有象無象インタビュー③東北大学だめライフ愛好会
公認の枠組みからは外れて何やら怪しげなことを行なう「有象無象」。それはあらゆるところにいて、東北大学も例外ではありません。しかし、その「有象無象」の活動はあまり知られておらず、語り継がれることなく忘れ去られてしまうこともしばしば……。そんな「有象無象」にスポットライトを当てるべく、この春、東北大学「有象無象」有志による新歓グループ(「有象無象」新歓)が発足されました。
というわけで「有象無象」新歓は、東北大学のサークルやアカデミズムの枠組みの外でとにかく何かをやろうとしている「有象無象」の学生にインタビューを行ない、それを書き起こして公開することで、「有象無象」の活動の記録と紹介を行なっていきます。
そんなインタビュー企画第3回のゲストは、東北大学だめライフ愛好会(以下、東北大だめラ)。全国で広がる「だめライフ」ムーブメントに便乗して設立された東北大だめラの実態とは!?
インタビューは9月1日に東北大学敷地内某所で行なわれ、時間を守れない「だめ」な参加者たちにより約40分遅れで始まった。東北大だめラのほか、その周辺人物A・B・Cの3名も参加、白熱した議論が交わされた。
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「だめライフ愛好会」とは何か
参加者A (横になっている。寝そべり主義を実践しているらしい)
取材班 東北大学のサークルやアカデミズムの枠組みの外でとにかく何かをやろうとしている「有象無象」を紹介するインタビュー、第4回のゲストは「東北大学だめライフ愛好会」さんです。いま全国各地で「だめライフ愛好会」を名乗る団体(?)が乱立する「だめライフムーブメント」があり、「東北大学だめライフ愛好会」もその一環なんですよね。そもそも「だめライフムーブメント」とはどのようなものなのでしょうか?
だめラ 東北大だめラは「中央大学だめライフ愛好会」(以下、中大だめラ)が注目を集めているのに便乗する形で、5月の終わり頃にアカウントを作りました。
最初の「だめライフ愛好会」であるその「中大だめラ」は、社会で「だめ」とされてしまう人たちが集まる交流の場の必要性を主張しました。それに共鳴する人々が全国各地で勝手にそれを模倣していきました。これが「だめライフムーブメント」ですね。
勝手に広まっていった動きなので、だめライフの統一方針みたいなものもなくて、その取り組みにはグラデーションやバリエーションがあります。そもそも団体じゃなくて、一人で「愛好会」を名乗っている場合も少なくありません。「○○大学/高校だめライフ愛好会」という名前でツイッターアカウントを作るということだけが全員に共通した傾向で、あとは大学に無許可でビラを貼ったり、屋外で交流会をしたり、「勝手耕作」(※キャンパスなどで勝手に農業を始める)をしたり、果てはスクウォット(※キャンパスなどの一角を占拠する)を志す勢力までいて、そのやり方は様々です。
取材班 本当にいろいろあるんですね。そのなかでも東北大だめラさんが参考にしているだめラはありますか?
だめラ まず、本家の「中央大学だめライフ愛好会」は外せないでしょう。中大だめラは、4月くらいに「桜を見る会」という名義でキャンパスで交流会を定期開催するようになって、そこから大学内で勝手にフリマをやったり、ビラを貼ったり、自販機の下とかを漁って小銭集めをしたりしていました。あとは、中央大学の多摩キャンパスには古いサークル棟があって、学生運動時代のものを含む落書きで埋め尽くされているのですが、それが漂白されてしまうかもしれないということでサークル棟の一角に拠点を作って抵抗したりもしていました
取材班 本家は結構アグレッシブなんですね
だめラ あと、私がいちばん注目しているのは「東京大学だめライフ愛好会」(以下、東大だめラ)です。ここは「勝手耕作」と「ザリガニ釣り」が主な活動です
取材班 いきなり毛色が変わりますね。田舎の夏休みっぽいというか
だめラ だめライフの活動ではよく「だめがだめでいられる場所」という言葉が出てきます。その「だめ」の内容はそれぞれのだめラで違うのですが、東大だめラはだめな学生のセーフティーネットとしてキャンパスで食料を供給するみたいなことまで考えているみたいです
取材班 なるほど? 農作物を自給自足するみたいなことですね……もしかして「ザリガニ釣り」って、ザリガニを食べるってことですか?
