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イチョウの樹の横では屍体が振る舞われている

この日記は医療情報ではありません。医療に関する正確な情報は、信頼できる政府機関や医療機関から直接確認することを強く推奨します。

原因不明の腹痛を我慢していたら生き物の死骸を口にすることになってしまった。
誰かの参考になるかもしれないと思って、ここ数日の出来事を記録しておく。



7月20日

いつもどおり10時ごろ目が覚めた。
この時おなかに軽い違和感があったが、まったく気にしていなかった。ツイートしていないフォロワーのいいね欄を巡回していたらあっという間に時間が過ぎていた。
午後から授業と実習なので、大学に行くため12時ごろに家を出た。

この日の授業は結局頭が回らず、あまりついていけなかった。ノートも全然取れなかった。

本当に友達がいないので、詰みです。

ずっとお腹が痛くて、胃が締め付けられるような感覚が続いていてつらい。
それに、このあたりから口が渇いた感じもしてきた。唾液がネバネバして舌が口の中に貼りつくような感覚だ。
原因に心当たりはなかったように思う。翌日もひどいようなら病院に行こうと思って、保険証を探した。



7月21日

9時半に起きた。
原因不明の腹痛に悩まされて寝つきが悪いのもあり、少し寝不足だった。
鏡を見ると顔色が悪く、手足に力が入らなかったが、頑張って大学まで行った。
蒸し暑さと腹痛の二重苦で、勉強に集中できる気がしなかった。
午前の授業だけ出席して帰ろうと思っていた。

やっと昼になると、教室から出ていく人がそのままひとつの建物に入っていくのに気がついた。知らない建物だった。
各教室に分散していた人が一斉に集まったために、あっという間に大行列になった。みんなスマホを見ている。
なんとなくその集団について行くと、不思議な香りが漂ってきた。
お香でも焚いているのか?にわかに宗教的な雰囲気が感じられる。
周りの会話に耳を傾けると、

「今日どうする?」「性(さが)の禊(みそぎ)やな」

……。わけがわからない。禊ということは、やはり宗教儀礼か何かが行われているようだ。

礼拝所の様子

建物に入って列に並んでいるうちに、この礼拝所でのマナーがわかってきた。

  1. 最初に何か唱えることで、白い装束に身を包んだ女性たちから施しを受ける。

  2. 板で仕切られた席に各々が着き、一度両手を合わせ、10分ほどある行為を続ける。

  3. 最後にもう一度両手を合わせて儀式は終了する。

その行為というのが驚くべきものだった。誰もが、机上のものを口の中に入れている!

話すことと息をすること以外に口を使うなんて考えられなかった。
異物をせっせと体内に運んでいる異様な光景に、恐ろしいような狐につままれたような気分だった。

あっけにとられているうちに列が進み、巫女に唱える言葉の一覧表が目に入った。
「性(さが)の禊(みそぎ)」ではなく「鯖のみそ煮」だった。
その他にも「鶏肉と野菜のオイスター炒め」や「豚塩カルビ丼」などがあるようだった。
またもや驚いたが、そこにいる人たちが口に入れているものは全て生物の死骸だったのだ。
自分の知らない世界で全く異なる常識が流れていることを知り、雷に打たれたような衝撃だった。


ここで、自分の渇望感もピークに達した。居ても立ってもいられない感じがして、自分も前に並んでいる人に倣って同じ呪文を唱えた。


鶏、牛、豚。やっぱり死んだ生き物だ。
正直言ってかなり抵抗があったが、周りの人はみんなやってるから大丈夫と自分に言い聞かせ、見よう見まねで注文したものを口に入れた。


たとえるならば、舌で匂いを感じているような、モノクロの触覚が急に色づいたような、そんな感覚があった。
そもそも口の中は温度感覚や触覚に敏感であり、鼻と近いので嗅覚もよく働く。それに新しい感覚が加わって、えもいわれぬ幸福感に包まれた。

