶対にしないだろうって、夫が言ってた。先生に注意にされたら、自分のこと棚に上げて「イジめられた」とか言う子だよ。自殺なんかしないって」
そうなのか。精神科医の旦那さんのお言葉なら、説得力がある。
と思って聞いている私に、元主犯格はこの流れで恐ろしいことを口走った。
「まだその辺に座り込んでて、誰かが声掛けるのを待ってるんじゃない? 担任の先生みたいな人が来るのを」
この瞬間、私は背筋が凍るような感覚に襲われた。

実は私、高校に在学中は勿論、大学に進学した後も、就職した後も、家庭を築いたした今も……。
壁際に置いてある小物が座り込んでいる女に見えてしまうのだ。
見間違える度に私はあの子を思い出し、あの子に監視されているような感覚に襲われる。
だから、元主犯格の言葉は割と怖かった。

「止めてよ、怖すぎじゃん……。あの子も一度捕まったんだから、もうやってないって。座り込んでいる女に人が襲われるニュースも、もう聞かないじゃん」
私は笑いながらそう言った。
そして、この言葉も付け加えた。
「それに、あの子じゃ私は殺せないよ。私、座り込んでいる女に声なんか絶対に掛けないし。担任の先生みたいな善意や誠意、私には無いから」
これはあの日以来、二十年間掲げていることだ。
これは自慢げに話すことか?
とでも言いたげに、元主犯格は笑った。
「私もそう。私も良い人じゃないから、あの子には殺されないよ」
これでこの場の雰囲気は明るくなった。
だけど、心の底から明るくなってはいない。
「だから、子育ては気を付けなよ。息子さんにちゃんと教えなよ」
元主犯格はそう言った。

余談だが、元主犯格の夫の精神科医は、高一の時に元主犯格が撮ったあの子のパンツの写真を買った、同中のヤバい奴らの一人だったらしい。
どういう訳か、世の中にはドクズばかりが蔓延るようだ。



こんな話をしたからだろうか。
帰り道に、座り込んでいる女に出くわした。
当然、私は見向きなどしない。
それと対照的に、息子は座り込んでいる女を案じていたが、私はそんな息子の手を引いて突き進んだ。
(座り込んでいる女は、善意で手を差し伸べた人だけを殺す。私はドクズだからそんなことはしない。座り込んでいる女に、私は殺せない)
ハッキリ言って、あの子に対する恐怖なんか全く無かった。
昔も今も、あの子のことは軽蔑しているし、見下している。

だけど、息子は違った。
「ねえ、どうして? あの人、本当に具合が悪かったら大変だよ」
私と違って、息子は誠実な人間だった。
これを喜ばしく思う人は多いのだろうが、私はそう思わない。
「だけど、関わらない方が良いの。悪い人かもしれないでしょう? 悪い人はね、憎い人や恨みのある人を襲うんじゃないの。襲える人を襲うの。だから、関わったら駄目なの」
不満そうな息子に、私は説明した。
お願い、解って。
他人を心配する気持ちは大切と言うけど、実はこの世の中では自己中の方が得をするの。
正直者は馬鹿を見るの。理想だけで、世の中は語れないの。

そう私は思っていたが、本当に息子は私と違った。
「やっぱ僕、見て来る! あの人が心配だもん」
息子はそう言うと、腕を掴む私の手を振り切って、元来た道を戻り始めた。
私は息子を制止するべく、叫びながら振り向いたが、その瞬間に体が凍り付いた。
「どうして? どういうことなの!?」
反対側の歩道で座り込んでいた筈の女は、いつの間にかこちら側の歩道で座り込んでいた。
しかも、私たちのすぐ近くに居た。
私はそれが、いつものように消火栓だかゴミ袋だかの見間違えであることを望んだ。

しかし、そうではなかった。
息子はすぐに、自分から座り込んでいる女の間合いに踏み込んでしまった……。
その次に何が起きたのかは、余り説明したくない。

取り敢えず次の瞬間、私は激高していた。
「いい加減にして! 全部、あんたがキモいからいけないんでしょう!!」
都合よく近くに、雨傘が捨てられていた。
激高した私は雨傘を手に取り、これで座り込んでいた女を殴った。
左側頭部を一発、左肩を二発。それぞれ殴打した。
座り込んでいた女は倒れ、傘は壊れた。
私は息を切らせて、座り込んでいた女を見下ろす。
殴られて怯んでいるのかと思いきや、座り込んでいた女は不気味な笑い声を上げていた。
「息子だったら、見て見ぬフリしないんだね……。二十年前、あの子の時は見て見ぬフリしたのに……」
座り込んでいた女はそう言いつつ、倒れたまま顔を私の方に向けていた。

この時、私は気付いた。
「えっ? あの子じゃない……。どうしてあんたが?」
座り込んでいた女はあの子だと決めつけていたが、よく見たら顔が全然違った。
なんと、ついさっきまで一緒にお茶を飲んでいた、元主犯格だった。
どういうこと?
驚いている私に、元主犯格は叫んだ。
「あの時、あんたが先生にチクってくれてれば、こんなことになってなかった!!」
涙ながらに元主犯格は叫んだ。

実は元主犯格、高校時代の友人から揺すられていたらしい。
高校の時、あの子をトイレに閉じ込めたことを常連の患者たちにバラされたくなければ、金を寄越せ……と。

「あんたが先生にチクらなかったから、あの子はトイレに土日中閉じ込められて、私は停学食らった! で、今はそのことで揺すられてる! 私が虐められてるのに、あんたはノーダメージなんてあり得ない!」
元主犯格はそう叫んだ。
いや、意味が解らない。
あの子を閉じ込めたのは、あんたでしょう?
どうして私のせいにするの?
って言うか、恨むなら私じゃなくて、揺すって来た奴でしょう?

いや、そうか。
もう、こいつは座り込んでいる女なんだ。
だから、ただ襲える奴を襲うだけになってしまったんだ。
そのことに気付いた時、私はブチギレていた。
「ふざけんな! 座り込んでる女になったなら、この世から消えろ!!」
そう言えば、ナイフが落ちていた。
先まで、新たな座り込んでいる女こと元主犯格が持っていたものだ。
刃先は真っ赤な血で濡れている。私は怒りに任せて、それを拾い上げた……。


座り込んでいる女に、関わってはいけない。
奴らは苦しんでいるフリをして、獲物が掛かるのを待っている。
自分が襲える獲物が掛かるのを……。
いや、それだけではない。
気付いた時には、自分も座り込んでいる女になっている……。

善意や誠意は、接する相手を間違えたら報われないどころか痛い目を見る。
だから座り込んでいる女は、善意や誠意で自分に接してくる相手を選び、その相手に襲い掛かる。

座り込んでいる女にとって相手などどうでも良い。
座り込んでいる女は襲える相手を襲うだけ。
そこに合理的な理由など無い。

世の中では善意や誠意の無い者ばかりが生き残る。
座り込んでいる女が、善意や誠意を持つ者たちを殺してしまうからだ。
この世は何処までも不条理なのだ。

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