だめラ そうですね。ラーメンにしたり中華炒めにしたりしていました。……やっぱりザリガニに関しては食料確保とそんなに関係ないかもしれません。主宰の趣味らしいですし。最近は東大の一二郎池のザリガニを取りつくす勢いだそうです
取材班 えぇ……なんか偏執的で怖いですね……
だめラ まぁ、ほかにも頑張っているだめライフはあります。基本の活動は交流なのですが、トー横で路上飲みしたり、キャンパスで料理をふるまったり、やはりバリエーションがあります。あとは東海大だめラのように、サークル棟の取り壊しに反対している学生運動的な視点も持つ立派なだめライフもいたりします。
取材班 〝立派〟な〝だめ〟ライフって矛盾してませんか……?
だめラ だめライフは「だめ」という言葉をどう解釈するかでいろんな立場がいますからね。「だめ」とされていることをやる、「だめ」な人の互助会を目指す、ただ生きている人を「だめ」と規定してくる社会構造に抵抗する……いろいろありますね
東北大だめライフ早くも解散!?
取材班 東北大学だめライフ愛好会としては、「だめ」をどのように捉えているんでしょうか?
だめラ そうですね。私は社会派なので、「だめ」とされている人が排除されない社会を目指して、例えば遅刻とかをする人間を「だめ」として排除してくる社会に抵抗する、そういうあり方を魅力的だと感じます。もちろん、別の「だめ」観をもった人が来てくれることは大歓迎ですが
取材班 では、東北大だめラはどういう活動をしているんですか?
だめラ ……何もしてないです。
取材班 えー……ここまでなんか偉そうに語っていたのに……
だめラ あ、でも、ちょっとビラは貼りました。中大だめラがTwitterで共有していたビラをちょっといじりました
本当に「だめ」なので……お布団でクネクネしながらツイッターをずっと見ているので、いっぱしの「事情通」ではあるのですが、なかなか布団から出る気が起きず……このビラを貼りに行ったのもイーロンのせいでツイッターが使えなくて暇になったからだし……
取材班 それじゃ「だめライフ愛好会・愛好会」じゃないですか
だめラ いやいや、私はだめライフ愛好会を〝愛好〟するにとどまらず、〝実践〟もしていますよ。奨学金を止められるという〝実践〟をね。大学を4年で出れないことがもう確定しています。特定されたくないので落とした単位数とかは言えませんが……
取材班 ちゃんと「だめ」だ……さっきは疑ってしまってすみません
だめラ でも、後期からはもっと積極的な意味で動き始める計画はありますよ
取材班 どういう路線を考えてるんですか?
だめラ もう「だめライフ」という肩書きは捨てようと思っています
取材班 え!? 活動を紹介するつもりだったのに取材中に解散を宣言されてしまった……
だめラ いま考えているのは「だめ人間連合」とか、まぁ名前はなんでもいいのですが、とにかく大学でビラを貼ったり交流したり畑を作ったりすることに注力した団体を作りたいです
取材班 ん?……それって「だめライフ」と何が違うんですか?
だめラ いや、内容は何も違いません。ただ、「だめライフ」という名前が広まり、「だめ」の概念が拡張されていくにつれて、そのなかにはあまり関わりたくないような勢力も含まれてくるわけです。「だめライフ」の名を掲げることでそういうのと同一視されるのは避けたいなあ、と
「非モテ」問題
取材班 どういうところが問題だと思ってるんですか?
