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〔168〕「平成大停滞」は中国経済を育てた日本が被った代償なり 4/13修文済

 〔168〕「平成大停滞」の原因は日本が中国を育てた「一の國體秘策」
 ポストWWⅡの前期は米ドルが「レトンウッズ体制」を放棄した昭和四十六(1971)年に終末を迎えます。
 これに続くポストWWⅡ中期の「ペテロダラー体制」は昭和六十(1985)年の五カ国の蔵相が会した「プラザ合意」で、ドル救済役を押し付けたられた日本の蔵相竹下登がドル買い円売りを実行した結果、発生したのが昭和末平成初年(1988~1991)の不動産バブルです。
 平成元年末に日銀総裁に就いた三重野康が行った数度の利上げを機に株式が暴落した日本の経済成長は止まり、以後三十年間、落合が「平成大停滞」と呼ぶ時代を過ごします。その惨状は諸兄姉がご存じの処ですから、落合もここで述べたくありません。
 世にいう「失われた十年」どころか三十数年も続く「平成の大停滞」にようやく明かりが兆したのが令和三(2021)年のことです。
日本のGDPは、ポストWWⅡが晩期に入った平成七(1995)年の521兆円が、晩期の終わる令和二(2020)年になっても539兆円と四半世紀かかっても3.4%しか増えていません。実質では458兆円が529兆円と15.5%増えていますが、年率にすれば0.5%ほどにしかなりません。こんな低成長国は世界中で日本だけです。
 この間、日本とは逆に大発展したのが中華人民共和国です。同じ四半世紀に6兆1,050億人民元から102兆5628人民元と16.8倍にもなっております(IMF調べ)。年成長率は11・9%になりますが、この間に中国は物価が上昇しているので物価上昇を差し引いた実質値で比較せねばなりません。
 IMFの推計によれば、中国の実質GDPは平成七(1995)年には11兆4720億人民元でしたが、令和二(2020)年には91兆4565憶人民元と8倍になり、成長率は年率にして8.7%です。

 ところで中国の統計は、ことに物価に関してはアテにならないと言われております。理由は党大会で決定した計画に合わせるため政治的に変造されているからですが、中国経済が著しく成長したのは慥かで、まさに日本の昭和四十年代を思わせる高度成長の時代です。
 昭和四十四(1969)年に西ドイツを追い越して世界第二位になった日本のGDPは平成二十二(2010)年に中国に抜かれて第三位に転落し、さらに令和五(2023)年にはドイツに抜かれて第四位に落ちました。
 このような日本の低成長ぶりは世界中を驚かせています。マレーシャの偉大な政治家マハティールは、「日本経済がなぜ成長を停めたのか、わからない」と正直な発言をしましたが、日本国民側には以前と比べてさしたる変化はありません。
 不動産や株価など資産価格が暴落して民間の信用が収縮したのは慥かで、これを補うため「か?」日銀は大量に円を増刷し、また金利をゼロにまで落としましたが、金融緩和はまったく民間に浸透せず、大量の日本円が中華人民共和国などの途上国へ流出して敵陣(?)を潤わせただけに終わりました。
 ことに、日本の民間企業は工業技術や生産管理などの面で中国・韓国・ベトナムなどの諸国に多大な支援を行ってきましたが、狭い意味の国益からすれば、「とんでもないお人好し」をしたことになります。
 落合の周辺ではこれを憤慨する人々も多く、多くは「政府のせい」にしてすましていますが、落合は之と全く異なる見解に立っております。
 それが「國體天皇府が謀った一の秘策」で、この後で申し上げます。

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