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「ク」ワバタオハラ

 あいみょんの楽曲を聴きながらランバダダンスを踊る習慣が身についてから、どれくらい経っただろう。今日も今日とてあいみょんを聴きながらランバダっている。今日は「君はロックを聴かない」だ。あいみょんが想像するロックはどんなイメージだろうか。ロックと言っても細分化すると幾多のジャンルにも分けることができるから、あいみょんがロックの中のどの範囲を「君はロックを聴かない」の「ロック」にゆだねたのか…俺はあいみょんが好きだから、あいみょんが思うロックの範囲、いわばあいみょんが思う細ロック(ロックも、ロックを細分化しあいみょんがそこから選択した範囲も「ロック」であるため、前者と後者を区別するための「細」)が気になる。人は他人を好きになると、その人の頭の中まで気になるものだ。もちろんそれは身体器官を意味するものではなく、思考を意味する。「好きな人になりたい」とまで思ってしまう恋愛の魔力は、翻って暴力的な狂気を生んでしまうこともあると考えられるため、この話は絵本にするには刺激的すぎる。絵本は普通、少年少女の冒険などに教訓などの教えを含ませた、教育上’良い’とされるものが多い。そう。それは「大きなかぶ」や「よかったねネッドくん」などのように幼稚園・保育園などに置かれ、未就学児を楽しませている。未就学児も順調に年を取れば就学する。小学校に入って数年経った小学二年生の頃、昆虫好きの友達からカブトムシを二匹もらった。私はそれらに「クワバタ」と「オハラ」という名を授けた。クワバタとオハラは順調に育ったように思う。そして真っ当に死んだ気がする。小学生の頃の記憶なんて所詮はその程度のもので、大事なことだけ覚えていたり、逆に大事でないことだけ覚えていたりする。人間は死の恐怖を和らげるために記憶を無くすと言う説を聞いたことがある。私は今、平均的な若者と同じくらいの健康体でこの文章を書いているが、死が近づいてきた時には1行書けば前の1行をもう忘れてしまうかも知れない。そのような未来が待ち受けていたとしても、私は生を全うしたい。二十五メートルプールを端から端までクロールした少年時代のように、途中で止まらない。止まりたくない。息継ぎを覚えた時水泳が好きになったけれど、バタフライを習う前にやめてしまった。スイミングスクールが終わった後のセブンティーンアイスが一番の楽しみだったあの頃、家に帰ると「はねるのとびら」を見て寝た。アラームをかけずとも6時30分ごろには目を覚ましてテレビ東京を見ていた。子供向けのバラエティ番組には子供に人気のある芸人がたくさん登場していて、ロバートやタカアンドトシ、キングコングなどが出ていた。たくさんの芸人が出ている中ブラウン管に映写された映像の右端の方に二人の女性が写っている。見慣れないその二人はクワバタオハラというらしい。おとといタイヨウくんからもらったカブトムシに名前をつけていなかったから片方に「クワバタ」そしてもう片方に「オハラ」と名付けた。クワバタとオハラは順調に育ったように思う。そして真っ当に死んだ気がする。


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