だめラ インセル(※「不本意な禁欲主義者」などと訳されるネットスラング)的というか「弱者男性」とか「非モテ」みたいな言説がだめライフの中で増殖しつつあることですね。「だめ」って言葉にはなんでも導入できるんですけど、そうすると「モテない」という要素も流れ込んでくる。「モテない」という「だめ」さ。まあ、そういう感情を持つ人がいること自体はいいとしても、だめライフは自分たちのやっていることが「運動」であるという共通認識のもとで盛り上がっていると思うんですが、「運動」と弱者男性的な感性が結びつくとまずいことになりうるというのが私の懸念です
取材班 具体的にはどういうふうにまずいんでしょうか
だめラ 私は「非モテ」であることは各人が勝手に気にしたり気にしなかったりすればいいと思うのですが、「運動」というのは社会に対してなんらかの変化を求めるために行うものだと思うんですよ。「非モテ」問題は自己変革によって解決を試みるか、そもそもそれを問題だと捉えなければいいわけですが、それを社会変革によって解決しようとすると、つまり他者を巻き込んでいこうとすると、「異性をあてがえ」みたいな、相手の主体性を無視した加害的な構造を作ることになる
参加者B でも、「だめライフ」の観点からそういう批判を展開するのは難しいんじゃないかな。だめライフって、一般的な「運動」にまつわる言説が無視してしまうような個人の心情に関わることを、政治的・社会的に問題化しようっていうところが大きなモチベーションになってるんじゃないの。「だめライフ」でも「だめ人間連合」でも、そういう基本姿勢を維持するなら、「個人の心情に関わるところは自己変革で解決して、社会構造に根差した問題だけを政治化しよう!!」っていう立場は取りづらいんじゃない?? 古典的で原則的な左翼の立場を取るならばそれも容易になるだろうけれど……
参加者C 俺だったら原則的な左翼の立場を取るべきだと思うよ。やっぱり実存的な問題を政治的な問題にするべきじゃないよ。経済的な問題に立脚したもののみを政治的に問題化して運動化した方が良いと思うけどね
だめラ いやあ、さすがに僕はそんなことは言えないなあ……となるとたしかに僕がさっき言ったことはよくなかったかもしれない。冷静に考えれば、「だめライフ」の理念は、さっき言ったみたいな「異性をあてがえ」型じゃない形で、この「非モテ」問題を乗り越えるポテンシャルを持っているはずだよね。もっとだめライフ的な非モテの乗り越え方は「非モテ」で何が悪いみたいな開き直りの方向性なんじゃないかな。「異性をあてがえ」的な言説ってのは、「モテない」という「だめ」さを別に受け入れてない感じもするよね
参加者B でもさあ、その批判も難しいよね。「モテない」という「だめ」さを受け入れて、加害しないように気をつけるって、そんだけ色々なことを悟って色々なことを配慮した形で「だめ」を「受け入れる」ことが果たして「ありのまま」なのか。東北大だめラ君の「だめを素直に受け入れろ」という批判に対しては、「だめライフ」の人々ならば、「ありのままの自分のだめな欲求もそのまま素直に表出するのが「だめライフ」のテーゼなんだ、口うるさくゴチャゴチャ言うな」と反論するであろうことが目に見えてるよ。
「だめライフ」の中心であるような問題、例えば遅刻しまくるとか場の空気が読めないとかバイトができないとか朝起きれないとか、そういう問題って雑に言えば「共同体にうまくハマることが出来ない」ってことじゃん。共同体にうまくハマることが出来ないということを問題化している連中に、「お前らは共同体にとって有害だ、ハマれていない」と批判してもだめライフにとっては痛くも痒くもないんじゃないかなあと思うけどね。そんな批判はだめライフは元々織り込み済みのはずだよ
取材班 整理すると、いま議論されているのは、「だめライフ」において「非モテ」問題をどう位置付けていくか、あるいはどう乗り越えるかみたいなことだったと思います。
これに対して、参加者Bさんはさきほど、「だめライフ」の観点からは、「非モテ」のような個人的・心情的な問題を個人的・心情的であることを理由に切り捨ててしまうことはできないと指摘しました。
そして次に、やはり「だめライフ」の観点からは、「非モテ」問題を抱えている者が「非モテ」である自分を受け入れることを求めることもまたできないのではないかというご指摘でした。
そうなると、「だめライフ」は「非モテ」問題が「異性をあてがえ」的な方向に流れてしまうことを止めることはできないということでしょうか
