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〔23〕百年目に出現した歴史の真実   安倍晋三事件にも関連する大杉栄殺害事件の真相の拡散要望 重大推敲版2/20

 「23」昨年七月八日の西大寺事件にも関連する重要情報なので、拡散をお願いします。 
   本年は「甘粕事件」すなわち「大杉栄ら三人の殺害事件」から百年目です。この事件の真相を暴いた白頭狸の新著『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』は歴史界のみならず政界に大変な変動を及ぼしそうです。
 そもそも、甘粕事件に潜む深刻な謎は、事件当時から具眼の士を悩ませていましたが、軍部の上層が関与していることは明白ですから、「一般国民は余計な詮索をすべきでない」、という雰囲気に日本社会全体が包まれていたのです。

 拙著に登場する重要人物矢次一夫氏は、内務省と労働運動界の両方に深く潜入していた人物として、当然大杉事件の真相を知っていたものの、戦前はひたすら沈黙を保ったのは立場上の当然です。
 戦後は岸信介の片腕となって日韓外交を構築した矢次氏は、その後は国策研究会常務理事の要職にあり、立場上からもこの歴史的秘事の暴露を控えたのですが、長い生涯の中で側近にその一端を洩らしたことが再三あったようです。
 白頭狸は二十年前から皇室に伝わる國體秘事伝授を授かってきましたが、そのこでと國體首脳との狸との懸け橋を勤められた國體舎人も、ずいぶん昔から、甘粕事件の真相を聞いていたそうです。
 甘粕事件の真相には、昨年七月八日の西大寺事件を思わせる雰囲気が濃厚に漂っております。西大寺事件も甘粕事件と重大さで選ぶところはなく、最高の国家機密に属することは自明ですから、当局の発表と大きく異なるその真相を、世間が周知するのは数十年後になるでしょう。
 甘粕事件の関係者たちは実に慎み深く、またその立場もあって、このような国家の最高機密を世間に洩らすことはなかったので、今日まで学者もメデイアも真相を知ることなく、歴史学校教科書に堂々と並べられたウソを記憶することが大学入試合格の基準となっています。この点で我々は隣国人の妄想史観を嗤うことを控えねばなりなせん。
 講和条約発効後も軍隊を常駐する米国の監視のもとで政権を担当してきたいわゆる保守政党は、米国の圧力の下で国民の洗脳と日本史の捏造を積極的に工作してきましたが、安倍晋三の第二次内閣から歴史見直しの時期に入りました。
 理由は幾つかありますが、一つには米ドル信用に頼る通貨政策の行き詰まりです。米国の工業力が衰退したことで、実質は軍票の米ドルを支える基盤が軍事力に偏ってしまったからです。

 したがって、今後の日本で捏造歴史の修正が本格的に始まるのは必然ですが、修正の対象はまず日本近現代史です。
 歴史教科書として固定された捏造史実を転覆させて、真実を顕わすのは大変な作業です。安倍晋三の政権が続いていたら必ず実行したはずの歴史教科書の根本改訂は、安倍さんがご承知の事態になったことでやや遅れるかも知れませんが、これを避けていては日本に未来はあり得ません。

 白頭狸の著書『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』が明らかにしたのは、要するに「近代の人類社会を風靡した共産主義思想はおろか、その前段階としての社会主義思想もつけ入る隙が無かったのが、一君万民國體の日本」ということです。
 政治思想としての国際共産主義が所詮空想であったことはすでに万人の眼に明らかになりました。これに気がついたスターリンは、ロシア領に限定の一国共産主義に転換することでロシアの國體を守り、WWⅡ後の世界は両極体制の形で一応安定しましたが、ここに至るまでに人類は地球世界を二つに分ける騒擾を避けることはできなかったのです。

 共産主義の前置過程としての社会主義を、諸国とはかなり異なる形で実現した戦後日本が「世界で唯一成功した社会主義国」と評されていますが、その根本原因が天皇の存在あることを、白頭狸は十年前に著した『日本教の聖人西郷隆盛と天皇制社会主義』で主張しました。
 そもそも戦後日本の歴史教科書は、日本弱体化工作の重要な一環としてGHQが政体自民党に強請したものを、自民党とは思想的に対立するメデイアと野党が支持したものですから、左右勢力に挟まれた国民はどうにも逃れようがなく、その状態が今日まで続いてきたのに、誰一人改めようとしませんでした。
 「はだしのゲン」なる国賊的凶著が広島県で小学校の副読本として採用されていたことを知り他県の人は唖然としていますが、その他県にしても教育委員会は広島と似たかよったかです。

 拙著の『國體志士大杉栄と大東社員甘粕正彦の対発生』(大杉本と略します)はそのような教科書史観に背くため、左右両派のいずれからも認められないのは右の経緯からして当然で、今から両勢力の末端が色々仕掛けてくるのが目に見えています。
 真実こそ最大の潜在勢力ですから、白頭狸および大杉本の最終的な勝利は疑うべくもありませんが、何しろ相手の左右両勢力はGHQから与えられた利権の積み重ねにより利権列島日本の社会に強大な勢力を張っています。
 たとえばこの大杉本にしても、出版社と販売ルートが従米左翼施力に独占されていることから、出版社が容易に見付からないことを予見した狸は自費出版に踏み切りました。強いて出版しようとしても、引受けてくれるのはオカルトかスピリチュアル系の出版社しかなく、陰謀史観の一種として世に出すしかない状況なのです。

 このような状況では、白頭狸の発掘した史実も、戦後社会の言論を左右に分かれて支配する巨大な壁に阻まれて、読者の範囲は初版購入者の周囲に留まる始末になると嘆く白頭狸には、まさに『海国兵談』を著して太平の世を警めた六無斎林子平と同じ思いがあります。(末尾の「付けたり」参照)
 右の事情に鑑み、大杉本が一刻も早く日本社会に流布することを期して、本稿の読者はどうか周囲の方々に推薦して頂きたく、この段謹んでお願い申し上げます。
 因みに全国各地の公共図書館は、住民の要望があればたいてい購入いたしますから、ぜひお近くの公立図書館に拙著の購入を直接されるか、あるいは自治体議会の議員諸公を通じて図書館に購入を要望して頂きたく、ひたすらお願い申し上げます。

  本稿読者衆さま
   白頭狸こと南光院長臈爾應法師   合掌

つけたり
ーーー林子平の『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3(1791)年、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は「版木没収の処分」を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。
 最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎と号した。
 右の寛政の林子平の行蔵を令和に再現しておるのが白頭狸であります。
  オンマイタレイヤソワカ

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