これってかなりすごいことだと思った。
絵画で得る感動は、色や形そのものではなく、それらの組み合わせで生まれる意味によってもたらされる。
音楽も、和音というよりその変化の積み重ねが幸福につながる。
今の感覚はどちらとも違う。
心地よい肌ざわりのような、花の香りのような、でももっと具体的で複雑な虹色の感動だ。それが一瞬のうちに訪れる。

一品ずつ見ていこう。

チキン香草焼き」は、こげ茶色のパーツがおそらくニワトリだと思われる。皮と筋肉と腱らしきものが確認できた。
白くてモジャモジャのパーツは冷たく乾いていて、ニワトリと好対照をなしていた。

ここで簡単な実験をやってみた。
指先で触れると、湿り気や温度、質感を感じる。
同じものを今度は鼻に近づけると、茶色のパーツからは薪のような香ばしい香りが、白いパーツからは刈りたての芝の清々しい匂いがする。
そして舌の上に乗せると、例の新しい感覚がある。
一方、歯と頬の間に入れても、先ほどの感覚は得られない。以上より、例の新感覚は舌で得られるということが明らかになった。


豚汁」は濁った液体の中に色とりどりの材料が浸されたものだった。
豚汁(ぶたじる)とは、なんとも気味の悪い響きだが、汁の中の具はよいアンサンブルをなしている。
さわやかな匂いの緑の輪っか、噛むと水分になる半透明の板、そのオレンジ色の色違い。
概して柔らかく、液体が染み込むことにより全体の調和がとれた中に、それぞれの具材の個性が表れている。
平らげた後で、唇がクリームを塗った後のようになっているのに気が付いた。汁の上に浮かんだ透明な液滴は、油のような不揮発性の分子なのかもしれない。


白衣の人たちからの施しには様々なものがあったが、その中でもこの「ライス」だけはほぼ全ての人が受け取っていた。
そういうわけで期待して口に入れてみると、温かくて柔らかい感触に心地良さは覚えるものの、例の舌の感覚は「チキン」や「豚汁」には到底及ばず、はじめは受け取る意味がわからなかった。
ところが、たまたま「チキン」が口に残った状態で「ライス」を運んでみて驚いた。「ライス」は他の品物とのコンビネーションのなかで非常に重要な役割を果たすということがわかったのだ。
例えるならば水墨画に残された余白。空白が線を引き立て、作品をより高次へと至らせるような効果があった。

長谷川等伯筆 松林図屛風


ほうれん草」は名前からして植物だろう。
詳しく見ると、透明な明るい緑の筋と不透明な暗い緑の塊からなっていた。
光合成の効率から考えて、不透明な部分がだと思った。
でもその辺の野草とは違ってビチョビチョでぐにゃぐにゃだ。
植物体を支持する必要がないということは、水中に生える草なのかもしれない。


牛肉コロッケ」が最大の謎だ。
カリカリの外層の中には粒立った柔らかいものが詰め込まれていて、とても温かい。そのコントラストが絶妙な感覚を生んでいる。
しかし、この中身が牛とどう関連しているかがわからない。
「コロッケ」といえばあの有名なモノマネタレント。まさか、茶色い表面が毛皮のモノマネということなのだろうか?

最後はマナーに従って、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と唱えた。
無我夢中で口に運んで、終わった後もしばらく呆然としていたけど、だんだん頭がさえてきた。
不思議なことに前日から悩まされていた腹痛も消え去っていた。

生き物の死骸を口にする新興宗教の儀式に巻き込まれたという認識だったが、大きな満足感を得てその建物を後にした。


*****

以上がここ数日に起きたことの顛末だ。
こうして振り返ってもやっぱり不思議な出来事だ。
こんなに幸せな体験ができるもののことを、もっと詳しく知りたい。
例の建物にまた行ってみよう。


(追記)2週間が経ち、色々なことがわかってきた。詳細は以下のレポートを参照されたい。

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