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「冬、鍋の時期。」①「おでん闘争」・2023年の〝鍋〟事情

 公認の枠組みからは外れて何やら怪しげなことを行なう「有象無象」。それはあらゆるところで蠢いていて、ここ東北大学もその例外ではありません。しかし、その「有象無象」の活動は語り継がれることなく忘れ去られてしまうこともしばしば……。そんな「有象無象」にスポットライトを当て、その「活躍」を記録・紹介するため、2023年度、私・東北大学「有象無象」取材班は「有象無象」へのインタビューを始めました。

 今回から3回に分けて、「キャンパス内で鍋をやった」という共通点を持つ3人の方へのインタビューを公開します。3人は、それぞれ異なる時期に独自に〝鍋〟を思い立ち、実行に移しています。

 1人目は、川内キャンパス厚生会館近くでおでんを配っていた旧東北大学アナーキズム研究会・会長。現在は東北大学〈焼き畑〉コース・コース長を名乗り、これまでのインタビューにも登場し、「有象無象」とアツい議論を繰り広げました。

 2人目は、同じく厚生会館前でカレーを配ろうとしたCさん。この3人の中では最も早い時期に〝鍋〟を敢行しました。Cさんは「とにかく何か面白いことがしたい!」という漠然としたパッションを共有する仲間を集めました。

 3人目は、Nさん(仮称)。まだインタビューしていないので、詳細は後ほど!

 今回は旧東北大学アナーキズム研究会・会長へのインタビューを公開。インタビューは2024年1月下旬に東北大学〈焼き畑〉コース・コース長の脳内で行なわれました。


***

前置き

取材班 まず、このインタビューの「説明」について説明してもらってもいいですか?

焼き畑 はい。このインタビューは私の脳内で行なわれたものです。これを書いている私は、東北大学〈焼き畑〉コース・コース長であると同時に、東北大学「有象無象」取材班です。これまでのインタビューには、基本的に「有象無象」取材班と焼き畑の両方が同時に登場しますが、それはこの二役を私が一人でやっていたというわけです。というか、インタビューを書き起こす段階で、私の発言を「取材班」と「焼き畑」とに振り分けていました

取材班 いまこのやり取りも自問自答であるということですね。どうしてそんなまどろっこしいことを……

焼き畑 「質問」役と「批判」役という役割分担があったほうが読みやすいかなと思って……。実際には、記事を呼んだ友人たちから「取材班、要らなくね?」と言われています

取材班 そんな……😢 まあ、これ以上「内情」について語っても仕方ないので、本題に入りましょうか

焼き畑 そうですね。私は2021年度の冬に厚生会館前でおでんを配りました。ただ、そのことについては、友人の横浜国立大学都市社会××学科・学科長と話したものがすでにnote上に公開されているので、長々と話すことは避け、後に続くインタビューを読むのに資するかもしれないし全然そうでないかもしれないことについていくらか述べておきたいと思います

おでん闘争2021

取材班 「おでん闘争」は具体的にはいつ頃のことですか?

焼き畑 2021年12月17日と24日の2回行ないました。「自由に出入りしていいよ」と言われている部室がサークル棟にあって、そこにIHコンロを持ち込んでおでんを煮ました。2限が終わったところでその鍋を厚生会館近くの石のベンチのところまで運び、「東北大学アナーキズム研究会」と書いた段ボール板を横に置いて、通行する学生に「おでんいかがですか~!」と大声で呼びかけました。
 近くにIHコンロをつなげられる電源がなかったから、冷めないようにアルミホイルでくるんで保温を試みました。カセットコンロを使えばそのような手間は要らなかったのですが、「火気」を理由に大学職員からいちゃもんをつけられるのを避けるためにIHコンロにしました。まあ、職員にいちゃもんをつけられるどころか、通行する学生に視線を向けられることすらほとんどなかったのですが……

実際の鍋

取材班 おでんをやった目的は何だったんですか?

