カメラになろうとしたあの頃の話。
今回は、デリケートな話をしますので、あらかじめご了承ください。また、記憶が曖昧なところがあり、多少フィクションとなっている場面があります。
小学校5年生の5月〜6月中旬
浪人前にこの約1ヶ月の記憶がフラッシュバックしたので、そのときのことを覚えている限り書きます。
市内の小学5、6年生が集まる運動会が私の地域では毎年あった。その運動会に向けて、朝練があり、毎朝30分各々の競技の練習をしていた。
朝練でグラウンドに行くために下駄箱に私はいた。そこで、親友の1人をみつけ、声をかけた。
私「Aちゃん!おはよう」
Aちゃんは私に背中を向け早歩きをして去っていった。聞こえなかったのかな?声小さかったかな?と思いながら、その子の背中に少し違和感を抱いた。
これは、たまたまだと思った。
その日から、私が親友だと思っていたAちゃん、Bちゃんに話しかけても避けられた。
無視だ。
たまたまなんかじゃなかった。
その後も一緒に帰る時には走って逃げられ、私の方を見てコソコソ話もされたりした。あのときのAちゃんの背中はフラッシュバックしたときに真っ先に鮮明に思い出された。
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当時、そろばん塾にも通っており、Aちゃんとは同じ教室だった。
日に日にエスカレートしていく「いじめ」は、そろばん塾でもされた。
そろばんのバッグに落書きされ、ボールペンのバネも盗まれて使えないようにされた。
仕方なく、バネのないボールペンで丸つけをし、落書きされたバッグを机にかけてそろばんを弾いていた。
後日、筆箱にバネが裸のままで入っていたときにはさすがにタチが悪いと思った。
そろばん塾で起きたことなんて学校に言えない。ここは、学校じゃないから。という思いでこのことは学校には言わなかった。結局、そろばん塾の先生が学校に報告したようだが。
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他にもいろいろされたことはあるが、よく思い出せない。だが、この時の私の心情をつい最近、思い出した。
私、カメラになれば良いんだ。
みんなを映し出すカメラになれば。
学校の昼休みは、AちゃんとBちゃんから離れ、ほかの子と遊んでいた。いじめられている私に寄り添ってくれた子がいた。でも、その子たちと遊んでいても心は晴れなかった。その子たちが笑って楽しそうに遊んでいる姿を見て、
私はカメラだ。みんなの笑顔をこの目に映し出しているだけの存在なんだ。
と思いながら、周りの姿を見渡していた。
すると・・・
現実感がなくなってしまった。
これは夢なのか?現実なのか?本当に周りを映し出しているカメラのような感覚になった。周りの世界から自分だけ切り離されたような。
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いじめが終わったあの日。
私は、ひとりで図書室に行き、『かんづめのひみつ』という本を借りた。小学生のあらゆる興味や好奇心をそそる『ひみつシリーズ』の漫画は、クラスで流行っていた。
図書室から出て、教室に戻ろうと廊下を歩いていると、担任の先生に呼び止められた。そして、空き教室に入るとAちゃんとBちゃん、Cちゃんの3人がいた。急にCちゃんが出てきたが、実はCちゃんが「最近、ノムラリアンちゃんってうざいよね?」と言い出したことから始まったいじめの首謀者であったらしい。この話は中学に入ってから知った。
AちゃんとCちゃんは泣いていた。そして、担任の先生は3人に怒鳴りつけていた。この姿を見て、いたたまれなくなった。
「ごめんなさい」
3人は、私に向かって言った。私は、『かんづめのひみつ』を近くにあった机に置いて、泣いている2人の頭を撫でた。そして、うなづきながら、
「いいよ」
と言った。
全然良くない。心の傷は全く癒えていない。
まだ、私の心は血だらけだ。
これで終わりだと思って、空き教室を出ようとした。すると、担任の先生が私を呼び止めた。
「ノムラさん、いじめられたあなたにも原因があるのよ?」
「・・・はい?」
先生「あなた、Cちゃんが『おはよう』って言ったの無視したんでしょ?それで、Cちゃんもあなたを無視したのよ。これからは、気をつけなさい。」
詳しくは思い出せないが、このようなことを言われた。でも、Cちゃんに「おはよう」と言われた記憶は無いし、言われたとしても聞こえなかったのだろう。そして、Cちゃんとは全くと言っていいほど話したことがなかった。
もし、Cちゃんの「おはよう」に私が無視したとCちゃんが主張するなら、私は気づかなかったと主張したい。でも、そこにある事実は「おはよう」に対して返事がなかったということだけだ。事実は、無視でも気づかなかったでもない。これは『ミステリという勿れ』のウケウリなのだが笑
教師はこのとき、Cちゃんの無視という言葉も私の気づかなかったという言葉も信じて(間に受けて)はいけない。どちらかを信じる(間に受ける)とどちらかの味方になってしまうからだ。だから、根底にある事実のみをみて、客観的に捉えなければならない(これが一番難しいのだが…)そして、いじめを正当化することだけはあってはならない。
話は、いじめが終わった日の放課後に戻る。
Cちゃんは私に向かって笑顔で言った。
「バイバイ」
に対して引きつった笑顔で
手を振って「バイバイ」と返した。
そして、
帰る方向が同じだったAちゃんと、Bちゃんが
「一緒に帰ろう」
と言ったので、一緒に帰った。
そのときの私は全く現実感がなく、
浮遊していた。
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いじめが終わった後に、母親にあることを言われた。
「いじめられたってことは、人の痛みがわかる人になれたってことだよ。あなたは、人の気持ちがわかる人になれたんだよ。」
いじめをきっかけに私は人の気持ちを汲み取るようになった。そして、このいじめがなかったら、この記憶がフラッシュバックしてなかったら、今の夢も目標も志も無かっただろう。
これが、いわゆるPTGなのではないか。
母親のあのときに言われた言葉が、PTGの論文を見つけた今年の春、8年越しに正体を現した気がした。母親は、私にPTGのことを言いたかったんだ。これを機に、成長ができると。
小学校5年生のたった1ヶ月の出来事が大学生になった今でも鮮明に思い出されるということは、それほどインパクトの大きいことだったのだろう。
「いじめ後遺症」という言葉があるように、いじめは謝ったら許したら解決するものではない。簡単には癒えない心の傷へのアフターケアが必要である。いじめというトラウマを克服し乗り越えるという考えもあるが、トラウマとともに成長していくというPTG(心的外傷後成長)という考えも世に広まってほしい。
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