見出し画像

断捨離集中合宿、おわり。そしてまだまだ

断捨離三連休が終わり……

残念ながら服の断捨離まで届かなかった。
減らせたのはクローゼットだと六分の一といったところ。
向き合うと胸が苦しくなるのは、見たくないモノを詰め込んで、なかったことにしていた全てと対面しているからではないか? と思ったりしている。

趣味で集めた布や毛糸、奥底から出てきたバッグを捨てた。
まだまだ全然捨てられる。
他に、机周りのモノを半分くらい手放した。ずっと飾っていたスノードームとか、写真立て。ほこりがかぶっていた香水瓶。
ほこりを払う事もできないなら、ものを飾る資格はない。
飾っただけでは、大切に扱ったという証明にはならないのだ。

手放したり11袋。
文具や趣味のものを主に減らした。
これでやっと床の上が落ち着いてきた。
まだ仕分けるモノ(燃えないゴミとか電池とか)と、譲るモノが控えているので、道半ばといったところ。
この狭い部屋に、どうやって11袋分のいらないものを整理収納していたのだろう。もしかして、わたしって整理整頓が得意なのではないだろうか。
すごいねえと自分を褒め、手放すものの多さで叱咤し、それでも体は黙々と掃除を続けた3日間だった。
明日から仕事なので、速度はゆっくりになるけれど、今月中は断捨離を続けようと思う。

これだけあればもう十分

クローゼットの収納から、財布を購入した時に入っていた箱が出てきた。
中を見ないでポイしてもよかったけど、傾けたら何かが入っていたようだったので、ふたを開けた。
手のひらサイズの陶器の小物入れ、漆が塗られたロシアのアクセサリーボックス。別珍の布がはられた小さなケース。
アクセサリーボックスには蜂の形のピン。別珍のケースにはルビーの指輪。
全て亡くなった祖母から送られたものだった。
形見分けでいただいたのに、存在すら忘れていた。しまったことすら忘れて何年もそのまま放置していた自分の事を、わたしは恥じる。
ガラクタに囲まれて生活した挙句、本当に大切にしたいものを手放すところだった。
海外旅行が好きだった祖母が、お土産として買って来たものたち。その話を聞くのが好きだったわたしのために、より分けて譲ってくれたのに。
酷く恥ずかしく、居たたまれない気持ちで小箱を眺めている。
これこそ、引っ越しても持って行く大切なものだったんじゃないの?
ねえ、これ以上に残しておきたい品物って、そうそうないんじゃない?
これだけあれば、もう十分。
意味が、やっと分かった気がする。


ちょっと色あせている


ころんと蜂が

祖父は虫に関わる仕事をしていて、昆虫が大好きだったので、祖母は海外旅行のお土産に蜂のピンを選んだのだろう。
箱はロシア土産だと書いてあったけど、蜂のピンはどこのものか不明。

指輪はとても素敵なのだが、今のわたしには似合わないと感じたので、もっと成熟するまで大切にしまっておくつもりだ。
その相棒になるような指輪を自分で選べたら、それも素敵なことだと思わない? きっと付けていて楽しくなってしまうだろうな!


エルサ・ペレッティ™ バンドリング

なめらかで優しい曲線が美しいね。

大切なものを再発見できたのだから、断捨離はやはり必要なことだったんだなあ、と思っている。
この調子でクローゼットも断服式と整頓をして、今度こそ自問自答していけたらいいな。大切なものを再確認できたのだし、捨ててそぎ落としていく過程で内面にコンセプトや思いを蓄えたいものだ。その古き良きを詰めこんだ新しいわたしが、自問自答したらどんなものと出会えるのかも、楽しみにしている。

ここ数日自問自答とは関係のない話題でしたが、お付き合いしていただけて嬉しいです。

今日の手帳


生活感

手帳写真をまったくおしゃれに撮れない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?