焼き畑 とにかく「なんかやっている奴がいるぞ」って思わせてそういう「なんか」が連鎖していったらいいな……みたいな。それと、あわよくば仲間を集められたらいいなって。まあ、そういうふわふわした動機から、とにかく目立ったり人を集めたりする必要があると考えました。そもそも当時名乗っていた「アナーキズム研究会」自体の動機がかなりふわふわしていました。まあ、冬だし、タダで鍋を振舞っていれば人は来るだろうと思っていたわけです

取材班 実際に人は来たんですか?

焼き畑 知人が顔を出してくれたほかには、面識のない人が合計で4人話しかけてきてくれました。詳しくは、さっき示した記事で話していますが、通行人のおじさんに娘さんの受験について相談されたり、冷笑学生としょうもない押し問答をしたりもしました。残りの二人とも特に連絡先を交換するでもなくそれっきり。動機がふわふわしていたから、なにをもって「成功」と言えるのかわかりませんが、まあ、どういう観点から言っても「成功」とは言い難かったと思います

取材班 知らない人が鍋を振舞っていても人は来ないということなんでしょうか? いやまあ、「怪しかったから」かもしれないわけですけど

焼き畑 さあ、わかりません。ただ、「おでん闘争」に関して言えば、「人を集めるのに鍋は向かない」という疑いを生じさせる段階以前で、より重大な問題があったと思います。それは、せっかくやってきてくれた人を引き止められなかったことです。
 「おでん闘争」の後の経験を踏まえると、人を引き止めるには、とにかく何か文章を書いた紙を渡すのがいいと思います。基本的と言えば基本的なことですが、重要なことです。私は今年度、人の集まる機会でときどき自作の冊子を配っていました。そうすると、渡した相手はだいたいその場で読んでくれます。QRコードを印刷して、「後で読んでみてください」などと言うのではぬるいです。QRコードを印刷する場合でも、相手が後で読むことは絶対ないとまでは言えませんが、読ませたい文章を紙に直接書いて渡せば、相手はその場で読みます

取材班 なるほど。次のインタビューで紹介するCさんの「カレー闘争」は2021年1月でした。その頃にはすでに焼き畑は東北大に入学していると思いますが、焼き畑のおでん闘争はCさんのカレー闘争から影響を受けたものなんですか?

焼き畑 おでん闘争を決心した時点ではカレー闘争のことは知りませんでした。キャンパスでおでんを配ろうと思っているという話を知人にしたら、Cさんのエピソードを教えてもらいました。その話を聞いてなんとなく元気づけられたのを覚えています。そういう経験もあって、「有象無象」の活動を語り残していくことには、次なる「有象無象」の出現に対しても意義があると思い、このような記事を公開しているわけです。
 ついでに「有象無象」の活動を記録する意義をもうひとつ挙げておくと、当局の弾圧の手口やその対処法(あるいはその失敗例)を継承するというのもあるだろうと思いますね。まあ、いまのところ参考になるようなものは紹介できていない気もしますが、次回のCさんへのインタビューでは、当局による妨害についても話を伺っています。記事の公開をお待ちください

2023年の〝鍋〟事情

焼き畑 さて、2023年は〝鍋〟の年でしたね

取材班 え、そうなんですか???

焼き畑 そうですよ。まず前提として「だめライフ愛好会」について触れておきましょう。
 2022年11月に中央大学だめライフ愛好会が設立され、「だめに生きる」ことを是としたこのサークルに影響を受けた全国各地の個人が「だめライフ愛好会」を各々創設し、乱立した「だめライフ愛好会」は2023年の一大ムーブメントを築きました。東北大学にも「だめライフ愛好会」は存在し、この記事でインタビューをしてもいますね

取材班 その記事に焼き畑は登場していませんよね?

