〔44〕白頭狸時務随想

〔44〕白頭狸時務随想
 さて、早朝ユーチューブで見た高橋洋一チャンネル737回は、近頃では滅多にみないほど大変参考になるものでした。
 高橋洋一さんは昭和三十(1955)年生まれで白頭狸より十六歳の年下で、狸の親しい岸本周平和歌山県知事と大蔵省の同期です。
 白頭狸が高橋洋一さんに注目する理由は幾つかありますが、最大のものは何といっても、平成のバブル崩壊に際して当路の少壮官僚として邦銀の不良債権償却に大いに関わった人物だからです。
 大蔵省大臣官房金融検査部課長補佐の時に発刊した『金融機関の債券償却』は、平成五(1993)年12月発行版に「新版」とあるから、初版はもっと古いらしいのですが、当時爆売れしたとの事です。
 ウイキペディアの高橋洋一年表では、昭和六十三年(1988)年の証券局業務課長補佐から平成六(1994)年に理財局資金第一課長補佐になるまでの六年間は空白です。
 折から金融バブルの絶頂から崩壊にかけての期間ですが、この間に高橋さんが大臣官房金融検査部課長補佐を務めていたの時代があったようで、「不良債権償却大魔王」と異名を取った、と自ら語っています。

 バブル崩壊に際して当路の財務官僚として不良債権の処理に当った高橋氏に狸はかねがね注目してきましたが、今朝見た高橋洋一チャンネル738回で日本長期銀行および日本債権銀行の崩壊について語っていることが、すこぶる興味深かったのです。
 高利率の長期債券を発行して一般から資金を集め、これを装置産業の設備投資に融資する金融機関が長信銀(長期信用銀行)で、銀行法に謂う銀行ではなく、根拠法は昭和二十七(1972)年に大蔵大臣池田勇人が創った「長期信用銀行法」です。
 同法に基づく長期信用銀行は三行で、一つは明治時代に設立された日本興業銀行(興銀)で、他は当時新設の日本長期信用銀行(長銀)と日本債券信用銀行(日債銀)です。
 長銀と日債銀は平成十(1998)年に経営破綻しますが、破綻を免れた興銀は富士銀行と合併し、みずほ銀行として現存します。
 高橋洋一さんは、長信銀のようなシステムの金融機関は日本にしか存在せず、すでに意義を失っていることをとっくに察していた、と語ります。狸もずっと前に水谷民彦さんから「長信銀を創る時、無記名はアカンとアメリカは反対したんだが、日本は、タンス預金を世間に引き出すには無記名しかないとして強行したんだよ」と聞きました。

 そこで銀行関係者に長信銀設立の目的を尋ねたところ、「預金の名義が出ることを避けているタンス預金を、世間に引っ張り出すために無記名債権を出した」と説明する向きが多かったのです。
 尤も、当時は普通預金も実質上は匿名預金で、利子も長信銀債と同じ分離課税です。巨額になれば偽名(ストリートネーム)がむしろ普通ですから、匿名・顕名の差異もさることながら、利率が普通預金よりもずっと高かったことが長信銀債券の魅力だったのでしょう。

 昭和四十五(1970)年頃のことですが、経済企画庁内国調査課で経済白書の作成準備の会議の際、一世帯あたり金融資産が四百数十万円との数字を指して宮崎勇課長が呟やいた下記の言葉が狸を刺激しました。「中央官庁の課長といえば所得も上の方だろう。でも僕はそんなに預金はないよ」
 確かに、この数字は大きすぎるようです。しばらく考えた狸は「三千万匹のネズミに一頭の象が加わったらこのような状態になる筈」との見当を暫定的につけました。
 この見当が正しかったことがハッキリしたのは、それから二十八年後のことです。巨象は長信銀を隠れ蓑にしてネズミの群れの中にいたのです。

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