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食事には依存性がある。悪影響はまだない。

私は、半月前から奇妙な症状に悩まされている。
発症してからの経緯は前回のレポートを参照してほしい。

前回のレポートから2週間がたった。
記事についたコメントによると、死んだ生き物を口に入れる行為を「食事」、そこで得られる虹色の触覚を「」というらしい。
実をいうと私はその食事にハマってしまって、毎日大学の食堂に通っている。
午前の授業が終わってから行くのが日課になったが、それだけでは足りない。夜も行きたくなってきて、昨日はとうとう2回も行ってしまった。こんなに食事をして体は大丈夫なんだろうか?


2週間で気付いたことがいくつかあるので、noteにまとめておきたい。



食事によってエネルギーを得ている

食堂で渡されるレシートには、金額以外に「kcal」にかかわる数字がいくつも書かれている。

キロカロリーはエネルギーの単位だから、食事をすることで体の中にエネルギーを取り入れていると考えられる。科学的に言うと、きっとその正体は化学結合のエネルギーだろう。位置エネルギーと運動エネルギーは明らかにあり得ないし、原子核のエネルギーは染色体を傷つける。熱エネルギーは一見ありそうに見えるが、1147kcalを熱で受け取るには100℃の水を18リットル食べる必要があるので、ありえない。消去法で化学結合だとわかる。

また、食べた後は全身が温まり、エアコンで冷えた手先に血が戻ってくる。常に外部へ逃げていく体温を一定に保つために、前述のエネルギーを熱の生産に使っているのかもしれない。



食事には依存性がある

こんなに食事が楽しいなら、一度に二倍三倍食べたらもっとすごいだろうという考えのもとで、大量に食事してみた。

前回の2倍くらいの量を食べたところで内臓がパンパンになり、車酔いのときのように気持ち悪くなってきた。
頭がぼーっとして眠たいのを堪え、なんとか平らげて家に帰ったところまでは覚えているのだが……気づいたら深夜だった。いつの間にか気絶していたんだろう。
気持ち悪いし気絶するしで怖くなってきた。あの食堂には二度と行かないことにしようと心に誓った。

しかしその翌日、再び例の腹痛が襲ってきた。
食堂にはもう行かないと決めていたのに、また食事がしたい。
単に腹痛を治したいというよりは、どうしても食べたい欲求が抑えられない感じだ。

たくさん摂取したら体に悪いのに、それを断つとまた欲しくなるなんて、食事には薬物のように依存性があるらしい。
そう考えると、食べるときの幸せな感じも説明できてしまう。食べ過ぎて気持ち悪い時ですら、唐揚げを一口かじるごとに幸福感があったことは否定できない。まるでタバコやパチンコのように。



食事は温かい

食堂の二階で弁当というものが売っていた。中身は食堂の料理と同じように見える。

弁当を食べて驚いた。食堂の料理に比べたら魂が抜けてるみたいだった。弁当のなにが変なんだろうとしばらく考えていたが、不自然なのはむしろ食堂の方だと気付いた。そう、弁当は常温で、食堂の料理は人工的に温度を調整してあるのだ。

温度の謎を解き明かすため、まずは計測してみよう。

菜の花うま味和え:10.7℃


10℃を中心とした山に加え、35℃〜80℃にかけてもう一つ山があることがわかる。やはりいくつかの料理は人為的に温度を上げているし、逆に冷やしている料理もあるようだ。

温度が低い料理と高い料理で次のように分類できる。

こうして見ると、おおむね鳥獣の肉が入っている料理は高温で、入っていない料理は低温の傾向がある。

温度の謎をさらに解明するため、弁当の唐揚げと食堂の唐揚げを比較した。

断面の比較からも明らかなように、高温の唐揚げはライオンに追い詰められた鶏のように体液を迸らせている。
対して常温の唐揚げは、野生を知らない温室育ちの固まりきった肉塊だ。

実際に食べてみても、高温の唐揚げはついさきほどまで野を駆けていたと言わんばかりのプリッとしたみずみずしい食感だ。
常温の方は肉の繊維が固いような気がする。ギシギシとして少し味気ない。

これでようやく謎が解けた。鳥獣の肉が高い温度で提供されるのは、脂やタンパク質を柔らかくするためだ。
生体内で働く分子はその個体の体温より低温になると固まってしまうのだろう。
この論理はサーモン丼にも適用できる。動物なのに低温で提供されるのが不思議だったけど、水の中で暮らしていて脂の融点が室温より低いことから説明がつく。



味と食材は違う

一品一品の食事が違う感覚(味)をもたらしてくれる。その違いは何なのかを確かめるため、対照実験を行うことにした。選んだのは「ほうれん草」と「ほうれん草のごまナムル」だ。名前からして、緑色の洗濯したティッシュみたいなのがほうれん草だろう。ごまナムルとはこまごました部分を指すのかもしれない。
さて食べてみると、舌で感じる感覚はまったく違う。同じほうれん草で、舌で感じる形や重さ、温度も同じなのに、味だけが違う。味と食材は違うということである。味の正体として3つの候補がある。

  1. ほうれん草にくっついた、他の食材のかけら

  2. ほうれん草に浸透させた水分(あるいは油分)

  3. 個体差

ほうれん草をよく噛むと、まんべんなくどの部分にも味がついていることがわかる。ここから1の仮説は棄却できる。2と3の区別はまだできないが、味の正体としては2の可能性が高いと思う。食堂の「オクラ巣ごもり卵」と「モロヘイヤおひたし」の食材は共通していないように見えるが、味は似通っているからだ。

まとめると、食材に浸透した水分が味を左右していると考えられる。


***

食事は、動物や植物を刻んだり混ぜたりして作り上げたものだ。ということは、食堂に頼らずとも、なんなら自分だって作れるはずだ。問題はその食材をどうやって手に入れるかだけど、実はアテがある。明日スーパーマーケットに行ってみよう。


(追記)2週間後のレポート

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