焼き畑 そうですね。ほかの参加者が盛り上げてくれたこともあって、私は「取材班」の役に徹していました。それに、「焼き畑」として言いたいこともあまりなかったですし……。
 とにかく、そして、その「だめライフ愛好会」ムーブメントの中で大きな比重を占めるものとして、〝鍋〟があります。例えば、5月26日には九州大だめライフが「ぼたん鍋をつつく会」を、7月5日には中央大だめライフが「闇鍋」を、10月23日には立命館大だめライフが「反戦と生活のための路上鍋」を、12月13日には学習院大だめライフが「地域の鍋祭り」を開催しています。12月26日には中央大だめライフが高円寺駅前で「鍋集会」を開催し、のべ40人ほどが集まったようです(主催者=中央大だめラ発表)

取材班 なんか詳しいですね

焼き畑 さっきTwitterで「だめライフ 鍋」で検索をかけて引っかかったものを列挙しました。この他にも、「創始者」である中央大だめライフや、キャンパス内の「勝手耕作」によって存在感を放つ東大だめライフ、麻婆豆腐を作っていた東海大だめライフ(現在Twitterアカウントは削除されている)などは定期的に鍋をやっていたようです。
 とにかく、その「だめライフ愛好会」ムーブメントを中心とした「侵犯」的な〝鍋〟の試みが注目を集めた、というのが2023年の〝鍋〟事情でした

取材班 「侵犯」的な〝鍋〟?

焼き畑 はい。中央大学だめライフのツイートを見てみましょう。

たまーに、だめライフの鍋などの活動に対して「大っぴらにやったら弾圧されるスキを与えるからコソコソやるほうが正しい」という意見が見られる。

……阿呆か!

だめライフの鍋は公共空間の公共性を問い直す路上パフォーマンスの一種であり、お友達と鍋をつつくためにやってるんじゃないのだ。

「だめライフ愛好会」間でも、「だめ」とは何か、「だめライフ愛好会」とは何かということについての明確なコンセンサスはないようですし、「創始者」の中央大だめライフがそう言ったからといって、それが「だめライフ」の総意というわけではありませんが、「だめライフ」ムーブメントにおける〝鍋〟が総じてこのような傾向を持っているとは言えるのではないでしょうか。短かったので中大だめライフのツイートを引用しましたが、このような問題意識については、立命館大だめライフの記事が丁寧に書いていますね。
 つまり、「だめ」な個人が集まって仲間内で「鍋をつつく」ことによって慰め合うのではなく、鍋をやっては「だめ」とされている空間に鍋を闖入させることで、「だめ」を禁じる空間に対する問題提起を行なう、これが2023年の(「だめライフ」の)〝鍋〟だったのではないでしょうか。「だめライフ」間でも「だめ」のコンセンサスもないわけで、いろいろな「だめライフ」の理念・方向性があるんでしょうが、〝鍋〟に関してはそのように言えると思います。
 今月1月18日に立命館大学で「二〇二四年、自治の時期。」と題されたシンポジウムが開催されましたが、〝鍋〟を含む立命館大だめライフによるキャンパス内での取り組みに対し、登壇した立命館大の教員2名は「既存の秩序を少しずつずらしていく方針は未来がある」「空間からの大学自治の復権として意義がある」とコメントしたそうです

取材班 大学で〝鍋〟と言えば、授業中の教室で学生が鍋を作ったという記事がTwitterで話題になっていますね(2024年1月28日現在)。

焼き畑 そうですね。記事になった出来事自体は去年12月上旬のことで、当時も結構話題になっていた記憶があります。今になってなぜまた盛り上がっているのかはよくわかりませんが、何はともあれ、これも2023年の〝鍋〟事情に関して記録されるべきことではあるでしょう。
 詳細が気になるなら各自調べてほしいですが、これは、大阪公立大の教員が自分の担当する講義を受けている学生に対して「自分の講義中なら教室で鍋をやってもいい」と言い、その発言を受けて学生が実際に鍋をやったという〝事件〟ですね

取材班 「教員から与えられた自由は真の自由ではない」という批判も当時からあり、記事では件の教員が「自由に対する見方が乏しい」と苦言を呈しています

焼き畑 どっちもどうでもいいと思いますけどね。「ここで鍋をしてもいいですよ」と言われた時と場所で〝鍋〟をしてもアツくないとは思いますが、そもそもやった学生だって「これが自由だ!」と思ってやったわけじゃないでしょうし、今回の〝事件〟のような他人(学生であれ教員であれ)の行動をそれが真の自由かどうかと品評するのではなく、自分自身が真の自由の実現だと思うことを粛々とやったらいいだけだと思います。
 私は大阪公立大の学生ではないのでこれは仮定の話になりますが、もし自分の大学で教員が学生に〝鍋〟をさせることがあったなら、それより先に学生を自分たちの「侵犯」的な〝鍋〟に引き込む圏域を作れなかったことを恥じたほうが建設的でしょう。もちろん、〝鍋〟は一例で、教員に先を越されないようにする「自由」が〝鍋〟である必要は全然ありませんが

ほんとうに〝鍋〟でいいのか!?

