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【高橋国博のブログ「目」】 2023年8月31日 写真とプロパガンダ。

写真とプロパガンダ。
報道写真で暫しプロパガンダの問題が問われる事が多い。

私は報道写真がとても好きである。
時代を超えて好きである。
毎年、東京都写真美術館で行われていた「報道写真展」には必ず見に行っていた。

特に対戦中のプロパガンダ報道(写真)は揶揄される事が多い。
そもそもアーチストは、アート表現は、プロパガンダ的要素を持っているのではあるまいか。
表現(芸術)表現が他の人へ、見る側に感動を与えたり、一人でも多くの人々に意思の伝達を試みる時、何かしらのプロパガンダを行う必要がある。

個として意思が(プロパガンダ的要素)個としてのコントロールの範疇に留まっている間は「芸術表現」としての価値を見出すと思われる。
表現手段が企業・集団・地域・社会・国家として集団化され、一方方向に剥かはされ、向かう時、対戦中が物語る様に、プロパガンダ報道(写真)は人間を狂気させる。
そこには、個人としての判断は許されない。
しかし、その様な状況下でもあっても、数少ないが個の意思を貫き通した方々の存在を私たちは忘れられない。

芸術表現がそもそもプロパガンダではあるまいか。
見る側の私たちを巻き込み、洗脳し、我こそは表現者なりと・・天才なりと・・・。無意識、意識の中で洗脳をしていると思われる。
と、思わなくてはシャッターの一枚も切れない。

続きは、後日・・・。

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