参加者B 「異性をあてがえ」にならずに、かつ個人的・心情的であることを社会的・経済的な立場から咎める立場にもならないために、俺が提唱したいのは、「だめライフ」になぞらえて言い直してみれば「すごライフ」とでも言えるものだと思うけどねぇ。といっても「〝だめ〟なんかただの甘えであって、〝すご〟の強度が無ければ社会を変えられない」というマッチョイズムを対置して、だめとされている奴から行動の自由を剥奪する単純な議論をしたいわけではない。別に社会的にだめとされてる奴だって何したっていいはずだよね。
単にスゴイ奴がすごライフを実践しても何の意味もない、むしろだめ寄りな人がすごライフをした方が好ましいだろう。重要なのは、「すごライフ」においては、ありのままの自分がどうなりたいかという問題設定をしないこと。疎外されない形で受け入れられたいという問題設定をしない。ここが決定的なポイントだ。問題設定は、この私の周りにある環境は、それに自分のことを受け入れて欲しいとは思えないほどに、寧ろ私にとって受け入れられないほどに不愉快だという所から始まる。「すごライフ」は、そんな周りの環境に対して「ありのまま」の「だめさ」をさらけ出すのではなく、「スペクタクル」な「すごさ」をパフォーマンスして己をだめとして規定してくる社会の合意を切断しようとする。そうすればインセル的にならずに個人の心情に立脚できるんじゃないかなぁ
取材班 なんかテキトー言ってる気がするなあ……まあとにかく「こんな〝だめ〟な私を社会は認めてくれ!」じゃなくて、「こんな〝すごい〟私は社会を認めない!」ってことですね
参加者B まぁそんな風にも言えるのかもしれないが
参加者C そんなんレトリックに過ぎないでしょ。やっぱり、だめライフがインセル的な言説になっちゃうのは、どう考えても社会的・経済的な問題から逸脱した個人的な心情のことを無理矢理政治化しようとしてるからだって。そうなると醜悪なことにしかならない。社会的・経済的に規定された「だめ」こそ、考えたり改善できるものなのであって、そこを中心的に考えていくことしか出来ないんだって
参加者B もうそんなん「だめライフ」じゃなくてただの左翼じゃん。「だめ」である意味がないよ。社会的・経済的な問題に還元されないところを云々しようとし始めた人々に対して、「社会的・経済的な問題に還元されない問題を考えても不毛だ」って宣告して何の意味があるの??
参加者C だってそれが真実だから意味があるじゃん。どう考えてもそうだもん。どう考えても社会的・経済的な問題設定をするべきだし、それ以外をすべきじゃないよ
参加者B はぁ?? ちゃんちゃらおかしいっしょ
参加者C おかしいのはお前だろ
参加者A (横になっている)
取材班 議論が白熱してますが、だめライフ愛好会本人としてはどう思いますか
だめラ 人によっていろいろ考えはあるようですが、私としては社会的・経済的な視点とだめライフを接続させることは常に模索し続けるべきだと思いますね。それこそが、インセル的にならずに「だめライフ」的なことをしていくことを可能にしてくれると考えています。
参加者B そんなの、俺の議論が全くなかったことになってるじゃん。おかしいよ……
だめラ まぁまぁ。しかし、参加者B君の話にも繋げると、やはり「ありのままを受け入れる」ということとは別のことを考えたいというのは私は思っているところですね
参加者B 😊
「だめアクション」という可能性
だめラ 先ほどの議論を聞いて思ったのは、「だめ」を便宜的に、存在の次元と行為の次元とに区別することが出来るのではないかということですね。前者においては、モテないとかなんだとかという「ありのまま」の「存在」がだめとされる。後者においては、勝手にビラを貼ったり畑を耕したりするような「スペクタクル」な「行為」がだめとされる。私としては、この後者に立脚して考えていきたいですね。「存在」としてのをだめを「だめライフ」、「行為」としてのだめを「だめアクション」と呼んだら面白いのではないかというアイディアが浮かんできました
取材班 「だめアクション愛好会」が生まれるかもしれない!?
だめラ 「ライフ」と「アクション」を区別して「アクション」の側に立つことには、「感情の劣化」という問題から距離を取ることを可能にするというメリットもあると思います。著名な社会学者の宮台真司という人がいますが、彼に影響されてしまった人々がよくそういうことを言っている印象がありますね
取材班 急に人名が出てきましたね。宮台に恨みでもあるんですか?
だめラ 宮台真司に影響された人でアツい人を見たことがないんだよね
取材班 そうなんですか……?
