「感謝」とは「あるもの」を認識すること

私たちは、膨大な自明性の上に生きています。

自動車、電車、スマホ、水道、電気、ガスに始まり、お米、机、ペン、コーヒーカップ、ベッド、布団を経て、空気、大地、水に至るまで、膨大な条件の上に生活しています。

でも、それらはあまりに「当たり前(自明的)」すぎて、普段私たちはそれらを「認識」できません。

「存在しているのに認識できない」ものが、この世には沢山あるのです。

そこで、存在しているものを認識できるようにするのが、「感謝ワーク」です。

「感謝日記」に「あるもの」を書き出して行く。そして、「ありがとう」と結ぶ。

たとえば、「ホッチキスがある。これで冊子を綴じられる。ありがとう」と。

この感謝ワークをすることで、私たちが普段「ないもの」ばかり注目して、自分自身で「不幸」になっている「心」のありようを改めて、「あるもの」を認識し、幸福な心を手に入れることできる。

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カエルの眼は、動いているものしか見ることができない、と言われます。時間的に変化しないものは見ることができません。

これは人間の眼も同じで、人間の眼は、絶えずわずかに動いていて(固視微動)、静止している物体を見ることができているのです。

だから、眼に麻酔をかけると、固視微動が止まるので、すぐに何も見えなくなります。

あらゆる生命は、時間のなかを生きる時間的な存在なので、「慣れ(時間的微分作用)」を受けるのです。

この時間的微分作用は、膨大な「あるもの」を「認識」できなくさせるのです。

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「ありがとう」とは、本来「有難い」、つまり、difficult to be、なのです。

私たちが生きているのは、「ありがたい」事実なのです。

バートランド・ラッセルの文章に、

Happiness, as is evident, depends partly upon external circumsutances, and partly upon oneself.

(幸福は、明らかなように、部分的に外的環境に依り、部分的に自己自身に依る。)

私たちの心のあり方、認識のありようを改善するだけで、幸福の半分を手に入れることできる、ということです。

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