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〔19〕命式と具体的人生の関係

〔19〕命式と具体的人生の関係
 白頭狸が常々思うのは、世に推命を語る先生方が敢えて自らの命式を明かし、自己の経験に照らして推命学の価値を証することをしないことです。
 わが命式を公開すれば、弱点を知ったライヴァルが攻撃してくるのを避けるため、とでも言うのでしょうか。まあライヴァルが同業ならばそうなりますねえ。
 前回の稽古で白頭狸の命式の四柱を披露しましたが、これは麻雀でいえば古い牌譜を持ち出して配牌のところをお見せしただけです。しかし、命式さえあれば白頭狸の生涯の大筋はほとんど判る、というのが大方の命理家の口上です。
 白頭狸も命理学徒の一員として、本人の運命の大概は命式と後天運によりほとんど決定しておるが、本人の選んだ行動により運命に揺らぎが生じ、それが具体的な人生になる、と理解しております。
 同日刻に生まれた双生児の辿った人生が各々大きく異なることがあるのもこれが故であります。因みに昭和三十九年の三月のある日、卒業式を前にして東大向ヶ寮に不法宿泊していた狸は、同寮の住人だった一年後輩の山下頼充君と花札をしたところ大敗して支払えず、その日に根津権現の近くのパチンコ屋で勝ち取ってきた缶詰を彼の寝室に持参し、借財の半分近くを代物弁済したままで、再会することなく本日に至りました。

 その山下に五つ子ができたと報じられたのは昭和五十一(1976)年のことでした。狸の家では昭和四十六年と四十八年にできています。
 折から高木乗の『四柱推命学』を読み始めたこともあり、同じ命式を有するこの五つ子がその後、いかなる運命をたどるかということに狸は強い関心を抱きました。

 何とか山下に再会して残債を片付け、それとなく五つ子のその後を聞きたいと思ううちに、歳月が過ぎ去り今日に至りました。聞くところでは五つ子のうち一、二人が東大に入ったそうです。他の子は別の大学を受験したのでしょう。
 ともかく、この例からしても命式と後天運すなわち具体的な人生との関係の度合いをある程度察することができます。
 後天運とは歴史的な時間経過ですから、どこにでもあるカレンダーに書いてあります。だから生誕日の情報が判れば、誰であっても命式は立ちどころに造れます。
 細かいこととして命式を造る時に生誕地情報が必要なのは、地球上の時間が場所によって異なるからで、均時差と経度差をもって生日生時を微修正するのですが、実際ではたいした差異がないので今は述べませんが、出生地も戸籍謄本に書いてあります。昔はともかく今の戸籍は公開情報で、弁護士や司法書士を通じて簡単に入手することができますから、結局のところ命理に関する個人情報は何一つ隠されていないのです。

 したがって、近頃はやりのディ―プ・ステートや国際軍産金融連合が、例のビッグデータを用いて、彼らにとって入用な人材や、邪魔になるとして抹消すべき人材を選び出だすことは、不可能ではないでしょう。 
 実のところ、外交を最大の武器とする中華人民共和国では、すでに本邦の有力者の命式をもとに個人攻略を練っていないとは限りませんよ。
 さて、普通の推命家は、命式を造った時点で四柱八字と蔵干の相生相克関係を論じ、命式の吉凶善悪を語るのですが、狸がそれをしないのは、この年になって過ぎさりしことどもを顧みるとき、わが命式の善悪など論じても大した意味がないからです。
しかし、ここは命理学の稽古の場ですから、狸の命式を教材とすることにして、四柱八字と蔵干を並べることにします。次に掲げる命式を背負った狸は、物心つくころから、麻雀で言えば自摸と打牌を繰り返して今日の白頭に至ったのであります。
 具体的にはどうであったか。それは〔20〕の有料稽古で述べることといたします。

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