取材班 〝鍋〟である必要はないんですか? なんかここまで〝鍋〟についてアツく語っていたのに……

焼き畑 そりゃ、「侵犯」的行為が〝鍋〟である必要はないでしょう。まあ、別に「侵犯」的行為に〝鍋〟が相応しくないとする理由もないとは思いますが。そもそも上の節では「2023年は「侵犯」的な行為として〝鍋〟が流行した」以上のことは言っていませんよ。
 しかし、「侵犯」的行為として〝鍋〟が選ばれることにまったく必然性がないとは言えないかもしれません。「食べ物」というのはなんだか人が集まりそうな気配がするというか、集まる口実にちょうどいい感じがして、大人数に振舞うなら「食べ物」の中でも〝鍋〟が適任だと思いますが、そのような意味で、〝鍋〟をするということは、自然なこと……とまで言えるかはともかく、人が集まることと近い関係にあります。そのような〝鍋〟が禁止されていることは、それ自体が一種の「自由」の制限であると同時に、人と集まること自体への牽制であるとも言えそうですし、〝鍋〟が「自由」を求める「侵犯」的「闘争」の含意を持つのも理解はできます

取材班 「だめライフ」の〝鍋〟は、松本哉からの影響も指摘されていますよね。松本は90年代後半以降活躍した政治活動家(?)で、法政大学在学中に「法政大学貧乏くささを守る会」を結成し、キャンパス内でコタツを出して鍋をやっています。中央大だめライフも影響を受けたことを公言していますよね

焼き畑 そうですね。松本の〝鍋〟は、中央大だめライフなどに個別的に直接影響を与えているだけではなく、〝鍋〟的なものの磁場に対して陰に陽に作用しているとも言えるでしょう。
 しかし、重要なのは松本哉にせよ「だめライフ」にせよ〝鍋〟だけをやっていたのではないということです。「松本哉―鍋―だめライフ」という連関で松本やだめライフを把握しようとするのは単純すぎます。といっても、「だめライフ」を積極的に擁護する義理があるわけでもありませんから、より一般的に言い換えますが、重要なのは、〝鍋〟以上のことをやりたければ、〝鍋〟以上のことをやらなければならない、ということです。ほぼ同語反復ですが、要は、「マジで〝鍋〟だけがしたい」「〝鍋〟以外何もしたくない」というのでもない限り、〝鍋〟だけやっていても仕方がないということです。
 〝鍋〟は松本の活動において印象的なシーンのひとつに過ぎません。今回、このインタビューに答えるにあたって、松本と同世代で運動史家としても知られる政治活動家の外山恒一による大著『全共闘以後』の該当箇所を読み返したのですが、そこに次のような記述があります。

[…]これら松本の武勇伝は後々まで広く伝えられ、00年代後半にも「ゆとり全共闘」を名乗って〝松本路線〟の継承を試みる学生たちが首都圏に登場した。しかし彼らは単に〝キャンパスにコタツを出して鍋をやる〟という印象的な部分を表層的にコピーするだけで、何らの盛り上がりも実現することはできなかった。当然である。松本がやったのは、見てきたとおり〝鍋〟だけではないのだ。むしろビラ貼り、ビラまきこそがすべての前提であり、かなり水準の高いミニコミを毎月発行し、その他さまざまな実力行動を含む諸実践を展開しながら、それらの連関に組み込まれる形で〝鍋闘争〟もあるにすぎない。しかもそれをやめさせようと登場する学生課の職員たちとの攻防に際しても、おそらく周囲の野次馬たちを沸かせながらの論戦を支える松本の相当に達者な話術もあるはずだ。一見バカバカしい脱力ノリだが、誰にでも(まして〝鍋〟が〝松本路線〟の要だと思えてしまう程度の見識の者たちに)簡単に〝コピー〟できるようなスタイルではない。