だめラ これは勝手に設定した〝宮台派〟という仮想敵に対するポジショントークですが(笑) 真面目に話すと、宮台が言うような「感情の劣化」を根本的な問題に据えてしまうと、どうしても「ライフ」の方向、つまり「ありのまま」の「存在」の方向に話が引っ張られてしまうと思うんですよね。「感情が劣化している。それは、性愛がないからだ。なぜ性愛がないか。それは、私が承認されていないからだ。それはなぜか。それは、私に異性があてがわれていないからだ」という論理を安易に用意してしまう気がします
取材班 安易というにはずいぶん入り組んでいるようにも見えますが……まあ、いずれにせよあんまりピンと来ない論理ですね
だめラ 一方、「アクション」の方に立てば、とにかく「アクション」それ自体が問題にされるのであって、「アクション」を行う人の感情が「劣化」しているか「成熟」しているかはあまり問題にならない。つまり、「ありのまま」の「存在」がどのようなものであるかは問題にならない。どれだけ「劣化」した感情を持っていようとも、「だめアクション」を取れば救われるんです。冷静に考えてみてください。感情が劣化したとか成熟したとか、そんなことは校長先生とか説教クサい連中のキーフレーズでしょう。感情が劣化してようが成熟してようが関係なく、ただただアツい「アクション」の有無を問題化したいですね。
参加者B たしかに、俺が「すごライフ」とか言って言いたかったことはそれかもしれない。「だめライフ」でも「すごライフ」でもなく、「〝アツ〟アクション」こそが大事だったのか……
取材班 「〝アツ〟アクション」って「だめ」も「ライフ」も関係なくなっちゃってますが……
だめラ まあ、「だめ」なんだからそういうところは適当でいいんですよ(笑) 威勢のいいこと言っていますが、実際の私は布団から出れていない「だめ」なやつなので。むしろ、布団から出ないことによって好き勝手言える立場にいます(笑)
取材班 そうですか(笑) では、「だめライフ」改め「〝アツ〟アクション愛好会」としては今後どのような「アクション」をしていきたいと思いますか?
だめラ いや、「だめアクション愛好会」でいいですけど……うーん、いまパッと思いつくのだと、ビラで埋め尽くすのと勝手耕作をやりたいですね。中大だめラのノート記事で「大学が清潔によって汚染されていて、自分のようなだめな学生のいる場所がない」みたいなことを言っていて、すごく共感したんですよね。ジェントリフィケーションというか、大学を清潔で変なことが起こらないようにしようという方向にする力が年々強まっている。大学の施設を「正しく」使いましょうといった規範もあると思う。でも、そうすると思いがけない出会いってないんですよ。ただでさえ同じようなレベルの高校から来た学生が、さらに同じような感性をもつ者同士で集まって内側で閉じる。こういう状況を打ち破って「なにか」を起こすためには交流が大事なんだけど、それを可能にする土壌づくりとして学内にもっと変なビラとか貼って真の「正しい大学」を目指していきたいと思います
取材班 ビラに関して東北大だめラさんは、東北大学〈焼き畑〉コース・コース長が書いた「有象無象オープンキャンパス」にコメントを寄せてもいますよね。
だめラ よくツイッター見てますね……
取材班 いや、「有象無象OC」はこのアカウントで出した記事だし、東北大だめラさんのコメントは引用ツイートですし。お布団クネクネツイッター事情通の東北大だめラさんと一緒にしないでください(笑) 勝手耕作についてはどうですか?
だめラ 勝手耕作は、東大だめライフと行田だめライフの影響なんだけれど、キャンパスの利用の仕方に関する規範意識をずらすことにもなるし、大学入ったらインターンして、就活して、就職して~といった資本主義社会における労働規範からの逸脱を肯定するようなコミュニティとしても有効だと思う。
あと、飯を食うことって交流としていちばん強いんだけど、バイトもろくにできない我々「だめ」人間は当然お金もないので、レストランはもちろん、居酒屋で飲み会をすることもお金がかかって難しい。自分たちで耕作したものを自分たちで食べれば、お金がかからないから、「だめ」でも出来る飯での交流だよね
参加者C そうそう、社会的・経済的な観点から「だめ」を考えることが大事なんだよ
だめラ いやあ、今日はもう疲れたなあ……そろそろ帰って布団に入りたい
取材班 じゃあ、今回はこの辺で終わりにしますか。最後に何か一言ありますか?
だめラ とりあえず頑張るんで、みんな遊びに来てね!!
参加者A (横になっている)
(おわり)
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