華になった人を見た
ある人はダリアのような存在感がある人だった。
圧倒的で衝撃を受けた。
ある人はチューリップのような可愛らしさがある人だった。
そのおおらかさに心安らいだ。
ある人は真っ赤な薔薇のようなエネルギー溢れる人だった。
信念のこもった声が自分の体内に反響した。
ある人はキキョウのような静かな賢さのある人だった。
佇むだけで全てを把握するその聡明さに畏れを感じた。
ひと目見て
「この人達は華になったんだなぁ」
と、真面目に思った。
"華がある人"
ではなく、華そのものなのだ。
そうとしか見えないのだ。
とてもとても惹きつけられた。
"華を咲かせた"のではなく"華になった"人達。
自分をそのまま素直に輝かせ、手入れしてグングン育った感じ。
着飾った華ではなく、生命力に溢れ空間さえもその魅力で満たすような華。
そんな華の人達と過ごしたワークショップ。
それぞれの得意と好きを部屋中に撒き散らかして、参加者はその花粉にまみれ気付かぬうちに受粉していたのではないだろうか。
参加の目的は自分の華が咲いているのか、それを確認したかったのだけどワークショップを終えて静かに夜道を歩いている時
「あぁ、自分だって華が咲いているのにこの華じゃないとダメだって否定し続けてきたんだなぁ」
と気が付いた。
ずっと、別の華を求めていた。
この華じゃないと。
いや、こういう華もいいかもしれない。
こういう華が咲くといいなぁ。
自分には自分の適性に合った華がずーっとあるのに。
それに気が付いたら笑えてきた。
1人夜道で月に向かって笑い、喋ってた。
「ずっとずっと自分が受け取れる方法で与えて続けてくれていたのに、気が付かなかったよ。ごめんね。ありがとう。この世で生きているとどうしても目に見える形で渡してもらわないと気が付けないから。現物支給とか、はっきり分かる形で見せてくれると分かりやすいんだけどなぁ。でもやっと腑に落ちた。自分が受け取っているもの、既に使っているものを信じていればいいんだよなぁ〜でもそれを忘れちゃうんだよ人間は。」
そんなふうに気が付けたことの感謝と軽い謝罪をしながら寄り道した店で、なぜか10%引きしてもらえた。
はっきり分かる形でこの気付きにご褒美もらえたんだと思った。
ラッキーだ。
遠慮なくいただくことにした。
この日以降、自分が華になるためにどうしたらいいのか考えるようになった。
以前とは違って自分にとても優しく接し、自分を受け入れるようになった。
自身から湧き出る厳しい言葉の内にある本心まで辿ることができるようになった。
それが自分なんだから、と思うようになった。
まるっと自分を包むようになった。
もっと自分の華の魅力を漂わせたいと思うけど、自分じゃ分からないだけで他の人から見ると迫力が出てきているのかもしれない。
だから"もっともっと"はやめることにした。
それにしても、本当に良い華を見たなぁ。