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〔128〕張作霖爆殺後の展開―田中義一の不自然死  10/4修文


〔128〕張作霖爆殺後の展開―田中義一の不自然死
 〔127〕では「周蔵手記」昭和五(1930)年四月条の、冒頭から「やはり張作霖をやったことは誤りのようである」まで、を掲げました。
 落合は〔127〕末尾のこの文を、文章の流れから「石原・甘粕との会食の座で出た話」と、一旦は解釈しました。

 ところがこの文の続きを見ると、石原・甘粕との会食後に周蔵が抱いた感想として理解すべきものと思えてきたのです。
 張作霖の死を悼む貴志彌次郎に共鳴した周蔵が、現地の雰囲気を知るための調査に来た満洲で、石原・甘粕から教わったことを表すのが、冒頭の「やはり」の一語、と落合は判断しました。
 一応、「周蔵手記」の続きを下にあげますから、読者は〔127〕の末尾と併せて、落合の判断の是非を判断してください。
 
 これで蒋介石が大きく浮上すると云う誤りがそこに起る、と云うことなのだろう。角力でも、東西の横綱があってうまくいく。蒋介石だけになり、それしか人物がおらずでは「敵の思う壷となる」ということか。
 
 張作霖を始末した結果蒋介石が大きく浮上するのを、「大きな誤りなのだろう」と周蔵は述べますが、語調からしてこれは「伝聞」で、周蔵自身の意見ではありません。
 これを買いた時、周蔵は「石原莞爾の言を思い出していた」と落合が推定するのは、甘粕は上原の批判をしないからです。
 いずれにせよ張作霖と蔣介石を東西の横綱に喩えたのは、両者を「対発生したもの」と観る大乗仏教の中観思想から出たもので、石原が帰依する日蓮宗にも通じている筈です。
 「蒋介石だけが残り他に人物がいないのでは、敵の想う壷に入ったことになる」とあるのも石原の解説とみるべきです。甘粕は、張作霖問題では相槌を打つ役に任じたと思われ、甘粕自身の見解は判りません。
 それより問題は「敵の思う壺」です。「世界最終戦論」においてWWⅠ以後の世界を四つに分け、➀西欧ブロック、➁東欧及びロシアブロック、③南北アメリカブロック、④東亜同盟ブロックとした石原莞爾は、④の東亜ブロックの盟主となる日本の最終的な敵は、➂の南北アメリカブロック、と喝破しております。
 したがって「敵」とはアメリカ合衆国のことですが、「思う壺」とは何のことか。
 「世界最終戦諭」の文脈によれば「日本が対米戦に必要な三十年を待ちきれずに戦争を始めること」と、落合は考えます。
 
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