(外山恒一『全共闘以後』p. 407)

 この記述を引くことで、「だめライフは〝鍋〟ばっかりするな!」と言いたいのではありませんし、まして「だめライフ」が「〝鍋〟が〝松本路線〟の要だと思えてしまう程度の見識の者たち」であると言いたいのではなおさらありません。そもそもさきほど述べたように「だめライフ」は〝鍋〟以外にも取り組んでいます。
 それに、来るべき「有象無象」に対して、「〝鍋〟なんかするな!」と言うつもりもありません。〝鍋〟をやりたきゃやればいいし、それで満足ならそれでいいでしょう。それに、〝鍋〟ができないキャンパスよりは〝鍋〟ができるキャンパスのほうがはるかにマシですから、意図的にであれ結果的にであれ(それは必ずしも厳密に区別できるものとも思いません)「侵犯」的であるような〝鍋〟の試みは、その存在自体は大枠では好ましいことです。
 じゃあ、何が言いたいかというと、本当に〝鍋〟だけでいいのかということが絶えず問われなければならないということです。「だめライフ」の話ではなく、これを読んでいる〝われわれ〟の話です。繰り返しておきますが、「だめライフ」は〝鍋〟以外もやっていますし、〝われわれ〟は〝鍋〟をやるべきではないと言いたいのでもありません。先に述べたような「必然性」もありますから、〝何か〟をやろうとしてまず〝鍋〟になるのも理解できます。〝鍋〟がやりたいという気持ちや、〝鍋〟がやりたいだけなのにそれができないという問題意識自体は否定しえませんし、そこから始まるものもあるでしょうし、なくても別に否定はしえないと思います。ただ、本当に〝鍋〟だけでいいのか、ということが絶えず問われる必要があります。さもなければ、振り返ったときに「ただ〝鍋〟をしていただけだった」と気づく羽目になりかねません。いや、マジで〝鍋〟のことにしか興味がないならそれでもいいんでしょうけどね

取材班 なんかごちゃごちゃ言っていますが、まあ、とにかく「有象無象」のみなさんギアを上げていきましょう、ってことですかね。しかし、そんなに熱心に言わなければならないほど、みんな〝鍋〟に甘んじているんですか? それこそ2023年の〝鍋〟を担ったという「だめライフ」は〝鍋〟以外のこともやっているわけですよね

焼き畑 そうですね。しかし、「有象無象」の行動が〝鍋〟から始まることが多いことはたしかだと思います。少なくとも東北大に関しては、この一連のインタビュー企画自体がそれを証明してしまっています。「有象無象」ムーブメントを盛り上げていかないと、今後のインタビューも全部〝鍋〟の話になりかねませんよ

取材班 なるほど? では、〝鍋〟を超えてどのようなことが可能だと思いますか?

焼き畑 それは各人がやりたいこと、やるべきと思ったことをやるしかないでしょう

取材班 ええ……ちょっと投げやりじゃないですか?

焼き畑 だってそうじゃないですか

取材班 ……では、〝鍋〟を止めた現在の焼き畑はどのようなことをしているんですか?

焼き畑 それは……ビラ貼りとか……最近あんまりやってないけど……

取材班 ……

焼き畑 さっきの言葉は自分にも返ってくるわけですね。「ビラ貼り」以上のことがやりたければ、「ビラ貼り」以上のことをやらなければならない。「ビラ貼り」だけでいいのかということが絶えず問われなければならない、と。まあ、これを読んでいる「有象無象」のみなさん、各々頑張りましょう!

取材班 では、今回はここまで。次回は「脳内インタビュー」とかいう事実上の独り言ではなく、実際のインタビューをお届けします。お楽しみに!

(「冬、鍋の時期。」第1回・おわり)

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